1999年の初め、ブリンとペイジはGoogleをExciteに売り渡すことを希望していた。2人はExciteの最高経営責任者(CEO)ジョージ・ベルを訪問し、Googleを100万ドルで買収するオファーを持ちかけたが、ベルはこのオファーを拒絶した。 Exciteのベンチャーキャピタリストの1人ビノッド・コースラは、Googleを75万ドルで売り渡すようペイジらを説得することに成功したが、それでもベルはGoogle買収を却下した[40]。
当初、ペイジとブリンは「広告収入に頼る検索エンジン」に反対する姿勢を示していたが、2000年にGoogleは検索されたキーワードと関係のある広告を表示するサービスを開始した[17][41]。整然としたページデザインを維持するため、表示されるのはテキストベースの広告のみとされた[42]。
検索キーワードに応じた広告を表示し、広告収入を得るというビジネスモデルを最初に開拓したのは、ビル・T・グロス(英語版)が設立したGoTo.comだった[43][44]。GoTo.comの後身であるOverture Services社は、同社が保有するペイ・パー・クリック技術ならびに各キーワードごとに広告をオークション形式で販売する技法について、Googleが特許を侵害しているとして訴訟を起こした。その後、Overture Services社はYahoo! によって買収され、「Yahoo! Search Marketing(英語版)」と改称された。2004年8月9日、両社は和解に至り、Yahoo!がGoogleに問題の特許を無期限でライセンスする見返りとして、GoogleはYahoo!に対して270万株のクラスA普通株を発行することに合意した[45]。
2001年、GoogleのPageRank技術についての特許申請が受理された[46]。PageRankについての特許は公式にスタンフォード大学に帰属するものとされ、ローレンス・ペイジ (ラリー・ペイジの本名)が発明者として記載された。会社の規模が成長し、従来の2つの拠点では不十分となったことで、Googleは2003年、カリフォルニア州マウンテンビューアンフィシアター・パークウェイ1600番に位置するシリコングラフィックス所有のオフィスビルをリースした[47]。このオフィスビルは「Googleplex(グーグルプレックス)」と呼ばれるようになったが、この名称はグーゴルプレックス(googolplex)という数の単位(1グーゴルプレックスは1の後に0が1グーゴル個連なった値)の言葉遊びだった。2006年、Googleはこの物件を3億1,900万ドルでシリコングラフィックス社から買い取った[48]。
「Google」という言葉が日常的な語として浸透したことを受け、2006年に『メリアム=ウェブスター大学辞典』ならびに『オックスフォード英語辞典』は「Google」という動詞を収録した[49][50]。大衆文化における動詞「Google」の最初の使用例は、TVドラマシリーズ『バフィー ?恋する十字架?』 の2002年のエピソード内で見られた[51]。
株式公開(2004年)エリック・シュミット。2001年から2011年までGoogleのCEOを務めた。
2004年8月19日、Googleの株式公開(IPO)が行われた。IPOの直前、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、エリック・シュミットの3人は、2004年から2024年までの20年間、Googleでともに働くことに合意していた[52]。
GoogleのIPOでは、1,960万5,052株が1株あたりの価格85ドルで売り出された[53][54]。GoogleのIPOは、引受会社であるモルガン・スタンレーとクレディ・スイスが用意したシステムのもと、オンラインのオークション方式で実施された[55][56]。IPOによりGoogleは約16億7,000万ドルの資金を調達し、その株式時価総額は230億ドル以上となった[57]。Googleのライバル企業であるYahoo!もまた、このIPOにより大きな利益を得た。Yahoo!はIPO以前にGoogleの株式を840万株保有していた[58]。
他方、IPOがGoogleの企業文化の変質につながるのではという懸念が存在した。懸念の根拠として、IPOによって従業員の福利厚生の削減を求める株主からのプレッシャーが生じること、多くの会社幹部がIPOと同時に(保有する株式上の)億万長者となることなど、種々の要因が指摘された[59]。こうした懸念への返答として、ブリンとペイジは潜在的な投資家に向けた報告書の中で、IPOがGoogleの企業文化を変えることはないと保証した[60]。
2005年の『ニューヨーク・タイムズ』の記事[61]ならびに他の媒体においては、Googleが、自社利益の優先に反対する「邪悪になるな (Don't be evil.)」との企業理念を失っていることが示唆された[62][63][64]。ユニークな社内文化を維持するための努力として、 Googleは「チーフ・カルチャー・オフィサー」という役職を設けた。チーフ・カルチャー・オフィサーは人事部長を兼任し、その役割は企業文化の開発・維持すること、そしてGoogleの核となる価値観(協力的な環境を持つフラットな組織であること)に忠実であるための方法を編み出すこととされた[65]。