GODZILLA
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最終的には“日本のキャラクターとして破格の「ギャラ」を受け取り[注釈 5]、ハリウッドに出演した”という形になる。その際、東宝からは「モスララドンキングギドラの3怪獣と[10]スタッフ、俳優の貸し出しは行わない」という条件が提示された。

この段階では、1995年正月の公開を目指していた[19]。これに伴い、日本では本作品の公開に合わせる形で『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)でシリーズを終了させる予定だったが、本作品の延期から『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)を急遽制作することになった[出典 4]。その後、1997年に公開される見通しが立ったことから、続く『ゴジラvsデストロイア』(1995年)で日本のゴジラシリーズは一旦終了することとなったが、実際の公開は1998年へずれ込んだ[23]。この段階で東宝側は、本作品のヒットは確実視されていたことからシリーズ化により2作目3作目も制作されることを見越し、日本版の再開は10年後になるだろうと想定していた[24]
初期の脚本や設定

監督候補にはゴジラファンを自認するティム・バートン[10][19][注釈 6]ジェームス・キャメロンなどの有名監督の名が挙がる中、ゴジラファンとして有名なヤン・デ・ボンが決定した[25]。この時に制作されたゴジラのデザインは原典に近く、宇宙からやってきた怪獣グリフィンとゴジラが対決するという脚本も準備されており、製作開始を告げる予告編が『ゴジラvsメカゴジラ』を上映していた日本の劇場でも流された。1994年には、デボンが自作品『スピード』のプロモーションで来日した際に記者会見でゴジラについて言及したり、『ゴジラvsスペースゴジラ』の撮影現場を見学するなどしていた[25][26]。しかし、最終的に製作費がかかりすぎるとして監督を降板させられた[27]
デザインの設定

続いて『インデペンデンス・デイ』を製作していたローランド・エメリッヒに新たに監督としてオファーがかかる。エメリッヒは4回ほど断ったが、ワニに影響を与えられた全く新しいゴジラのデザインを見せられたことでこれを受諾した[出典 5]。エメリッヒは「第1作の製作者たちが現代のSFX技術を持っていたらどのような映画になったか」を考えて作ったという。第1作でのゴジラが電車をくわえるシーンや調査隊が足跡を調査するシーン、1984年版でのビルにあいた穴からスーパーXがゴジラに攻撃するシーンなどをオマージュとして映画に挿入している。

またエメリッヒは、日本のゴジラをアメリカ流に作り替えることも考えており、リサーチの結果、初代ゴジラが爬虫類をベースにしていたことを知り、あらゆる爬虫類を研究し、最終的にトカゲイグアナ)をモチーフにしたゴジラを考えたという。スリムで敏捷な怪獣となったのは、着ぐるみだけではなく、CGも使って制作当時の技術で出来る動きをすべて使い、適切な技術を使ってあらゆるゴジラのアクションを見せたかったとしている[28]

エメリッヒ版ゴジラのデザインはパトリック・タトプロスによるものであり、「中途半端にアレンジを加えるとオリジナルに失礼だと考え、全く新しいものにした」という。このゴジラを見た東宝のゴジラ製作者たちは、あまりにも違いすぎるデザインにショックを受けたが、それでもハリウッドの作るゴジラ映画を見てみたいと考えて許可した。その際、東宝側の注文によって、足と手に3本と4本の指が付けられ、2列だったエメリッヒ版ゴジラの背びれは日本のものと同じ3列に修正された[27]。この他にも、劇中で人を食す描写を避けるなどの諸注文がトライスター側に出された。米版ゴジラの顎はディズニー映画『ジャングル・ブック』に登場するトラのキャラクター、シア・カーンをベースにしたという[30]。なお、デザイン担当の「タトプロス」は主人公の名前に引用された[27]。コンセプトアートの段階ではトライスター版もレジェンダリー版も互いに良く似たものが存在した。
3DCGと着ぐるみ

本作品のゴジラは主に3DCGアニマトロニクスで撮影されているが、一部では日本のゴジラと同様、着ぐるみも使用されている[出典 6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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