GO_AHEAD!_(アルバム)
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『GO AHEAD!』
山下達郎スタジオ・アルバム
リリース1978年12月20日 (1978-12-20)
録音.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

ONKIO HAUS 1st, 2nd & 3rd

MEDIA 2nd

RCA 1st

ジャンル

ジャズ

ファンク / ソウル

ポップス

ジャズ・ロック

時間

SIDE A:21分23秒

SIDE B:20分45秒

レーベルRCA / RVC
プロデュース山下達郎
チャート最高順位


週間75位(オリコン

山下達郎 アルバム 年表



PACIFIC

(1978年 (1978))


GO AHEAD!

(1978年 (1978))


MOONGLOW

(1979年 (1979))



『GO AHEAD!』収録のシングル

LET'S DANCE BABY
リリース: 1979年1月25日 (1979-01-25)

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『GO AHEAD!』(ゴー・アヘッド)は、1978年12月20日 (1978-12-20)に発売された山下達郎通算3作目のスタジオ・アルバム
解説

前作 『IT'S A POPPIN' TIME[注釈 1]収録曲の雰囲気から、東京を中心とした山下への音楽的評価は決して低いものではなかった。当時の山下のレコードセールスはその8割近くが東京周辺におけるものだったという。CM音楽等にて山下の需要は少なくなかったが、レコード会社の評価は「技術はあるが(セールスの)数字が期待できない」となっていた。

山下自身も当時、自分の生きてきたロックフォークの世界が新しい段階に入ったことを感じ、このまま行けばおそらく自分のレコードやライブ活動はいずれあきらめざるを得ないだろうと思っていたという。そのため、多分このアルバムが最後になるだろうという悲観的な予測をしていた。そんな状態では曲作りもままならず、どうせ最後だからやりたいことをやって終わりにしようと書き下ろした数曲は、それまでのものよりずっと作家性の強い作品で、それは、この先作曲家で生きて行こうという意志の表れでもあったという。アルバム1枚分の曲を書ける自信がなかったので、その頃作曲家として人に提供していた作品や、カヴァーなども入れることにしたので作家性はさらに強まり、『SPACY[注釈 2]からはがらっと変わって、山下自身言うところの五目味、あるいはバラバラな曲調が混在するアルバムとなった。そのため評論家やリスナーからは、まとまりがないなどと随分批判されたというが、苦し紛れに始めた作家主義が、以降に連なるアルバム制作方針の萌芽だったともいえるという[1]

LET'S DANCE BABY」「BOMBER」「潮騒 (THE WHISPERING SEA)」の3曲は、ベスト・アルバムGREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA[注釈 3]に収録されたほか、「PAPER DOLL」を加えた4曲がオールタイム・ベストOPUS ?ALL TIME BEST 1975-2012?[注釈 4]に収録された。

本作では、担当ディレクターの小杉理宇造も、コーラスやパーカッションの演奏で参加している[注釈 5]
パッケージ、アートワーク

アルバム・カヴァーのイラストとデザインは、それまでの3作と同じペーター佐藤。予算なし、時間なしで、知己を頼みで3日で書いてもらったイラストは、日本のメディアから酷評されたが、アメリカに持っていくと誰もが素晴らしいと褒めてくれ、日本と海外のカルチャー・ギャップはこんなにも深いのかと思わされたという[1]
収録曲
SIDE A
OVERTURE  ? (0:48)一人アカペラによるオープニング曲。主にCMの仕事で実験してきた一人多重
コーラスの成果を、本作から意識的に多用し始めた。

LOVE CELEBRATION  ? (4:26)もともとは1978年 (1978)春に、細野晴臣プロデュースによるリンダ・キャリエール(Linda Carriere)のアルバムが企画・制作されたが、ボーカルの出来が思わしくなく、デモ・レコーディングのみで中止となった。山下はそのアルバムのために2曲を書き下ろしたが、もったいないのでそのうちの1曲であるこの曲を、本作で使用した。山下によれば曲調は1970年 (1970)代のシカゴR&Bを目論んだものだが、上原裕田中章弘のリズム・セクションだとマイアミあたりの雰囲気になるという[1]。同年、この曲には安井かずみによる「バイブレイション」という日本語の歌詞が付けられ、笠井紀美子の歌でシングル・カットされた(アルバム『TOKYO SPECIAL』に収録、編曲鈴木"コルゲン"宏昌)。

LET'S DANCE BABY  ? (4:12)ある日、東芝のディレクターからザ・キングトーンズのアルバムを作るので曲を書いて欲しいと、突然電話が来た。行ってみると、既に歌詞はすべてできていて、3曲分が渡された。吉岡治の詞が2曲、クリス・モズデルの英語詞が1曲。その中の1曲がこの<レッツ・ダンス・ベイビー>だった。当時、自分用の曲が全然できなかったため、この曲もこのアルバムのレコーディング・リストに加えたところ、この曲のいきさつを全く知らなかったディレクター小杉理宇造が「これはいい。この曲をシングルにしよう」と、あれよあれよという間に、アルバム4作目にして初のシングル曲となった。この当時、レコード会社は何の関心も示さず、そのためジャケット写真はアメリカで小杉に撮ってもらったスナップが使われた[1]。“心臓に指鉄砲”の箇所にシャレで入れたピストルのSEを、あるとき2人の客がクラッカーで真似をして、それが全国に拡がっていったエピソードとともに、その後もライブで演奏されている。

MONDAY BLUE  ? (7:12)R&Bテイストの三連バラードを前から作ってみたいとの思いから、村上秀一岡沢章松木恒秀佐藤博という陣容を想定して、自身が言うところの“座付き作家”パターンで作った作品。4人の緊張感の衝突ともいうべき演奏によって山下自身、素晴らしいテイクに仕上がったと思っている。エンディング近くのピアノのグリス・ダウンが落ちきって静寂が訪れた時、コントロール・ルームで聴いていた全員がため息をついたという[1]

ついておいで (FOLLOW ME ALONG)  ? (4:48)当時アメリカで流行していた16ビートの世界をやってみたいとの理由で作られた。ヴァースには、別に作られていたモチーフから持ってきたものが付けられている[1]。2010年 (2010)発売のシングル「街物語(まちものがたり)[注釈 6]に2009年 (2009)のライブ・ヴァージョンが収録された。

SIDE B
BOMBER  ? (5:58)このアルバムで最初にレコーディングされたこの曲は当時、ポリリズム・ファンクに耽溺していたので、こういった曲調を一度やってみたかったというだけの作品だったという。本作のレコーディングはそれまでとは違ったライン・アップで行きたいと思い、以前からセッションで目を付けていた難波弘之と、旧友の椎名和夫に声をかけ、前作『SPACY』[注釈 2]のレコーディング・メンバーだった上原・田中の二人を加えたメンバーで録音された[1]。次作『MOONGLOW[注釈 7]は、全面的にこのメンバーでレコーディングが行われた。


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