FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!
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FNS1億2,000万人の
クイズ王決定戦!

FNS1億2,500万人の
クイズ王決定戦!
ジャンル特別番組クイズ番組
演出森英昭(総合)、FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!演出委員会、磯貝武毅、中村則之
出演者逸見政孝
城ヶ崎祐子ほか
フジテレビアナウンサーたち
全国各地からの一般参加者
ナレーターデーモン小暮閣下ほか
製作
プロデューサー飯塚浩子、花房恵二、中山良三
制作フジテレビ

放送
音声形式モノラル放送[1]
放送国・地域 日本
放送期間1990年10月10日 - 1994年5月6日
放送時間別項
放送分114分&108分&84分
回数11
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『FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!』(エフエヌエスいちおくにせんまんにんのクイズおうけっていせん)は、フジテレビ系列 (FNS)1990年から1994年まで放送されたクイズ番組である。第7回以降は『FNS1億2,500万人のクイズ王決定戦!』のタイトルだった。
出演者
司会者

逸見政孝城ヶ崎祐子(第1回 - 第6回、グランドチャンピオン大会)

福井謙二中井美穂(第7回)

上岡龍太郎榊原郁恵(最後のクイズ王伝説)

出題

境鶴丸(第1回 - 第6回、グランドチャンピオン大会)

福原直英(第7回)

中井美穂(第7回第1ラウンド、最後のクイズ王伝説)

レポーター(主にゲートクイズ・失格者担当)

木幡美子(第1回、第5回)

吉沢孝明(第2回、第3回、第1回グランドチャンピオン大会)

青嶋達也(第4回)

長野智子(ちびっこクイズ王)

大林典子(第6回)

中村江里子(第7回)


東海林のり子(第2回1ラウンド名古屋会場)

太平シロー(第2回1ラウンド大阪会場)

放送日・放送時間

タイトル放送年月日放送時間(JST)備考
FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!1990年10月10日水曜21:00 - 22:54
第2回FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!1991年3月27日
第3回FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!1991年10月9日
FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!
グランドチャンピオン大会1992年1月8日水曜21:30 - 23:18歴代で一番遅い[注 1]
第4回FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!1992年4月8日水曜21:00 - 22:54
FNS1億2,000万人のちびっ子クイズ王決定戦!1992年8月14日金曜19:30 - 20:54「金曜ファミリーランド」枠で放送
第5回FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!1992年9月24日水曜21:00 - 22:48
FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!
第2回グランドチャンピオン大会1993年1月5日火曜21:00 - 22:54
第6回FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!1993年4月8日木曜21:00 - 22:54
第7回FNS1億2,500万人のクイズ王決定戦!1993年9月29日水曜21:00 - 22:54
1億2,500万人のクイズ王決定戦! 最後のクイズ王伝説1994年5月6日金曜19:30 - 20:54「金曜ファミリーランド」で放送

[1]

大半が21時台 - 22時台の2時間番組で、ゴールデンタイムでの番組は2回だけ、それもいずれも90分番組だった。
概要

1990年代前半のクイズブームのさなか企画された。
日本テレビの『アメリカ横断ウルトラクイズ』(以下『ウルトラクイズ』と表す)、TBSの『史上最強のクイズ王決定戦』(以下『史上最強』)と並ぶ大型クイズ番組。主に半年に一度開催された。

早押しや難問など実力重視で王座を決めていた『史上最強』に対し、知識量に問う面が強かった反面、フジテレビの番組らしくバラエティ色が濃い目で、司会が立場を忘れて問題の推理に走る展開が多かった。

また優勝経験者以外の出場者の扱いがあまり小さかった『史上最強』とは違い、出場者のプロフィール紹介、司会者との掛け合い、ナレーションによる出場者へのツッコミなど、実力に関わらず出場者1人1人の個性を引き出す演出が多く、その結果追っかけ・ファンレターが殺到するなどアイドル的人気を得た出場者やイジられキャラとなった出場者が数多く存在した、出身大学、偏差値、予選成績などをクローズアップした演出も出場者のクイズの強さをアピールするには格好の場であったと言えよう。

上位に残る出場者は大会や他のクイズでもお馴染みの常連がほとんどだったが、中には他のクイズ番組ではあまり見られない中学生や高校生が残ることもあった。

「あらゆる問題に答えてこそのクイズ王」という、うたい文句が番組のキャッチフレーズ的に使われ、実際に文系・理系・芸術系など幅広いジャンルへの精通が問われた「5ジャンル制覇!早押しクイズ」は番組の名物となった。

問題の傾向としては従来のクイズの定番にこだわらず、フジテレビのクイズ番組の常套手段である専門的かつ高度な問題、特に芸能音楽・スポーツ・生活系からの出題が多く、比較的簡単な問題や得意ジャンルの問題で答えられない出場者が司会者に嘲笑われるシーンもよく見られた。また正確数値やフルネーム、画像付きなど、それまでのクイズ対策の盲点を付いた問題、「キューティーハニーのスリーサイズ」、「コンドームのJIS規格での長さ」や馬や子供の顔写真をノーヒントで出しての「この馬の名前は何?」「このマルコメ君は何代目?」や司会者の一エピソードなどといったウケ狙い問題も多くそれが番組の個性にもなった(当時のクイズ界では「難問の史上最強、奇問のFNS」とも言われていた)が、それと同時に問題文の作成が曖昧のまま出題された問題(「通称:山形新幹線、正式名称は?(第7回、この時の正解は「新幹線直行特急」で解答者の一人だったJR職員は「奥羽本線の事を言ってるのでは?」と推理した)」「歌舞伎十八番の"助六"、正しくは?(クイズ王伝説、この時の正解は「助六由縁江戸桜」で解答者の一人は「花川戸助六の事を指してるかと思った」との見解も述べた)」など)や、事実と違う答えを用意してしまう不手際も少なくなかった。また事前に東大生に筆記試験を行い、その全体成績によってステージごとに正解率の低い問題を選抜していた。

本選収録は全てフジテレビで行われたが、失格者は決勝ラウンドを除き強制退場が義務づけられ、次ラウンド以降を観戦することすら許されなかった。

予選風景も放送することが多く、結果的に落ちた出場者もインタビューされ大きく扱われるなど、『ウルトラクイズ』に近いお祭り的な空気感もある番組だった。本選出場経験は無いがキャラクターが受けたのを理由に「グランドチャンピオン大会」に招待された出場者もいた。それ以外の人でも「グランドチャンピオン大会」では一部の落選者が「観客」として出演していた。

毎年秋期の大会では『ウルトラクイズ』の開催時期とかぶっており、予選通過者の中には『ウルトラクイズ』の成田予選参加を理由に本選出場を辞退した人も数多くいた。

第2回以降のナレーターを担当したデーモン小暮はそのキャラクターのごとく冷酷な語り口で、挑戦者の過去のクイズ賞歴に対しては「もう〇年前(〇ケ月前)の話だ」、早押しで失格になった挑戦者を「早とちり」「慌て者」、などと一蹴していた。



予選

全国各地の会場で一斉同時に同一問題の筆記クイズ(問題数は回によって異なる)を行う。

第1回から第5回は、問題用紙はなく、代わりにフジテレビアナウンサーの境鶴丸が読み上げで中継出題された。


地区毎ではなく、合格点以上の点数を取った全国成績の上位者が本選進出となる。つまり、誰も合格点に達しなかったがために本選に出場できなかった地区が発生したケースがある。なお合格点はその時の平均点によって左右される。

第1回のみ、他のクイズ番組での優勝20人を招待選手として予選を免除し、1ラウンドに送り出した。

第2 - 6回までは第1ラウンドでこの形式がとられた。

満点は第1回は300点、第2回は250点、第3回は150点、第4回以降は100点。


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