H2O_(日本の歌手グループ)
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H2O
出身地
日本長野県上田市
ジャンルニューミュージック
活動期間1976年 - 1985年
1999年 - 2003年
レーベルKitty Records
ユニバーサルミュージック
事務所アミューズ

メンバー赤塩正樹ボーカルギターピアノ
中沢堅司(ボーカル・ギター)

H2O(エイチツーオー)は、日本音楽デュオ

1976年に結成され1985年に解散。1999年に再結成したが、その後、解散。代表曲は「想い出がいっぱい」、「ローレライ」など。
メンバー

人名生年月日出身地担当
中沢堅司
(なかざわ けんじ) (1957-06-12) 1957年6月12日(66歳)長野県上田市ボーカル
ギター
赤塩正樹
(あかしお まさき) (1957-04-27) 1957年4月27日(67歳)ボーカル
ギター
ピアノ

略歴

上田市立第三中学校在学中、同級生であった中沢堅司(現・なかざわけんじ)と赤塩正樹は別々の高校に進学したものの「スプリング・ブリーズ」というバンドを結成。しかし大学進学、上京を機にバンドは解散へと至る[1]

大学在学中に2人で活動をすることを決意。グループ名は「イエロー・ウイングス」も候補に挙がっていたが[1]、H2Oに決定。化学式の表記をグループ名にすることで「化学反応を起こしたい」という意味合いもあったとしている[1]。活動をはじめた2人が作ったデモテープが認められ、ミュージシャンの林立夫の紹介で、大学2年生の時に[1]アミューズに籍を預けることになる。「H2O」はプロデビューへ向けた楽曲制作に取り掛かるも、プロデューサーから幾たびも直しを言い渡され続けたという。

1980年6月、薬師丸ひろ子主演映画「翔んだカップル」の挿入歌「ローレライ」でデビュー。その後、TV版「翔んだカップル」の主題歌「僕等のダイアリー」が続けてヒット。

1981年に改名の話があった。同じアミューズ所属の桑田佳祐が考案した「太郎山ブラザーズ」(この名前は、地元・上田市の太郎山で二人がバンド練習をしていたという話から。ファーストアルバム「Water Land」のキャッチコピーが「ファースト&ラストアルバム」となっていたのも、この話があったということによる)に改める予定があったが、アミューズ社長の大里洋吉の鶴の一声でこれは取りやめになった[1]

1983年3月25日、5枚目のシングル想い出がいっぱい/10%の雨予報」をリリース。両A面シングルであり、両楽曲共にフジテレビ系アニメ『みゆき』のエンディング曲(前者)、およびオープニング曲(後者)に起用され、大ヒット。一躍知名度を上げた。この曲のレコーディング前に、事務所から「あと半年で契約を終了しよう」と言われていたとのことで、起死回生と言えるヒットとなった[1]

2人はオリジナル曲での活動を求めていたが、事務所の方針でシングル発表される曲は有名な作詞・作曲家の手によるものが多く、自分たちの楽曲はB面やアルバム収録曲に留まっていた。また『想い出がいっぱい』以降は大きなヒット曲に恵まれなかったことに加え、音楽番組やヒットチャートではアイドルや、後にJ-POPと呼ばれるバンドの楽曲が華を咲かせていたため、フォークデュオの形態で歌う2人はジレンマと焦りを感じていたという。当時アミューズに勤務していた寺内壮が新たにマネージャーに着任し、今後の方針を話し合う席で解散の意思を伝えた。

1985年、解散。2人は別々の道を歩むこととなる。

1999年に再結成、上田市制80周年のイメージソング「ここにおいでよ」をビクターエンタテインメント(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から発売。

2003年にはセルフカバーによる「想い出がいっぱい ?the 21st century?」を発売。その後、解散。

なかざわけんじは、解散後、1987年 「Kenji Nakazawa With Fiction Band」発売(テイチクレコード)ソロアーティストとしてデビュー。

ライブ活動をメインとしながらスタジオミュージシャンとして光GENJIのレコーディングに参加。以降のソロ作品としては

2008年 シングル「恋ごころ」(Very Records)

2010年 アルバム「Happy way」(ポニーキャニオン)

2012年シングル「あの時の少女へ」(Very Records)


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