G-DRAGON
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G-DRAGON
G-Dragon on Infinite Challenge Yeongdong Expressway Music Festival - 4 (cropped)
基本情報
出生名クォン・ジヨン
Kwon Ji-yong
權 志龍
生誕 (1988-08-18) 1988年8月18日(35歳)
出身地 大韓民国 ソウル特別市
ジャンルHIPHOP、R&B、TRAP
職業ラッパーソングライター音楽プロデューサーファッションデザイナー
活動期間2001年 -
レーベルYGEX
事務所Galaxy Corporation
共同作業者BIGBANG
公式サイト ⇒YGエンターテインメント公式

G-DRAGON(ジードラゴン、本名:???、クォン・ジヨン、1988年8月18日[1] - )は韓国ラッパーソングライター音楽プロデューサー起業家 、ファッションアイコンであり、BIGBANGのメンバー。身長172cm。2018年2月27日から約2年間の兵役のため芸能活動を休止[2]、2019年10月26日に除隊[3]
概要

シングルチャートの成績や、ステージでの存在感から「King of K-pop」の異名を持つ[4][5][6]。12歳から2006年にBigbangとしてデビューするまでの6年間をYGエンターテインメントの練習生として過ごし、その後世界で最も売れているボーイバンドの一人となった[7]。2009年に発売した初のソロアルバム「Heartbreaker」と同名のタイトル曲が売れ、「2009 Mnet Asia Music Awards」でアルバムオブザイヤーを獲得。 2010年BIGBANGのメンバーであるT.O.Pとアルバム「GD&TOP」をリリース。2012年に発売した初のミニ・アルバム「One of a Kind」は絶賛され、韓国のソリストによるベストセラーアルバムとなり、自身が持つ「Heartbreaker」の売り上げを超え、「2013ソウルミュージックアワード」で「ベストアルバム賞」を獲得。 2013年にはソロアーティストとして自身初のワールドツアーツアーを公演し、韓国人として初めて日本のドーム・アリーナツアーができるソロ歌手となった[8]。「2013 Mnet Asia music award」で2枚目のアルバム「Coup d'Etat(2013)」が「Artist of the Year」を受賞。2017年、アルバム「Kwon Ji Yong」は収録曲「Untitled, 2014 」がチャート1位を獲得、同年アルバムを引っ提げてのコンサートツアー「Act III:M.O.T.T.E」が行われた[9][10]

韓国の若者文化やファッショントレンド、音楽への影響について広く認識されており[11]、2016年にはフォーブスの「30アンダー30」(30歳未満の注目すべき30人)に選出された[12]。自身が作曲した曲(共同製作も含み)が韓国の「ガオンデジタルチャート」で23曲1位になっている[13][14]。KING.OF.K-POPとされている。
来歴G-Dragon at MTV Fast Forward, Thailand, 2007
1988?2008 デビューまで

ソウルに生まれ、6歳から「ちびっこルーラ」(韓国で一世を風靡したグループ「Roo'Ra」をコンセプトにした子供ダンスグループ)の一員として芸能活動を開始[15]。クリスマスアルバムをリリース後にレコードレーベルから契約を解除されショックを受け、母親に「歌手にはならない」と宣言した。家族でスキー旅行中にSMエンタテインメントからスカウトされた。[16]練習生時代の5年間(8-13歳の間)を何をしたいかはっきりとわからないまま過ごした[15]。小学3年生の時アメリカのヒップホップグループウータン・クランに影響を受けラップを習い始めた[15] Under People Crew's[17]。2001年に「Flex」というアルバムをリリースし、13歳で当時最年少の韓国人ラッパーになった。作詞もしたが自身の英語が下手だという自覚があり「I'm young, but I'm the best」を信条としていた[15] 。BIGBANGのメンバーであるT.O.P(本名:チェ・スンヒョン)とは中学からの近所の友人で一緒にダンスやラップをしていた[18]YGエンターテインメントのヒップホップデュオJINUSEAN(ジヌション)のショーンに興味を持たれ、同会社のCEOであるヤン・ヒョンソクに紹介され、YGエンターテインメントと契約。契約後に他の活動場所を引き払っている[15]。同じ練習生のSOLとは元々ヒップホップデュオ「GD X TAEYANG」でデビューしようとしていたが、同じ名前のグループが曲を出していることを知り、またYGエンターテインメントがボーイ・グループでのデビューを計画しておりこの話は立ち消えとなった[16] 。同じ頃、T.O.Pにオーディションを受けるよう連絡を取っている[18]。G-DRAGON、SOL、T.O.Pは他の3人のメンバーであるチャン・ヒョンスン、D-LITE、V.Iとグループを組んだ。このメンバーはTVのドキュメンタリー番組で紹介され[19]、チャン・ヒョンスンを除いてBIGBANGとしてデビューした[16]

デビューアルバムである「Bigbang Vol.1」が10万枚以上を売り上げる成功をおさめた[20]。このアルバムに含まれるG-DRAGONの最初のソロ曲はアメリカのロックバンドマルーン5のシングル「This Love」のカバーだった[19] 。理由は、作曲に参加し始めたのは2007年のシングル「Always」からでこのアルバムはまだ原点だからである[21]

いくつもの曲を作曲しているが、シングル「Lie(Korean: ???、日本語:嘘)」が最初のヒットであり、これに続き、アルバム「Hot Issue」、シングル「Last Farewell」、アルバム「Stand Up」、シングル「Haru Haru」もチャート上位を占め作曲家として有名になるきっかけになった[22][23]BIGBANGの作品のほとんどを作曲し、2008年のSOLのソロデビュー「HOT」にも携わった後、同じくSOLのソロ曲「Part Two」や「Only Look at Me」も制作に参加している。
2009?2011: ソロ活動

2009年歌手のLexyのアルバム「Rush」収録曲「Super Fly」にSOLとT.O.Pとともに参加。その後w-inds.とシングル「Rain Is Fallin'/Hybrid Dream」でコラボレーションした。[24][25]最初のソロアルバム「Heartbreaker」は4月に発売される予定だったが8月の[26]21歳の誕生日(韓国の年齢では22歳)に合わせて発売された[27]1TYMのTeddyやKush、2NE1CL (歌手)パク・サンダラとコラボレーションし、アルバムのコンセプトに合わせて金髪に染めたエレクトリック・ポップソングであるシングル「Heartbreaker」は5万ダウンロードされ[28]、売り上げが30万枚を突破した[29]。その年のMnet Asian Music Awardsでアルバムオブザイヤーを受賞[30]。その直後「Heartbreaker」に収録されている「Heartbreaker」がフロー・ライダーの「Right Round」、「Butterfly」がオアシス (バンド)の「She's Electric」に似ており、ソニーミュージックから盗作であると非難され[31][32]、韓国の高校の音楽教科書に掲載されたが[33]、EMIレコードは2つの曲は似ていないとした[34]

3月6日YGエンターテインメントはフロー・ライダーに連絡しライブ用のアルバムに参加してくれるよう頼んだ[35]フロー・ライダーがサポートしてくれたアルバム収録曲「A Boy」は2009年12月にオリンピック競技場で行われたコンサート「Shine a Light」で披露された[36]。このコンサートで内容が不適切であると苦情と[37]論争を起こした[38]韓国の保健福祉部はG-DRAGONとYGエンターテインメントに対しコンサートが法律違反ではないかの取り調べを検察に依頼[39][40]。2010年3月15日に起訴猶予処分を受けた[41][42]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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