H・R・F・キーティング
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H・R・F・キーティング
H. R. F. Keating
ペンネームイヴリン・ハーヴェイ
誕生ヘンリー・レイモンド・フィッツウォルター・キーティング
Henry Reymond Fitzwalter Keating
1926年10月31日
イースト・サセックスヘイスティングス
死没 (2011-03-27) 2011年3月27日(84歳没)
ロンドン
職業推理作家
言語英語
国籍 イギリス
最終学歴トリニティ・カレッジ
活動期間1959年 - 2011年
代表作『パーフェクト殺人』(1964年)
主な受賞歴ゴールド・ダガー賞
1964年 パーフェクト殺人
エドガー賞 評論賞
1979年 シャーロック・ホームズ 世紀末とその生涯

デビュー作"Death and the Visiting Firemen" (1959年)
配偶者シーラ・ミッチェル(女優)
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H・R・F・キーティング(Henry Reymond Fitzwalter "Harry" Keating、1926年10月31日 ? 2011年3月27日[1])は、イギリス推理作家。代表作は、インドを舞台にガネッシ・ゴーテ警部が活躍するシリーズ[1]
経歴

1926年イースト・サセックス州ヘイスティングス西部の町、セント・レナーズ・オン・シーに生まれたキーティングは、家族や友達から「ハリー」と呼ばれながら育ち、8歳の頃に初めて物語を書いた。ロンドンマーチャント・テイラーズ・スクールに通い、ダブリントリニティ・カレッジに進学した[2]1956年デイリー・テレグラフ紙にジャーナリストとして勤めるためにロンドンへ引っ越す。タイムズではミステリの書評家として15年間勤めた。1970年から1971年まで英国推理作家協会の会長を務め、1983年から1984年まで作家の労働組合であるソサエティ・オブ・オーサーズのチェアマンを務めたほか、1985年から2000年までディテクションクラブの会長を務めた。王立文学協会の会員でもあった。

1995年、ジョージ・N・ダブ賞を受賞。1996年、推理小説の分野への貢献を評され、英国推理作家協会よりダイヤモンド・ダガー賞を授与される。脚本家や書評家として活躍したほか、アガサ・クリスティーの伝記なども執筆した。

2006年の80歳の誕生日に、ディテクションクラブのメンバーがアンソロジー"Verdict of Us All" で祝福した。2011年3月27日に他界するまで、妻で女優のシーラ・ミッチェルとロンドンで暮らした。
作品
初期の作品

キーティングが初期に発表した4編はゴランツ社から出版された。1963年に発表した5作目の『ふとった神の死』(原題:Death of a Fat God )からはコリンズ・クライム・クラブに移り、約20年間同社から作品を出した。
ゴーテ警部シリーズ詳細は「en:Inspector Ghote」を参照

ガネッシ・ゴーテ警部は、ボンベイ警察の主任警部で26編の小説に登場する。初登場は『パーフェクト殺人』(1964年)で、同作はゴールド・ダガー賞を受賞したほか、1966年エドガー賞 長編賞にノミネートされた。マーチャント・アイボリー社製作で1988年に映画化された。キーティングは2000年に刊行された"Breaking and Entering" でシリーズ最終作にするつもりだったが、2008年の"Inspector Ghote's First Case" に再び登場した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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