GO-BANG'S
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GO-BANG'S
出身地
日本北海道札幌市
ジャンルロック
活動期間

1983年 - 1994年

2013年 -(森若香織のソロユニットとして)

レーベル

SWITCH(インディーズレーベル)(1987年 - 1988年

ポニーキャニオン1988年 - 1991年

BMGビクター1992年 - 1994年)

セーニャ・アンド・カンパニー2015年

共同作業者朝本浩文

メンバー

森若香織(ボーカル・ギター)

谷島美砂(ベース・コーラス)


旧メンバー

富田綾子(ギター)

鈴木由花(ギター)

斉藤光子(ドラムス・コーラス)

GO-BANG'S(ゴーバンズ)は、日本のロックバンド1980年代中期から1990年代中期にかけて活動し、2013年5月25日から森若香織のソロユニットとなる。メンバー全員が北海道出身[注 1]ガールズバンド
メンバー一時期ギタリストが所属していた頃もあったが、メジャーデビュー時には森若、谷島、斉藤の3人編成となっていた。

森若香織(もりわか かおり、1963年12月11日 -)ボーカルギター

大半の楽曲の作詞・作曲を担当。バンド結成当初はメインボーカルではなくギター担当であったが、当初のメインボーカルが抜け、後述の忌野清志郎に「君がやりたまえ。君には味がある」と言われてボーカルとなった経緯がある。[1]

著書に『妖精頭脳』(2015年4月23日発売、発売元:学研パブリッシング)がある。同書は2015年3月発売のアルバム『FAIRY BRAIN』のリンク小説。


解散時に在籍していたメンバー

谷島美砂(たにしま みさ、
1963年7月26日 -)ベースコーラス

森若とは高校の同級生[2]。高校卒業後、歯科助手として就職し、約1年間勤務[3]

好きなミュージシャンはARB[3]。元々は小学1年生から中学3年生までピアノを習っていたことから、音楽の好みもサイモン&ガーファンクルなどのポップス路線だったが[4]、高校1年生の時に札幌に来たストラングラーズコンサートを観て、ジャン=ジャック・バーネルに魅了されたことからベースを始める[3]

一部アルバムに収録の楽曲で作詞・作曲・メインボーカルを担当。著書に愛猫チヨを題材にしたエッセイ『招きチヨ』(1993年8月発売)がある。


脱退したメンバー

富田綾子(とみた あやこ)

通称
ポコペン。ギター担当。千葉県出身。脱退後、西脇一弘とさかなを結成、2018年まで活動。


鈴木由花(すずき ゆか)

ギター担当。ポコペン脱退からメジャーデビューまで在籍。厳密には正式メンバーであったことはなく、サポートメンバーであった。


斉藤光子(さいとう みつこ、1964年1月16日 -)ドラムス、コーラス。

身長183cmの長身。メジャーデビュー直後の1989年1月頃からファッションモデルとしても活動していた[5]。三姉妹の末っ子[6]。幼稚園時代から背が大きく、母親の家系がみんな身長が大きいので、その遺伝だろうという本人の談である[5]

好きなミュージシャンは、谷島と同じくARBで、バンドを始めるきっかけにもなった。ARBの前は甲斐バンドなどをよく聴いていた[6]。ドラムを始めたきっかけは、バンドに誘われた時に「ギターとドラムしか残ってない」と言われ、単純に「ギターよりドラムの方が合ってそう」と思ったことから[6]。元々は谷島と同じく小学1年生から高校3年生までピアノを習っており、この時の音楽の好みはどちらかと言えばクラシック志向だった[5]。ドラムを始めたばかりの頃はピアノと並行してやっていた[5]。高校生の頃は音楽大学を受験しようと、受験一か月ほど前まで音大のための受験勉強をしていたが、本人曰く、その一か月前の時点で全然勉強する気が無くなり、「こんな状態で進学してもサボってばかりなのは目に見えた」ので、しょうがないと思ってやめたという[5]

一部アルバムに収録の楽曲で作詞・作曲・メインボーカルを担当。1993年8月21日にMitsuko名義でソロアルバム『Propose』を発表。1994年前半に脱退。2000年に安室奈美恵のシングル「PLEASE SMILE AGAIN」のPVにドラマーとして出演。


来歴
デビューまで

バンド名は、陣内孝則がボーカルのバンド「ザ・ロッカーズ」のファンだった森若が、ザ・ロッカーズの楽曲「バチラスボンブ(細菌爆弾)」の中に出てくる「Go-Bang」という歌詞から取った[7]。またインタビューなどで『アメリカの人気ガールズバンド「ゴーゴーズ」と「バングルス」を併せたものか?』と聞かれることが多く、面倒くさくなり訂正しなかったため、この説も根強く広まっている(『J-ROCK80's』日経BP社より)。

札幌市立もみじ台中学校の同級生たちによって1983年に結成される。結成後、地元である札幌市を拠点として活動していたが、森若が親の転勤により東京に行くことになりバンドは自然消滅状態に。バンドは自分たちの音楽活動の記念として曲をカセットテープに録って喫茶店レコーディングスタジオの「コーヒーハウスミルク(スタジオミルク)」に残していた。このテープを、たまたまプライベートで札幌に居合わせ、同店を訪れたRCサクセション忌野清志郎が聞いた。その時、忌野が言い放った「いいじゃん!!」という一言がきっかけとなり、メンバーは上京を決心する。先に東京に住んでいた森若以外のメンバーを忌野が呼び寄せるかたちで、東京での活動が始まる。まだアマチュアバンドだったGO-BANG'Sのデモテープ制作や演奏方法に、忌野をはじめRCサクセションのメンバーも色々親身になってアドバイスしたり、スタジオを使わせたりした。そこでレコーディングされたデモテープについて忌野は「このテープだったらどこのレコード会社もきっとOKだぜ!」と言い[1]、森若は後に「これがプロデビューの大きなきっかけになった」と語っている。
デビュー

バンドは1985年6月に、新宿LOFTで東京でのライブデビューを果たす。その後1986年2月に、自主制作150本限定の9曲入りファーストカセット『7 DAY'S GO! GO! BOX』を発表。6月?8月に都内のライブハウスでライブを行う。

1987年2月?3月には筋肉少女帯人生などのインディーズバンドらの楽曲を収録したコンピレーションアルバム『子どもたちのCity』に楽曲「愛をこめて、もっと!もっと!」で参加し、アルバムと同名のツアーにも同行した。その後、インディーズレーベルのSWITCHに所属し、4曲入り12インチEPレコード『HUSTLE-BANG! BANG!』(5月)と『プリマドンナはお好き?』(10月)をリリース。後者レコードに収録された楽曲「プリマドンナはお好き?」はフジテレビドラマオレの妹急上昇』のエンディングテーマに起用された。同曲はインディーズレーベルからのリリースであったが、後年にポニーキャニオンから発売された『THE T.V.ショー』や『GO-BANG'Sベスト・コレクション』などに「コーラス追加バージョン」で収録されている。

そして1988年4月21日にメジャーファーストシングル「ざまぁカンカン.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}娘(ガール)」でポニーキャニオンからメジャーデビュー。リリース時のキャッチコピーは「女のコのかたまりロック!!」。「ざまぁカンカン娘(ガール)」は関西ローカルバラエティ番組ざまぁKANKAN!』(読売テレビ)のオープニングテーマに採用され、関西で知名度が向上した。その後「ざまぁカンカン!TVショー」という曲でも同番組のオープニングを飾る。5月にはファーストフルアルバム『ゴーバニックランド』をリリース。また、同アルバム発売に合わせて5月20日から6月25日にかけて全国19カ所を回るライブハウスツアーを敢行した。

森若は10月に、ニッポン放送の深夜ラジオ番組森若香織のオールナイトニッポン』(火曜2部)の単独パーソナリティーに抜擢される。バンドは10月にシングル「かっこイイダーリン」、11月にミニアルバム『ピグミー・ピンキー』を発表。これらのリリースに合わせて10月?11月に学園祭公演を含む東名阪、札幌などを回るライブハウスツアーを敢行した。

1989年5月にメジャーデビュー後としては3枚目のアルバムとなる『SPECIAL “I LOVE YOU”』を発表。同アルバムはオリコンチャート最高位15位にランクインした。また同時期に渋谷公会堂でワンマンライブを行ったり、音楽番組『夜のヒットスタジオ』に初出演したりするなど、この頃からバンドの人気に火がつき始めた。同アルバムに先行して発売されたシングル「スペシャル・ボーイフレンド」は、カルピス株式会社の清涼飲料水「フルーツ合衆国」のCM曲に起用された。その後、7月8日に「Rock 'n' Roll Picnic」と題したワンマンライブを日比谷野外音楽堂で敢行した。

9月にはそれまでの活動の中でテレビ番組やCMのタイアップ曲として起用された楽曲だけを集めたコンピレーション・アルバム『THE T.V.ショー』を発表。同アルバムはオリコンチャート最高位3位にランクインし、バンドのメディアへの露出も多くなった。ちなみに、この時期に『笑っていいとも!』の『テレフォンショッキング』に初出演している(バンド活動中の総出演回数は2回)。また同アルバムには関東圏で当時放送されていたフジテレビ深夜番組『チキチキバンバン』のテーマソングとして使用された「チキチキバンバン」が収録されている。この楽曲はイギリスミュージカル映画『チキ・チキ・バン・バン』の主題歌を日本語詞にしたカバー曲。同番組用の企画物として制作されたため、シングル発売はされなかったが、『THE T.V.ショー』発売に合わせて『夜のヒットスタジオDELUXE』で歌唱・演奏された。同アルバムの発売当日には「COME ON NHK」と題したワンマンライブをNHKホールで敢行した。
「あいにきて I・NEED・YOU!」のヒット

1989年12月27日発売のシングル「あいにきて I・NEED・YOU!」は、アルペンのCMソングとなったことでオリコン最高位2位、37万8千枚のセールスを記録。同曲で『歌のトップテン』に出演(最高位3位にランクイン)するなど、全国区の知名度を得る。また同時期に前年12月から始まっていたホールツアー「GO-BANG'S in JAPAN '89-'90」の一環として1990年1月23日、24日に渋谷公会堂でライブを行った。

3月3日にアルバム『グレイテスト ビーナス』をリリースし、オリコンアルバムチャートで2週連続第1位を記録。4月には同アルバムからのシングルカット曲「無敵のビーナス」を発売した。同曲はカップリング曲の「香港パラダイス」とともに、同時期に全国公開された東宝映画『香港パラダイス』(主演斉藤由貴)の主題歌・挿入歌に起用された(同映画のサントラは廃盤だが両曲とも『Anthology GO-BANG'S Best』に収録されている)。また『グレイテスト・ビーナス』発売に合わせて5月?10月に全国41カ所を回るホールツアー「グレイテスト・ビーナス・レビュー」を敢行し、6月15日には初の日本武道館公演を行った。ソールドアウトとなった武道館公演では、ユーモアを大事にしたいというバンド(特に森若)のアイデアから、森若はブドウ(武道館とかけた)、谷島はバナナ、斉藤はメロンの衣装を着てステージに立った。同ライブの模様は後に、ビデオ『ゴールデンライブ・オンステージ』として発表されている。

1990年秋頃に、メンバー全員が揃って金融商品のテレビCMに起用された。広告主は日本信販で、商品は同社のクレジットカードNICOSカード」(現在は三菱UFJニコスの商品)。CMの内容・構成は、海外の旅先でメンバー3人がさまざまな事件や出来事に遭遇するシーンをコミカルに描き、複数カットでつないだもの。予告編を含む複数のバージョンが制作・放映された。撮影地は香港。挿入曲には森若がCM用に書き下ろした楽曲を使用。同曲は現在に至るまでレコードCDカセットテープなどで発売されたことはない。


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