G1 CLIMAX
優勝決定戦などが開催される国技館
愛称"真夏の祭典"
創設者坂口征二
主催新日本プロレス
初開催1991年
G1 CLIMAX(ジーワン・クライマックス)は、新日本プロレス主催のヘビー級選手によるシングルリーグ戦。新日本プロレスで開催される最大級の大会であり[1]、「真夏の祭典(まなつのさいてん)」として全国的に知られている。 新日本プロレスにおいては、歴代のリーグ戦として1978年からのMSGシリーズ→IWGPリーグ戦が行われていたが、IWGPが新日本の旗艦タイトルとなった1988年以後、大規模なリーグ戦形式のサーキットが行われてこなかった。 発案者は当時社長だった坂口征二で、「G1」は競馬ファンとしても知られる坂口が競馬のGIレースから取って名づけている[2]。当時新日本のリングアナウンサーだった田中ケロは後にTwitterで、自身がG1と名付け、クライマックスを付けたのは先輩リングアナだった倍賞鉄夫であることを証言している[3]。 1991年に第1回大会が開催され、毎年8月上旬頃に開催されている(2014年以降は7月中旬から開催)。当初こそ数日間の開催であったが近年では大会期間が約4週間程と長くなっており、業界の現状から「プロレス界で最も長く過酷なリーグ戦」との呼び声も高い。試合会場は愛知県体育館、大阪府立体育会館など、普段ビッグマッチでも使用する大中規模会場が選ばれ、優勝決定戦には国技館を使用するのが恒例となっている。ただし、2014年には、西武ドームでの優勝決定戦となった[4]。また2018年と19年は国技館が改修工事のため日本武道館で開催。また2019年はアメリカ・ダラスで開幕戦を行った。なお、1993年から1998年までは国技館だけで行われた。基本的にはヘビー級、ジュニアヘビー級を問わず、新日本プロレス最強の選手を決定する大会だが、外国人選手や他団体の選手が参加することもある。 大会形式には以下の3通りがあり、年によって方式が異なる。 最高得点者が同点だった場合は進出者決定戦、リーグ戦での直接対決により順位、決勝進出者を決めるなどで対応している。以下に主な例外を挙げる。 優勝者には表彰状、優勝旗、トロフィーが授与される。さらに副賞としてIWGPヘビー級王者ではない場合、自動的に王座への挑戦権を与えられる(2012年以降は後述する「挑戦権利証」という形で渡される)。王者として優勝したのは、武藤敬司と佐々木健介の2人だけで、武藤はグレート・ムタ(1997年)、健介はパワー・ウォリアー(1994年)として出場経験がある。 G1とチャンピオン・カーニバルの両方を制したのは、武藤(2002年、2004年、2007年)、小島(2003年)、健介(2005年)、永田(2011年)の4人である。永田は2013年にノアのグローバル・リーグ戦も制しており、現時点で唯一メジャー3団体のヘビー級リーグ戦を全て制している。 正式大会名は2010年が「Powered by HEIWA」、2011年が「ブシロードPresents」、2012年から2016年は「バディファイト[注 1] Presents」、2017年「ローソンチケット Presents」、2018年「戦国炎舞 - KIZNA 回優勝者
概要
トーナメント方式(1992年、1993年、1997年、1998年)
2005年から「NEW JAPAN CUP」が開催されるようになった為、トーナメント方式の大会はそちらへ受け継がれた。
リーグ戦+優勝戦(1991年、1994年、1996年、1999年、2008年、2010年 - 2021年)
AとBの2ブロックに分かれて総当たりのリーグ戦(20分1本勝負)を行い、各ブロックの最高得点(勝:2点、引分:1点、負:0点)の選手2人が優勝決定戦(時間無制限)で最強者を決定する。
リーグ戦+決勝トーナメント(1995年、2000年 - 2007年、2009年、2022年 - )
AとBの各ブロックで総当たりのリーグ戦を行い、得点が1位、2位の選手が決勝トーナメントに進出して最強者を決定する。
2022年は、大会創設以来過去最多となる28選手が参加し、1組あたり7選手×4組の総当たり(6試合)を行い、各組1位の4人で、8月17?18日に予定される武道館での決勝トーナメントで最強者を決める。
1995年:同点者が出た場合は勝ち試合のタイムが短い選手が上位となった。Aブロックでは2位争いとなった蝶野とリック・フレアーが勝点で並んだ為(ともに1勝1敗1分)、勝ちタイムの短かった蝶野が決勝トーナメントへ進出した。
1999年:最終日にリーグ戦が終了した時点でAブロックの武藤敬司と永田裕志が同点だったため、決勝進出決定戦で勝利した武藤が1位として優勝決定戦に進出。最終日に1日に3試合を行った。
2000年:4ブロックでリーグ戦が開催され、各ブロックの1位の選手が決勝トーナメントに進出した。
2001年:日本人選手だけの参加となったので、9月に「G1 WORLD」と銘打って外国人選手参加で行われ、優勝者同士で真王者決定戦を行う予定だったが、フライが直後に出場したPRIDE.16で負傷、延期となっていたが、現在まで実現されていない。
2004年:各ブロックの3位までが決勝トーナメントに進出する方式だったが、Aブロックの最高得点者が6人いたため、6人の直接対決と進出者決定戦により、柴田勝頼が1位、天龍源一郎が2位、中邑真輔が3位で進出した。
2009年:Aブロックの田中将斗、真壁刀義、棚橋弘至3人が勝ち点7で並んだが、田中は両選手に負け棚橋と真壁は引き分けだったため棚橋と真壁が同率1位となり、コイントスで1位2位が決められた。
特別協賛スポンサー
歴代優勝者
準優勝者出場者
第1回蝶野正洋
A:武藤敬司、藤波辰爾、スコット・ノートン、ビッグバン・ベイダー
B:蝶野正洋、橋本真也、クラッシャー・バンバン・ビガロ、長州力
武藤敬司
1991年8月7日 - 11日
8選手による2ブロック・リーグ戦で開催。蝶野が「1・2・3、ダァーッ!」で締め、闘魂三銃士が上位を独占した。
第2回蝶野正洋蝶野正洋、リック・ルード、アーン・アンダーソン、スティーブ・オースチン、武藤敬司、バリー・ウインダム、トニー・ホーム、クラッシャー・バンバン・ビガロ、スコット・ノートン、佐々木健介、ジム・ナイドハート、馳浩、テリー・テイラー、橋本真也、ザ・バーバリアン、スーパー・ストロング・マシン
リック・ルード
1992年8月6日 - 11日
16選手によるトーナメントで開催。蝶野が優勝と同時に第79代NWA王者となった。
第3回藤波辰爾藤波辰爾、馳浩、橋本真也、小原道由、木村健悟、飯塚孝之、冬木弘道、阿修羅・原、蝶野正洋、藤原喜明、木戸修、石川敬士、越中詩郎、スーパー・ストロング・マシン、武藤敬司、ザ・グレート・カブキ
馳浩
1993年8月2日 - 8日
日本人16選手によるトーナメントで開催された。トーナメント開催日は3日 - 7日。両国国技館7連戦。
第4回蝶野正洋
A:蝶野正洋、長州力、武藤敬司、藤原喜明、谷津嘉章、木戸修
B:パワー・ウォリアー、藤波辰爾、橋本真也、馳浩、越中詩郎、飯塚孝之
パワー・ウォリアー
1994年8月3日 - 7日
日本人12選手による2ブロック・リーグ戦で開催された。大会終了後、蝶野が武闘派転向を宣言した。両国国技館5連戦。
第5回武藤敬司
A:武藤敬司、蝶野正洋、リック・フレアー、越中詩郎
B:橋本真也、スコット・ノートン、佐々木健介、天山広吉
橋本真也
1995年8月11日 - 15日
8選手による2ブロック・リーグ戦+決勝トーナメントで開催。武藤が史上初、IWGP王者としてG1制覇(同時に2冠達成)。同点者が出た場合は勝ち試合のタイムが短い選手が上位となる。両国国技館5連戦。
第6回長州力
A:長州力、佐々木健介、天山広吉、橋本真也、平田淳嗣
B:蝶野正洋、武藤敬司、越中詩郎、山崎一夫、小島聡