HAL研究所
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株式会社ハル研究所
HAL Laboratory, Inc.
種類株式会社
略称ハル研
本社所在地 日本
101-0054
東京都千代田区神田錦町2丁目2番地1
KANDA SQUARE
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分35.0秒 東経139度45分48.2秒 / 北緯35.693056度 東経139.763389度 / 35.693056; 139.763389座標: 北緯35度41分35.0秒 東経139度45分48.2秒 / 北緯35.693056度 東経139.763389度 / 35.693056; 139.763389
設立1980年2月21日[1]
業種情報・通信業
法人番号8010001026663
事業内容家庭用ゲーム機のソフトウェア開発
電子玩具、ゲーム用周辺機器の開発
ゲーム開発環境、支援ツールの開発
ゲーム機本体内蔵ソフトウェアの開発
キャラクターマーチャンダイジング
代表者代表取締役社長 川瀬滋史
資本金8000万円(2021年3月31日現在)[1][2]
純利益7億7700万円(2021年3月期)[2]
総資産68億3500万円(2021年3月31日現在)[2]
従業員数205名(2021年7月1日現在)[1]
決算期3月31日
主要子会社株式会社ワープスター 50%
関係する人物熊崎信也 (取締役)
谷村正仁(元取締役会長)
三津原敏(元取締役所長)
岩田聡(元代表取締役社長)
桜井政博(元PD事業部主幹)
糸井重里(元取締役)
松岡聡(元社員)
外部リンクwww.hallab.co.jp
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株式会社ハル研究所(HAL研究所、ハルけんきゅうしょ、: HAL Laboratory, Inc.[3])は、主にゲームソフトウェア、周辺機器、ゲーム制作システムの開発を行う日本の企業[1]

1980年2月21日に創業。MZ-80K/CPC-8001といったマイコンの時代から存在している老舗ソフトハウス。マイコン時代には各種ハードウェアも開発・販売していた。家庭用ゲーム機向けソフトウェアの開発は1984年に任天堂ファミリーコンピュータから参入した。後にパソコン関連製品事業とハードウェア事業を切り離してからは任天堂の家庭用ゲーム機向けソフトウェア開発のほか、任天堂ゲーム機で使用されるサービス・本体機能の開発および音楽・書籍・キャラクター関連の企画制作を行っている[1]
沿革
創業

西武百貨店池袋店のパソコンコーナーに、コモドールのパソコン「PET 2001」の一角があった。その前に集っていた岩田聡を初めとする当時、大学生のパソコンマニア達に、後に経営者となる一人の店員が声をかけて[4]、岩崎技研工業が出資してハル研究所は設立された[5][6][7]1980年のことである。社員ひとりと6人の学生バイトで、秋葉原にあるマンションの一室を開発室としてのスタートだった[注釈 1]

社名の「HAL」は、「IBM」のアルファベットを1文字ずつ前にずらし、(当時最大のコンピュータ企業だった)IBMの一歩先を行くという意味を込めたとされる『2001年宇宙の旅』のコンピュータ「HAL 9000」に倣い名付けられた[9](ただし、「HAL 9000」の由来は俗説であり原作者のアーサー・C・クラークらは否定している。詳細はこちらを参照)。登記上は株式会社ハル研究所だが、広告や商品パッケージなどでは1980年の設立当初から株式会社HAL研究所と表記していた[10]。なお、2002年に商業登記規則等の改正によりアルファベットが使えるようになってからも[11]社名は変更しておらず、現在では各種SNSアカウントをはじめ、ハル研究所と表記している。
創業当初

創業当初はパソコン関連の周辺機器を多く開発し、特にパソコン(当時はマイコンと言った)の画像表示とサウンド能力を向上させるユニットPCGシリーズはヒットを記録した(詳細は後述の「周辺機器」を参照)。周辺機器としては他にもトラックボールや、NECのPC-8801シリーズの拡張音源ユニットを発売。

当時のパソコン専門誌「I/O」にもPCG-8100を用いたゲームプログラムが投稿されている。ハル研究所も自社ブランドでPCG-8100を用いたナムコのゲームソフトを移植して発売した[注釈 2]

元々PET 2001のユーザーグループを母体とした会社であり、PET 2001にサードパーティとしてPCGやゲームソフトを提供した。その実績を買われ、PET 2001の後継機VIC-1001ではコモドールジャパンの下請けとしてゲームの開発を担当する。引き続いてVIC-1001の後継機マックスマシーンにも『Jupiter Lander』(1982年)などを提供し、これらのゲームはマックスマシーンが発売されなかった欧米では上位互換機のコモドール64向けゲームとしてコモドール本社からリリースされた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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