GODZILLA
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日本のアーティストからはL'Arc?en?Cielの「浸食 ?lose control?」(クレジットでは「LOSE CONTROL」)が提供された[注釈 9]。音楽番組『うたばん』にL'Arc?en?Cielがゲストとして登場した際に劇中での使用箇所(冒頭の日本漁船のシーンに10秒ほどかかる)を取り上げられているが、クローズアップしてもなお聴き取りにくいほどのボリュームであり、L'Arc?en?Cielのメンバーですら初見で聴き取ることはできなかった。
エメリッヒ版以前の北米版ゴジラ
ゴジラ キング・オブ・ザ・モンスターズ・イン・3D (1983年)[57]
1983年に『13日の金曜日 PART3』などの映画監督スティーヴ・マイナーにより企画された。脚本はフレッド・デッカー。3D映画でゴジラは日本式のぬいぐるみではなくストップモーション・アニメーションで撮影される予定で、画家のウィリアム・スタウトが絵コンテを、彫刻家・アマチュア恐竜研究家であるスティーブン・ツェルカスは検討用モデルを製作し、デイビッド・アレンがゴジラ本体を、リック・ベイカーがクローズアップ用の頭部などを製作することに決まり、ドリームクエストとILMVFXを担当することになった[58]。スタウトはゴジラを肉食恐竜に似たデザインにし、恐竜以前に存在した、体内に核エネルギーを持つ太古の生物という設定で、放射能火炎を吐くシーンもある。現在、いくつかのイメージボードやコンセプトアート、検討用モデルを見ることが出来る。ソ連の核ミサイルが太平洋上で誤爆し、深海から放射能で突然変異した恐竜が出現。メキシコの海岸に打ち上げられた恐竜のこどもの死体を追って母ゴジラがサンフランシスコを破壊するというストーリーであった[58]。劇中にはゴジラの幼体が登場し、またゴジラが人間の子供と心を通わせるようなシーンもある。マイナーは企画の売り込みに奔走し、ワーナーブラザーズで決まりかけたが、予算額で折り合いがつかなかった。マイナーは20世紀FOXにも企画を持ち込むが、同様の理由で頓挫[58]。1984年末に本作品の製作は中止となった。
GODZILLA (1994年)[59][60]
1994年にヤン・デ・ボン監督の予定で、後に『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズを担当することになるテッド・エリオットテリー・ロッシオによって脚本が執筆されたが、製作費の問題で最終的に内容を大幅に改変され、1998年版『GODZILLA』の原案となった。製作費が高額になった理由は、ゴジラファンであるデ・ボンが着ぐるみにこだわり、CGを使わずにミニチュアセットを作って撮影しようとしたためであり、スタジオと意見が対立したデ・ボンは降板している[61]。ゴジラは地球の古代文明が遺した生物という設定で、身長250フィート(約80メートル)と描写されている。デザインはスタン・ウィンストンが担当し、デ・ボンが着ぐるみを希望していたため人型に近いデザインになっている[61]。ゴジラが体内に持つ核エネルギーの活動を抑制する「羊水のような液体」が登場し、これを使って軍がゴジラを捕獲するシーンがある。敵役として、地球侵略を狙う異星人が送り込んだ探査機により誕生した有翼の巨大怪獣「グリフォン」が登場し、クライマックスでは両怪獣がニューヨークで激突する。主演には高倉健が予定されていた。これは、デ・ボンが撮影監督時代に『ブラック・レイン』で一緒に仕事をして以降、互いに交友を深めた縁からでもあった[61]。デ・ボンは高倉をロサンゼルスに呼び、テスト撮影まで行っている[61]
続編の企画

本作品は興行的な成功は達成したと言えるものの、特に旧来のゴジラファン層からの評価は芳しくなく、また関連商品の販売業績も苦しい結果に終わった。その影響で、本来なら予定されていた本作品の第2作・第3作となる続編の企画は延期になった[38]。続編の企画にはディーン・デヴリンもプロデューサーに加わり、第1作の製作陣の多くが携わる予定となっていた。その後、実写版の続編の企画が中断されたことが大きく影響し[33]、2003年にゴジラの版権が東宝に帰結して続編作成の計画は無に帰した[62]。さらに、これらの続編のプロットにおける設定を利用して後のアニメシリーズ作品が製作される運びとなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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