H-IIロケット
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H-II
H-II GTV
基本データ
運用国 日本
開発者NASDA
三菱重工
運用機関NASDA →RSC
使用期間1994年 - 1999年
射場種子島宇宙センター 吉信射点
打ち上げ数7回(成功5回)
開発費用2,750億円
打ち上げ費用190億円
発展型H-IIAロケット
公式ページ ⇒JAXA - H-IIロケット
物理的特徴
段数2段
ブースター2基
総質量264 トン
全長49.9 m
直径4.0 m(本体部分)
軌道投入能力
低軌道10,000 kg[1]
300km / 30.4度
中軌道5,000 kg
1,000km / 30.4度
太陽同期軌道4,000 kg
800km / 99度
静止移行軌道3,800 kg[1]
250km x 36,226km / 28.5度
地球脱出軌道2,000 kg
宇宙基地軌道[2]9,000 kg
250km / 51.6度
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H-IIロケット(エイチツーロケット、エイチにロケット)は、宇宙開発事業団 (NASDA) と三菱重工が開発し、三菱重工が製造した人工衛星打上げ用ロケット。日本の人工衛星打ち上げ用液体燃料ロケットとしては初めて主要技術の全てが国内開発された。
目次

1 概要

2 構成と諸元

2.1 主要諸元一覧

2.2 構成


3 開発史

4 打上げ実績

5 H-II 展示機

5.1 H-IIロケット7号機

5.2 筑波宇宙センター

5.3 実物大模型


6 名称

7 出典

8 関連項目

概要

科学衛星打ち上げを目的とした宇宙科学研究所の一連の固体燃料ロケットでは、日本が世界4番目の人工衛星打ち上げ国となる等、国産技術による開発が進んでいたが、科学衛星に比べて大型の通信、放送、気象などの実用衛星を打ち上げる液体燃料ロケットの開発を担当することになった宇宙開発事業団では3世代目のH-Iロケットまで、アメリカデルタロケットの技術を導入して主要部のライセンス生産をしていた。例えば、H-Iロケットで国内開発が実現していた主要部位は第2段・第3段用エンジンや慣性誘導装置等のみで、最も重要な第1段用エンジンはアメリカのものであった。

こうした状況の中、国内技術の進歩を図って高い信頼性と低コストで打上げを可能にし、1990年以降の2t級静止衛星の需要増加に適応することを目標に、1984年にH-IIロケットの「開発研究」が[3]1986年に「開発」が開始された[4]。これと同時にLE-5開発の経験を基に初の国産第1段用エンジンLE-7の開発も開始され、開発試験中の一人の死亡事故を含む爆発・火災事故などの難航を経て1994年に完成した。また、固体補助ロケットブースターも国産化し、初めて純国産液体燃料ロケットの開発に成功した[5]。また、H-IIを使用した衛星打ち上げを請け負う民間ロケット会社『ロケットシステム(RSC)』を1990年に設立している。(1995年の試験3号機から請負。)

そして、1994年2月4日午前7時20分、第1号機の打ち上げに成功した。LE-7の開発が難航したため予定より2年遅れての打ち上げであった。この打ち上げで、搭載した性能確認用衛星(VEP、のちに「みょうじょう」と命名)と、軌道再突入実験機(OREX、のちに「りゅうせい」と命名)の地球周回軌道投入に成功した。

その後1997年まで合計5機の連続打ち上げに成功したが、打上げコストは1機あたり190億円でアリアンなどの諸外国製ロケットより遥かに高く、100億円以下が標準とされる国際市場での競争力は無かった。これはH-IIの開発検討が始まった1982年当時の1ドル240円のレートから円高が急激に進んだためであり、1号機が打ち上がった1994年には、1ドル100円台前半であった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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