G・E・R・ロイド
[Wikipedia|▼Menu]

サー・ジェフリー・アーネスト・リチャード・ロイド FBA FLSW (Sir Geoffrey Ernest Richard Lloyd, G.E.R.Lloyd, G.E.R.ロイド, ジェフリー・ロイド, 1933年1月25日 - ) は、イギリス科学史家思想史家[1]。専門の古代ギリシア研究に加え、古代中国との比較研究[2][1][3]社会人類学的手法[1]でも知られる。ケンブリッジ大学ニーダム研究所(英語版)理事長などを歴任。
経歴

1933年、ウェールズスウォンジー出身の両親のもと、ロンドンに生まれる[1]第二次世界大戦下では、父親が結核医としてロンドンに残る一方、地方に疎開して少年時代を過ごす[1]

戦後、パブリックスクールの名門チャーターハウスに入学する[1]。同校卒業後、ケンブリッジ大学キングス・カレッジに入学する[1]。同校では、父や兄と同じく医学の道を志していたが、ギリシア哲学史家J.E.レイヴン(英語版)や西洋古典学者ドナルド・ルーカス(英語版)の講義に触発されて、ギリシア哲学の道に進み、1954年から1年間アテネに留学する[1]

ギリシア哲学研究においては、社会人類学者マイヤー・フォーテス(英語版)に影響を受け、polarity と analogy を鍵概念として、古代の論理学と科学方法論を考察した[1]。この研究が評価され、1957年からキングス・カレッジのリサーチフェローとなる[1]。1958年から1年間、兵役(英語版)につき、新婚の妻と子を連れて独立運動中のキプロスに滞在する[1]。1960年、ケンブリッジに戻り、キングス・カレッジのチューターを務めつつ、社会人類学者エドマンド・リーチロドニー・ニーダムと交流する[1]

1966年、最初の著書『Polarity and Analogy』を刊行すると、賛否両論受け学界の話題となる[1]。その後、ギリシア史学者モーゼス・フィンリーを通じて、フランスジャン=ピエール・ヴェルナンの知遇を得て、その縁でパリ大学で講義する[1]。そこでマルセル・ドゥティエンヌらの知遇を得る[1]

1981年、アメリカの諸大学で講義・講演した後、1ヶ月間日本に滞在する。日本では、日本西洋古典学会国際基督教大学などで講義・講演しつつ、田中美知太郎山口昌男川田殖らと交流し、東洋文化に関心を持ち始める[1]。1987年、北京に招かれて講義・講演し、同地の学者と交流する[1]。この頃から古典中国語を学び、中国との比較研究を始める。

1989年から2000年まで、ケンブリッジのダーウィン・カレッジマスターを務めると同時に、ケンブリッジのニーダム研究所(英語版)の理事長などを務める。1991年、再び日本を訪れ東北大学などで講義・講演した[1]

2002年、中国科学史家のネイサン・シヴィンと共同研究を行った[1]。同年再び日本を訪れた際は、東洋科学史家の川原秀城・木下鉄矢・平田昌司・赤松明彦京都でシンポジウムを行った[4]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:21 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef