『FOR YOU』
山下達郎 の スタジオ・アルバム
リリース1982年1月21日 (1982-01-21)
録音CBS SONY ROPPONGI STUDIO A & B
ジャンル
ファンク / ソウル
ポップ・ミュージック
バラード
時間.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
SIDE A:19分25秒
SIDE B:19分45秒
レーベルAIR ? RVC
プロデュース山下達郎
チャート最高順位
週間1位(オリコン)
山下達郎 アルバム 年表
ON THE STREET CORNER
(1980年 (1980))
FOR YOU
(1982年 (1982))
GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA
(1982年 (1982))
『FOR YOU』収録のシングル
「LOVELAND, ISLAND / YOUR EYES」
リリース: 2002年1月23日 (2002-01-23)
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『FOR YOU』(フォー・ユー)は、1982年1月21日 (1982-01-21)に発売された山下達郎通算6作目のスタジオ・アルバム。 1980年 (1980)、シングル「RIDE ON TIME」[注釈 1] がヒットし、その秋に出た同名のアルバム[注釈 2]もソロ4年目にして初のナンバー・ワンとなり、山下は俗に“地獄のロード”と呼ばれる全国ツアーに明け暮れた。結果、1981年 (1981)はコンサート・ツアーの毎日で、なかなか次のアルバムの計画が立てられなかったがその反面、メンバーのアンサンブルはライブを重ねる中で向上し、それによって山下自身も創作意欲が刺激されて結果、合間に行われるレコーディングはその成果が大いに反映された。 ヒットが出たおかげでレコーディングを取り巻く環境も大きく変わり、1970年 (1970)代には1枚のアルバム用に十数曲レコーディングさせてもらえるのがやっとだったのが、1981年 (1981)にニュー・アルバムのためにレコーディングした曲は全部で27。予算や時間の心配をすることなく好きなだけレコーディングしたいというシュガー・ベイブの頃からの夢が、このアルバムでようやく叶った。本作『FOR YOU』は予定より少し遅れて1982年1月 (1982-01)に発売され、これがRCA ? AIRレーベルでの最後のオリジナル・アルバムとなった[注釈 3]。 このアルバムが発売された頃、カーステレオの進歩やウォークマンの登場により、音楽はオーディオとしてのグレードを十分に保ちながらアウトドアへ持ち出せるようになった。このアルバムはそうした積極的なリゾート感覚に合致する音楽として受け入れられ、誰言うとなく“夏だ、海だ、タツローだ!”という標語が生まれた。こうした状況を後に山下は、1978年 (1978)のアルバム『GO AHEAD!』[注釈 4]での「BOMBER」から3年足らずでディスコからアウトドアへ、さらにそれから数年後にはクリスマスになってしまうのだから、人生はわからない、と語っている。しかし、そうしたこととはまったく関係なくこのアルバムが山下にとって全作品中でとりわけ愛着のある1枚になっているのは、作品、ミュージシャンの演奏技量、エンジニアの技術、スタジオ機材の充実と、レコーディングに必要な要因の全てがバランスよく組み合わさった、自身にとって珍しいほどトラブルの少ないレコーディングだったとの思い出があるからだという。前作『RIDE ON TIME』[注釈 2]から参加の青山純と伊藤広規による個性的なリズムを土台にライブを通して練り上げられたアンサンブルをもって山下はようやくこの時期に、自分自身の音を獲得できたといえるという。 アルバム・カヴァーは当初、永井博への依頼を考えていたが、永井が大瀧詠一のアルバム『A LONG VACATION』のジャケットを手掛けることになったため、代わりに当時愛読書だった『年鑑日本のイラストレーション』中で一番好きだった鈴木英人に直接交渉して描いてもらったという[1]。鈴木にはその2年ほど前から関心があり、いつか描いてもらおうと思っていたところ、アルバム・ジャケットのオファーがまだどこからも来ていなかったというのが、山下自身とてもラッキーだったと振り返っており、鈴木にとっても初期の代表作のひとつとなった。山下によれば、オープンカーのセットによるレコード中袋の写真は新宿厚生年金会館そばの車留めで撮影され、背後のエキストラは文化服装学院の当時の学生たちだという。
解説
パッケージ、アートワーク
収録曲
SIDE A
SPARKLE ? (4'13")
吉田美奈子 作詞, 山下達郎 作曲・編曲
ステージの予備にと1980年 (1980)に購入した茶色のフェンダー・テレキャスターが山下にとって運命的な大当たりとなり、このアルバム以降、全てのレコーディングとライブで使われることになる。