FNN_DATE_LINE
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「DATE LINE」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「デイトライン」をご覧ください。

FNN DATE LINE
ジャンル報道番組
出演者露木茂
山村美智子
上田昭夫
小出美奈
木村太郎
松尾紀子
永島信道
山中秀樹
オープニングテーマ音楽を参照
製作
制作フジテレビジョンFNN

放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域 日本

FNN DATE LINE → DATELINE
放送期間1987年10月1日 - 1990年3月31日
放送時間【平日】23:00 - 翌0:20
→ (1988年4月から)23:45 ? 翌0:20
(1989年4月から)23:45 ? 翌0:30
【土曜・日曜】 23:30 - 翌0:40
→ (1988年4月から)23:30 - 23:45(1989年4月から土曜は翌 0:00 - 0:15)
放送枠フジテレビ系列深夜ニュース枠
放送分平日80分、土曜・日曜70分→1988年4月から平日35分、土曜・日曜15分。1989年4月から平日45分

番組年表
前作FNNニュース工場
次作FNN NEWSCOM
特記事項:
1988年3月までは『プロ野球ニュース』を内包。同年4月から放送終了までは『ニュース最終版』に内包。
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『FNN DATE LINE』(エフエヌエヌ デイト・ライン)は、1987年10月1日から1990年3月31日までフジテレビFNN)で放送されていた深夜最終便の報道番組

1988年3月31日までは『FNN Date Line』、1988年4月1日からは『ニュース最終版』枠に内包されたためFNNの文字を削除し、『DATE LINE』として放送していた。
概要

平日はその日起こったニュース、特集、天気予報と、土曜・日曜は15分間でニュースと天気予報という構成。開始後半年間はニュース番組の中に『プロ野球ニュース』が内包される形であったが、1988年4月から『FNN DATE LINE』はニュース番組ゾーンの名称となり、『プロ野球ニュース』と併せて『ニュース最終版』という番組を構成した(すなわち、コンプレックス番組。平日は同ゾーンの第2部、土曜・日曜は第1部として放送)。

オープニングで福井テレビでは画面下に『協力:中日新聞』、東海テレビでは画面上に『東海テレビ』画面下に『協力:中日新聞』と表示していた。
1987年度

メインキャスターは前番組の『FNNニュース工場』から引き続き、平日は露木茂(当時フジテレビアナウンサー)と新しく加入した山村美智子(元フジテレビアナウンサー、現在の山村美智)が担当。土曜・日曜も『FNNニュース工場』から引き続き、永島信道(当時フジテレビアナウンサー)が担当。土曜・日曜の天気予報は『プロ野球ニュース』のキャスターだった大島智子(現在の大島さと子)が伝えていた。

1987年11月13日放送分で、山村美智子がスタッフのくしゃみに反応してしまい、笑いをこらえられないままニュースを読んでしまうハプニングが発生。さらに、11月16日放送分の三原山噴火関連のニュースでの発言が原因で、山村は番組降板を余儀なくされた。翌日の11月17日からは代理アシスタントを置かず、1988年3月31日までは露木が単独で番組進行に当たる異例の形をとった。その三原山噴火関連のニュースでは「あんな島に住まなければいいのに」という発言が問題とされたが、実際には「あんな島に住まなければいいと言う人もいますが、生活されている方にとっては、大切な故郷ですから」とコメントしたのが前半部分だけ切り取られて広まってしまったと、後年山村本人が語っている[1][2]
1988年度

『ニュース最終版』発足に伴い、再び単独のニュース番組となった。平日版は、平日昼の『FNNスピーク』の担当へ戻った露木茂から、慶應義塾大学ラグビー部出身でフジテレビ報道局政治部記者へ転身した上田昭夫(当時フジテレビ報道局記者)と『FNNスピーク』から小出美奈(当時フジテレビアナウンサー)にメインキャスターが交代した。土曜・日曜は長期間深夜のニュースを担当した永島信道から、当時20代後半の山中秀樹(当時フジテレビアナウンサー)に交代した。土曜・日曜は天気予報を含む15分番組となった。

鹿内春雄[3]が亡くなった(1988年4月16日)際には、当番組内で鹿内の訃報が伝えられた(土曜深夜の放送だったため、伝えていたのは山中秀樹)。
1989年度

1989年には、元NHK記者でニュースキャスターを務めていた木村太郎とフジテレビが専属契約を結び、メインキャスターとして起用。当番組終了後も2000年3月まで深夜最終版のニュースキャスター・コメンテーターを務めた[4]。女性キャスターは松尾紀子(当時フジテレビアナウンサー)に替わった。

木村が担当した1989年度は、『トーク』と称して木村によるニュース当事者への生インタビューや視聴者からの電話での質問を中心に据え、その前後に松尾紀子が伝えるストレートニュースやフラッシュニュース、天気予報を配置する構成をとった。
年末年始

年末年始は12月28日から1月3日まで15分の短縮版で放送していた。『プロ野球ニュース』は休止となっていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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