H・G・ウェルズ
[Wikipedia|▼Menu]

H・G・ウェルズ
H. G. Wells
1943年に撮影されたウェルズ
誕生1866年9月21日
イギリス
イングランドケント州 ブロムリー
死没 (1946-08-13) 1946年8月13日(79歳没)
イギリス
イングランドロンドン
職業作家
国籍 イギリス
主題小説随筆ノンフィクション
文学活動国際ペンクラブ2代目会長(在任1933年?1936年
代表作『タイム・マシン
宇宙戦争
透明人間
子供ジョージ・フィリップ・ウェルズ
影響を受けたもの

進化論
社会主義

影響を与えたもの

サイエンス・フィクション
ウォー・ゲーム
原子爆弾
人権宣言
国際連盟
糖尿病患者協会
日本国憲法

公式サイト ⇒H.G.ウェルズ協会 (The H.G. Wells Society)
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells, 1866年9月21日 - 1946年8月13日)は、イギリスの著作家。小説家としてはジュール・ヴェルヌとともに「SFの巨人」と呼ばれる。社会活動家や歴史家としても多くの業績を遺した。H・G・ウエルズの表記もある。
生涯
作家以前

1866年イングランドケント州ブロムリー(現在のブロムリー・ロンドン特別区)の商人の家に生まれる。父ジョゼフ・ウェルズは園丁クリケット選手としても働き、母サラ・ニールはメイドだった。家庭は下層の中流階級に属しており、ウェルズは父の負傷後には母が働いていたアップパーク邸に寄食するのうになる。ウェルズはこの館でプラトンの『国家』、トマス・ペインの『人間の権利』、ジョナサン・スウィフトなどを読んだ。この頃、呉服商や薬局の徒弟奉公、見習い教師などを経験するがいずれも続かなかった。当時の体験は、のちに『キップス』『トーノ・バンゲイ』などの小説に生かされている。

奨学金でサウス・ケンジントンの科学師範学校(Normal School of Science、現インペリアル・カレッジ)に入学。トマス・ヘンリー・ハクスリーの下で生物学を学び、進化論はウェルズの人生に影響を与えることになる。学生誌『サイエンス・スクールズ・ジャーナル』に寄稿し、1888年4-6月号に掲載された『時の探検家たち』は、のちの『タイム・マシン』の原型となる。1891年には、四次元の世界について述べた論文『単一性の再発見』が『フォート・ナイトリ・レヴュー』に掲載された。
作家活動

ウェルズは教員をめざすが、教育界の保守的な体質と自身の病気により道を阻まれ、文筆活動へ進む。やがてジャーナリストとなり『ベル・メル・ガゼット』や『ネイチャー』に寄稿する。1890年代から1900年代初頭にかけて『タイム・マシン』(1895年)をはじめ『モロー博士の島』(1896年)『透明人間』(1897年)『宇宙戦争』(1898年)など現在でも有名な作品を発表する。これら初期の作品には、科学知識に裏打ちされた空想小説が多く、ウェルズ自身は「科学ロマンス」と呼んだ。

1900年、ケント州のサンドゲイトに邸宅を購入し、執筆活動と文士との交際を行なう。未来について考察した『予想』の発表などが転機となり、文明批評色の濃い作品や風俗小説を発表するようになる。やがて社会主義に傾倒し、1902年にはジョージ・バーナード・ショーの紹介で社会主義団体であるフェビアン協会に参加。その後も人類への憂慮を背景にした作品を発表し続け、第一次世界大戦の前に原爆を予見した『解放された世界(英語版)』を発表。終戦後に出された歴史書『世界史大系』は幅広く読まれた。
社会活動

第一次大戦後、戦争を根絶するために国際連盟の樹立を提唱し、ワシントン会議に出席。『新世界秩序』では、全ての国家に人権の遵守と軍備の非合法化を訴えた。また、母性保護基金、糖尿病患者協会、新百科全書、人権宣言などの運動を行なった(後述)。政治家との交流としては、ウッドロウ・ウィルソンへの直談判、ウラジーミル・レーニンフランクリン・ルーズベルトヨシフ・スターリンとの会見などを行なった。

社会主義と同時に優生学を支持するウェルズは、社会主義団体フェビアン協会に参加すると同時に、著名な優生学支持者の一人だった[1]
私生活

1891年に従姉にあたるイザベル・メアリー・ウェルズ(1865-1931)と最初の結婚をし、1895年に教え子だったアミー・キャサリン・ロビンズ(1872-1927)と再婚。アミーとの間に長男ジョージ・フィリップ、次男フランク・リチャードが生まれた。ウェルズは艶福家であり、ときに非難を受けた。関係のあった相手としては、産児制限活動家のマーガレット・サンガー、小説家のエリザベス・フォン・アーニム、フェビアン協会メンバーのアンバー・リーヴス、作家のレベッカ・ウェスト、オデット・カーン、マリア・ブドゥベルグらが知られている。またチャールズ・チャップリンとは懇意にしており、自作『来るべき世界』の映画化においては助言を求めた。
晩年、死後

教員を目指していた頃に罹った肺病の他、生涯を通じて糖尿病、腎臓病、神経炎などさまざまな疾病と闘い、ロンドンの自宅にて肝臓がんにより逝去。フォレスト・J・アッカーマンによれば、晩年のウェルズは、自作の題名を部屋につけており、アッカーマンは「海の貴婦人」の間でウェルズと会見をした[2]

1960年にH.G.ウェルズ協会が設立されたのをきっかけに再評価がすすみ、1986年にはパトリック・パリンダーの主導によりウェルズ国際シンポジウムが実現。『モロー博士の島』や『宇宙戦争』の詳細な注釈書も出版された。『タイム・マシン』をはじめとしてウェルズの作品は幾度も映像化されている(#外部リンク参照)。日本においては、日本ウェルズ協会が1974年に設立。会長は今西錦司だった。
作品と影響
サイエンス・フィクション
後世でもよく扱われるSF的題材を数多く生み出し、また発展させた事で評価を得ている。
タイムマシンをはじめ、蛸型の火星人透明人間などが広く知られている。その他にも動物の知性化(『モロー博士の島』)、テロの道具としての細菌(『盗まれた細菌』)、合成食品(『神々の糧』)、反重力(『月世界最初の人間』)、新兵器(『陸の甲鉄艦』『空の戦争』『解放された世界(英語版)』)などがある。
ユートピア


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:60 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef