この項目では、人形について説明しています。
この人形が原作の2009年の映画については「G.I.ジョー (映画)」をご覧ください。
この人形の名の元となった1945年の映画については「G・I・ジョウ」をご覧ください。
G.I.ジョーは、米国ハズブロ社が販売している男児向け玩具。アクションフィギュア本体ならびにその付属品・関連商品を指す。人形の大きさは約12インチ(29cm前後)で、スケール換算するならばおおむね1/6ということになる。 G.I.ジョーは米国でハッセンフェルド兄弟が創業したハズブロ社から売り出された[1]。ハッセンフェルド兄弟は東欧系ユダヤ系移民で繊維工場から放出される端切れの廃品回収業を営んでいたが、そこから鉛筆入れを作ることを思いついて成功[1]。のちに文具から玩具へと事業の転換を図った[1]。 1960年代に入ってハズブロ社は男の子向けの兵士姿の人形であるG.I.ジョーを発売[1]。
概要
商品名に採用された『G.I.Joe』のネーミングは、第二次世界大戦頃からアメリカで使われている“アメリカ兵”を示す一般名詞的な呼称である。G.I.はしばしば“Government Issue”(官給品)の略と解釈され、“Joe”は米国でごく一般的・代表的な男子名。“G.I.”のみでも米兵を指す俗称として使用されている。商品開発中にたまたまTVで放映されていた映画『G・I・ジョウ』(The Story of G.I. Joe, 1945年)を観たスタッフにより採用された。
当時の玩具業界の常識では「男の子は人形で遊ばない」とされていたが、他が目をつけなかったものの中から新たな価値を見出すユダヤビジネスの特色の一例とされている[1]。
1960年代当時のG.I.ジョーフィギュアは、実際の生産の一部が日本で行われていた。 米国で人気を博したG.I.ジョーは各国に輸出されることになった。 イギリスでは1966年から『アクションマン』の名でライセンス生産されている。 日本でも同じく1966年に三栄貿易 当時日本でも放映されていたアメリカの連続TVドラマ『コンバット!』の人気もあり、兵隊をモチーフにした玩具は一定の人気を得ていた。その時期に輸入品として登場したG.I.ジョーは、当時の玩具としては破格のリアルさと高級感、豊富なオプションによる世界観の広がりなど、子供達に大きなインパクトを与える存在だった。 反面、玩具としてはサイズが大きいうえ、フィギュアは1500円前後、12インチサイズのG.I.ジョーが乗ることのできるジープなどは5000円を超える高額商品だった。精密で高級であることは大きな魅力であると同時に簡単に手の届かない存在である感覚を強め、当時の子供にとっては基本的に高嶺の花的な存在であり、自然と経済的に豊かな層がターゲットの商品となった。 そのためタカラでは、1970年に日本向け商品展開としてブランド名を『ニューGIジョー』に改め、顔の造形を日本の子供向けに一新し、着せ替えにも「スポーツジョー」としてボクサーやプロレスラーをラインナップし、日本の子供にとって親しみやすい方向に改良を加えた。 この当時、タカラ独自のサービスとして、G.I.ジョーのテレフォンサービス また、当時大流行の“変身”を取り入れた「正義の味方」シリーズを展開。この路線変更は当たり、やがてタカラは、ミリタリー色を廃し、SF色とTVヒーローへの変身のバリューを前面に押し出した、変身サイボーグ(1972年)シリーズを生み出し、この新たなシリーズへ販売をシフトした。 変身サイボーグによって12インチアクションフィギュアは日本でも子供たちに受け入れられる商品となった。しかし、変身ブームの収束やオイルショックなどの経済状況の変化により、変身サイボーグシリーズの後継であるアンドロイドA(1975年)を最後に、より小型のフィギュアであるミクロマンにシフトする。その後およそ10年の間、日本での展開を停止した。 1980年代前半に『こちら葛飾区亀有公園前派出所』や、コンバットマガジン誌等の記事をきっかけに、G.I.ジョー再評価の盛り上がりがあった。
各国における展開
イギリス
日本