GRAPEVINE
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高校時代の3年間、ラグビーをやっていた。現在でもラグビーは好きで、2019年に日本で開催されたワールドカップ期間には、日本が勝つたびに喜びのコメントを寄せていた。

アナログフィッシュの佐々木健太郎とは親交があり、よく酒を飲みに行く仲だという[4]。その縁からか、同バンドのアルバムのレコーディングに参加した経験がある。


サポートメンバー

金戸覚(かねと さとる、 (1966-08-25)
1966年8月25日(57歳) - )ベース

愛媛県出身。A型駒澤大学卒業。元WILLIES APPLE、元JOHN BRIEF。B.F.I、FTK&Kでも活動している。

寺岡呼人玉木宏柳田久美子門田匡陽などのライブやレコーディングにも参加している。

西原休養時の2001年にライブ「Whitewood」に参加。西原脱退後の2003年のツアー以降、再びサポートとしてバンドの作品及びライブに参加。


高野勲(たかの いさお、 (1969-03-05) 1969年3月5日(55歳) - )キーボードギター

北海道出身。元benzo

Scoobie Do小谷美紗子サニーデイ・サービスなどのライブでサポートメンバーを務めたことがあり、ロックバンドRouse Gardenのプロデューサーも担当している。

金戸と同じく2001年のライブ「Whitewood」から参加。12thシングル「ナツノヒカリ」からバンドの作品にも参加している。

2009年から田中と共に「Permanents」名義での活動も行っている。




2人は正式なメンバーでは無いものの、3人体制になってからのインタビューで田中は「意識としては今年(2003年)から(金戸、高野を含めた)5人バンドなんで」[5]、「実際にライブでもレコーディングでもずっと5人で作っているんで、ほとんどメンバーみたいな気分というか、こっちとしては、5人バンドをやっている気分」[6]と発言しており、バンドには欠かせない存在となっている。
田中は3人編成で活動する理由について、金戸と高野がミュージシャンとして他でも活動していることから、「単純にそのほうがフレキシブルだからですよ」と述べており、「特別その正式メンバーにこだわる理由がひとつもないというか。(中略)たぶんプロモーションでの見せ方ってことだと思うんですけど、ライブは事実ずっと5人でやってるわけですから」とも語っている[7]

元メンバー

西原誠 (にしはら まこと、 (1969-08-21)
1969年8月21日(54歳) - )ベース作曲。在任中はGRAPEVINEのリーダーを務めていた。

広島県出身。B型

ジストニアの治療のため一時バンドを離脱し、一度は復帰したものの、再発によりベースの演奏に困難をきたす事態になった為、2002年12月1日に本人の申し出で脱退した[8][9]

5thシングル「光について」のc/w「窓」では作詞を担当している。

脱退後はベースと平行し主にギタリストへと転向、THE LATERS、Dropなどのバンドや、他のバンドのプロデュース等で活動している。現在でもメンバーと交流がある。現在は「JIVES(THE JIVESとは別物)」を結成、またプロデュースしていた「ライターイチキューゼロイー」にメンバーとして加入している。


来歴

1993年、西原誠、西川弘剛らにより大阪で結成。同年にメンバー募集のチラシを見て参加した田中和将、翌1994年に西川の後輩である亀井亨が加入し、大阪を拠点に精力的に活動を行う。

1997年にミニアルバム『覚醒』でメジャー・デビューし、東京に進出する。

1999年に4thシングル「スロウ」でブレイク。同年にリリースされた2ndアルバム『Lifetime』はバンド最高位となるオリコン初登場3位を獲得した。

2001年、結成当時からのリーダーである西原誠が、ジストニア治療に専念するためバンドを一時離脱。同年に行われた全国ツアー「Whitewood」では、サポートメンバーに金戸覚(ベース)と高野勲(キーボード)を迎える形で行われ、以降のライブはキーボードを加えた5人編成で活動している。西原は翌2002年に復帰するが、ジストニアの症状が再発した為、同年内をもって脱退。

メジャー・デビュー以降は、2006年2014年を除き、ほぼ毎年コンスタントにアルバムをリリースしている(2010年は「長田進withGRAPEVINE」名義でのリリース)。2012年にメジャーデビュー15周年を迎えた。

2014年、デビュー当時から在籍していたポニーキャニオンを離れ、数か月間のどこにも所属しない期間を経た後、SPEEDSTAR RECORDSへレーベル移籍することを発表[10]SPACE SHOWER MUSICとのマネージメント契約締結も併せて発表された[11]。レーベル移籍後、以前はしなかったようなMVでの演技や、メディアへの積極的な露出が増えたことについて、田中は契約の時に「なんでもしますんで」という約束をしたことを挙げている。
エピソード
メンバー

田中はもともとギターで入りたかったが、セッションにて歌声を聴いた西原の推薦によりボーカル担当となる。そのため、デビュー前にボーカルの重圧に耐えかね一時失踪している(実際は西原の留守電に辞めたい旨の伝言を残し、その足でフェリーで四国に向かうがその日のうちに帰ってきた)。その後西原による再三の説得により復帰。ギター志望だっただけありギターの腕前は良く、よくライブで西川と掛け合いでギターソロをやっている。


ライブ終わりに田中の言う「アーリガットサーン!」はイベントや配信終わりにTwitterなどでファンが言う〆の言葉にもなっている。


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