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株式会社ガイナックス
GAINAX Co., Ltd.
種類株式会社
本社所在地 日本
〒180-0005
東京都武蔵野市御殿山1丁目4番20号
服部ビル202号室
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分6.2秒 東経139度34分33.1秒 / 北緯35.701722度 東経139.575861度 / 35.701722; 139.575861
株式会社ガイナックス(英: GAINAX Co., Ltd.)は、日本の企業。かつてはアニメ制作会社として活動していた。東京都小金井市本町6丁目時代のガイナックス入居ビル(2003年 - 2006年、現・イトーヨーカドー武蔵小金井店の一部)東京都三鷹市下連雀時代のガイナックス入居ビル(2011年 - 2016年) 1984年12月、アニメ映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の制作を目的として設立された。社名は島根県の東部、鳥取県の西部の方言(雲伯方言)で「大きい、凄い」という意味の「がいな」に未知を表す「X」をつけたものである。 連続テレビアニメーション『新世紀エヴァンゲリオン』『ふしぎの海のナディア』や、OVA『トップをねらえ!』などが代表作として知られているほか[4]、1980年代末からコンピュータゲームの制作と販売も行い、『プリンセスメーカー』シリーズなどのヒット作品を残した。 アニメーション制作の多くは共同制作名義で他社へ委託する形をとっていたが、2004年開始のシリーズOVA『トップをねらえ2!』で制作部門を立ち上げ、2015年の『放課後のプレアデス』(テレビシリーズ版)まで自社単独名義による元請制作を手がけたほか、他社のテレビシリーズのグロス請けも行っていた。 主要制作スタッフの退社独立や2010年代に陥った経営難に伴い、『新世紀エヴァンゲリオン』『フリクリ』などの多くの作品の版権が他社に移っている。2016年には『新世紀エヴァンゲリオン』の版権を保有するカラーによって、滞納した版権使用料1億円の支払いを求める訴訟を起こされ[5]、翌2017年、ガイナックスに対し支払いを命じる判決が確定した。 最終話サブタイトルにSF小説の題名を流用している作品が多い。『新世紀エヴァンゲリオン』はハーラン・エリスンの『世界の中心でアイを叫んだけもの 1981年の日本SF大会「DAICON 3」のオープニングアニメーションに関わり、大阪府門真市の海洋堂の常連でもあった岡田斗司夫、武田康廣、赤井孝美、山賀博之、庵野秀明、村濱章司ら関西の学生は、その後も「DAICON FILM」として映像制作を行った。このうち、DAICON 3後に大学を中退した岡田と武田は1982年2月、大阪市天王寺区にSFグッズを扱う専門店「ゼネラルプロダクツ」を開業し、DAICON FILMと密接な関係を持ちながら活動。経営が軌道に乗ったところで岡田に山賀が「プロになる」ことを持ちかけ、ゼネラルプロダクツが岡田と山賀に200万円の活動資金を提供する形を取って1983年9月、OVA向け長編アニメーション『王立宇宙軍』の企画を開始した。 ゼネプロ社内における不倫発覚で大阪を追われ1984年秋に上京した岡田斗司夫と、ゼネラルプロダクツおよびDAICON FILMメンバー、テレビアニメ『レンズマン』プロデューサーの井上博明によって同年12月24日、『王立宇宙軍』の制作スタジオとしてガイナックスを設立した[6]。約4分の『王立宇宙軍』パイロットフィルムを制作し、1985年4月に完成した。岡田はこのパイロットフィルムと企画書を、DAICON FILM時代に自主製作特撮映画販売でつながりのあったバンダイに持ち込んで出資を取り付け、劇場用映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』として制作し、1987年3月に公開した[7]。ガイナックスは『王立宇宙軍』が完成すると同時に解散する予定であったが、同作品の制作費が過大で予算超過分が同社の負債となったため、返済のために経営を継続することとなった[8]。 1988年には庵野秀明の初監督作となったOVA『トップをねらえ!』を制作し好評だったが、同作品も制作費が過大となって負債がさらに拡大した[9]。1989年から1990年にかけては、池沢さとしが「週刊プレイボーイ」に連載した漫画『ビートショット!!』と『サーキットの狼II モデナの剣』のアニメーション制作に参加した。 赤井孝美は、コンピュータゲームのファンがアニメ・特撮のファンと通ずることがあることに気づき、自分たちの技能を生かしてコンピュータゲームを作りたいと岡田に提案する[10]。
概要
作風
沿革
草創期