2010年からは自主レーベルを設立して活動しており、公式ストア「G-DIRECT」を開設しているほか、2018年には公式のサブスクリプション型のアプリ「GLAYアプリ」を公開した[15]。 バンド名「GLAY」は、BOOWYの歌詞に由来しているなど諸説ある中[16]、白(ポップス)でも黒(ロック)でもない音楽ということでリーダーのTAKUROが名づけた造語であると言われている[17]。また、HISASHIによると高校時代にTAKUROと雑誌「宝島」などからサブカルチャーなバンドについての情報交換をしており、「KENZI&THE TRIPS」などのメンバーであったJUN GRAY[注釈 4] がバンド名由来の1つになっていると述べている[16]。 GLAY公式サイト「BIOGRAPHY」を参照[6]。 名前パート生年月日備考 名前プロデュース期間 名前パートサポート期間 名前パート在籍期間 ボーカルギターギターベースドラムス GLAYのデビュー時は、いわゆる「ヴィジュアル系」と呼ばれるバンドのイメージであった。音楽プロデューサーの佐久間正英は、GLAYを最初に聴いた時の印象について、自身がプロデュースしていたUP-BEATやBOOWYを混ぜた感じであり、BOOWYの影響を受けた世代のバンドであると述べている[18]。また、インディーズで発売したGLAY初のアルバム『灰とダイヤモンド』のエンジニアを担当した清水禎徳は、当時のGLAYとのエピソードについて「一番鮮烈に覚えてるのは、彼らはもうとにかく「自分達の届けたいものが具体的にある」と。で、BOOWYのCDを持ってきて、「これにしてくれ」っていう、凄くこう、具体的なことを言ってたんです。」と語っている[19]。ちなみにTAKUROは、BOOWYの『B・BLUE』を聴いた時に腰を抜かすほどの衝撃を受けたという。 TAKURO自身も1980年代に、前述のBOOWYやレベッカ、THE BLUE HEARTSなどの日本の音楽を好んで聴いていたと述べており[20]、「GLAYは日本のいわゆるロックを模倣するところから始まって、海外からの影響っていうのはずっと後のこと[21]」と2021年のインタビューで語っている。そのため、同時期にデビューした海外の音楽からの影響を強く受けてきたバンドたちとは異なり、日本独自の音楽ジャンルであるビートロックからの影響を受けた楽曲を多く発表している。TAKUROはGLAYというバンドの特徴について「俺たちは、いわゆる邦楽世代の始まり[22]」「邦楽は邦楽らしくというのは俺もどこか心の中にある[22]」と述べている。 また、その時代に流れる日本の流行歌からの影響を受けて曲を作ることもあり、代表曲の『HOWEVER』は、TAKURO曰く、安室奈美恵の『CAN YOU CELEBRATE?』(作詞・作曲・編曲:小室哲哉)から学んで作ったという[23]。
バンド名の由来
メンバー
TERUボーカル (1971-06-08) 1971年6月8日(52歳)
JIROベース (1972-10-17) 1972年10月17日(51歳)
TAKUROギター (1971-05-26) 1971年5月26日(53歳)リーダー
HISASHIギター (1972-02-02) 1972年2月2日(52歳)
プロデューサー
YOSHIKI1994年
土屋昌巳1994年
佐久間正英1994年 - 2013年[注釈 5]
亀田誠治2013年 -
サポートメンバー
HAL (SPEED-iD)ドラムス1994年4月25日 - 26日
Toshi Nagai1995年 -
D.I.E.キーボード1995年 - 1998年
SHIGE[注釈 6]1999年 - 2003年
佐久間正英[注釈 7]1999年 - 不定期[注釈 5]
斎藤有太2005年 - 不定期
永井誠一郎[注釈 8]2006年 - 2015年
ハジメタル2019年 - 2022年
村山☆潤2020年 -
DJ Mass MAD Izm*DJ2009年 - 不定期
旧メンバー
ISOドラムス1992年[注釈 9]
SHINGOドラムス、ベース1990年 - 1992年[注釈 10]
AKIRAドラムス1992年 - 1994年[注釈 11]
NOBUMASAドラムス1994年 - 1995年[注釈 12]
メンバー変遷
#1TERUTAKURO-ヒトシ北山
#2HISASHI中本
#3SHINGO松尾
#4-HISASHISHINGO
#5HISASHISHINGOチャーリー
#6ISO
#7AKIRA
#8JIRO
#9NOBUMASA
#10-
音楽性
Size:374 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef