FNNスーパータイム
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1989年10月01日1990年09月30日木幡美子
1990年10月01日1991年03月31日田代尚子
1991年04月01日1992年03月31日黒岩祐治3小林穂波松井みどり
1992年04月01日1993年09月26日露木茂9山中秀樹10・13大林典子11大坪千夏
1993年09月27日1994年03月31日近藤サト13佐藤里佳12・13・14岩谷忠幸
1994年04月01日1994年09月30日松山香織4上田昭夫
中井美穂
1994年10月01日1995年10月01日山形斉子岩谷忠幸15
1995年10月02日1995年12月03日上田昭夫
八木沼純子16
1995年12月04日1996年03月31日濱田典子
1996年04月01日1997年03月30日菊間千乃


1 『FNNニュースレポート6:00』から続投。

2 1985年4月 - 1987年8月『夕やけニャンニャン』の本番組ニュース告知コーナーを兼務。

3 スポーツコーナーのパートナーキャスターを担当(逸見は1985年4月1日から、安藤は1992年4月1日から)。

4 タイトルコールも担当(安藤は1988年4月1日から)。

5 『FNNニュース・明日の天気』『FNNニュースレポート23:30』(陣内は1986年3月まで、山中は2番組とも、永島信道の代役として、1987年1月3日・4日のみ)を兼務。

6 1990年7月 - 同年9月『アンテナホット7』(金曜日のみ)1991年9月30日 - 1993年4月2日 10時台の情報番組(詳細は各番組のページを参照)を兼務。

7 『3時のあなた』(川端は木・金曜日担当、野間は月・火曜日担当として)を兼務。

8 『美味しんぼ倶楽部』を兼務。

9 1995年10月から『ビッグ・トゥデイ』のニュースコーナーを兼務。

10 1993年3月まで 木曜から土曜日の『FNNスピーク』(同年4月 - 1995年3月 土曜日のみ)木・金曜日午後および日曜日昼の『産経テレニュースFNN』をそれぞれ兼務。

11 吉崎典子の当時の姓。

12 『夕食ばんざい』を兼務。

13 1994年10月 - 1995年9月『FNNニュース2:00』を交替制として担当。

14 1995年1月 - 同年3月『スポーツWAVE』のニュースコーナーを兼務。

15 週末の『FNNニュース ザ・ヒューマン』→『FNNスーパーニュース』も続投。

16 平日の『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』→『FNNスーパーニュース』も続投。



前述の月 - 金曜日お天気コーナーはフジテレビの若手女性アナウンサーがシフトで担当。なお濱田は当時フジテレビアナウンサーであったが、気象予報士の資格を持っていたため、「気象予報士」の肩書きで出演。

『FNSの日』放送時の特別キャスター

期間メイン司会パートナー司会スポーツ天気中継
1987年タモリ1・2逸見政孝なし福井敏雄1
長野智子畑正憲
1988年露木茂2笑福亭鶴瓶3
塩原恒夫福井敏雄2黒岩祐治
1989年
明石家さんま3
中井美穂3横山隆晴
黒岩祐治
西村洋子
1990年黒岩祐治小田多恵子木幡美子太平シロー4
八木亜希子4なし
1991年武田鉄矢露木茂4なし須田哲夫
1992年逸見政孝4
岡本夏生4なし木幡美子なし
1993年辰巳琢郎
奥山佳恵安藤優子(不明)
1994年5露木茂安藤優子
大塚範一
1996年ラサール石井松山香織


1 『タモリのニュースファクトリー』も担当。

2 『DATE LINE DX』も担当。

3 『プロ野球ニュース DX』も担当。

4 『FNN NEWSCOM SPECIAL』も担当。

5 タイトル名は「オールキャスターニュース」。


放送時間

月-金曜版、土日版(1985年4月6日開始)ともに放送時間は一貫して変わらなかった。以下、日本時間(JST)で表記。

月 - 金曜日土曜日日曜日
全編全国枠全編全国枠全編全国枠
18:00 - 19:00
(60分)18:00 - 18:20
(20分)
(後に18:25まで)18:00 - 18:30
(30分)18:00 - 18:20
(20分)17:30 - 18:00
(30分)17:30 - 17:50
(20分)

年末年始も休止せず通常の出演者・体裁で放送されたが、月-金曜版については日によって18:30までの短縮版で放送される場合もあった(主に正月三が日や『FNS番組対抗NG名珍場面大賞年末スペシャル』が放送される日が該当)[注釈 1]
歴史
番組開始の背景

1984年(昭和59年)10月の改編期を前に、フジテレビの編成部長だった中出傳二郎(のち常務)は突然、報道センター室長に替わり、新しいニュース番組を担当することになった[6]。中出は藤村邦苗報道局長(のち副社長)らとともに[7]、新番組の責任者として、気象庁科学技術庁詰めだった小櫃眞佐己(のち常務)や澤雄二(のち公明党参議院議員)を引っ張り、「6時台の1時間枠で、今までにないまったく新しいタイプのニュース番組を作り出してほしい」と命じた[8]。当時、フジテレビの夕方6時台のニュース視聴率は3パーセントから4パーセントだった[8]。「ニュースも視聴率を上げなけりゃ、電波のムダ使いだ。新聞には"5W1Hという原稿書きの方法論があるが、テレビではこの5W1Hに何かプラスワンかツーをつけたテレビ的特色、テレビ感覚を入れてほしい」と中出は注文をつけた[9]。小櫃と澤らにも、「これまでの各局のニュース番組に欠けているのは感性だ」という思いがあった。感性が出すぎると、ニュースの信頼性を失う危険性はあるが、「感性の箱のなかで論理の世界を扱わねばならない矛盾を矛盾として受けとめながら、とにかく感性の部分をニュースに取り入れ、そこから視聴率競争に切り込みをはかろうと」考えた[9]。そして、ニュースにもスターを作ろうと、キャスターらしくない逸見政孝幸田シャーミンをメインキャスター起用。タイトルには派手な音をつけ、スーパー文字をカラー化し、映像も面白くて、視聴者が見たいと思うものを出していった[9]。こうした手法には視聴者が服装や音、刺激的な映像に気をとられ、論理がおろそかになるという批判はあった。が、論理を歪める気はさらさらなかったものの、「テレビとはそういうものだ」と割り切ったのである[1]
1984年度後期 - 1987年度(逸見・幸田時代)

1984年10月1日に放送開始。メインキャスターには『FNNニュースレポート6:00』から引き続き逸見政孝、フリーアナウンサーの幸田シャーミンが起用され、スポーツコーナーは月 - 水曜日は『FNNニュースレポート6:00』から野球解説者河村保彦、木・金曜日は野球解説者の江本孟紀が担当。
1984年


10月1日 - 放送開始。

1985年


4月1日 - リニューアル。スポーツコーナーは月 - 水曜日はスポーツ記者の長田渚左、木・金曜日は体操競技選手でロサンゼルスオリンピック金メダリストの森末慎二が担当。また同番組の開始前に生放送バラエティ番組・『夕やけニャンニャン』がスタートした。

4月6日 - 週末版がスタート。メインキャスターは陣内誠城ヶ崎祐子、スポーツコーナーは川端健嗣がそれぞれ担当。土曜日は『FNNニュースレポート5:30』から30分繰り下がり18:00開始となった。2001年3月31日の『FNNスーパーニュースWEEKEND』までこの体制が続いた。

8月12日 - 日本航空123便墜落事故が発生。夏休み期間中で地元の大阪に帰る予定のあった逸見政孝も当初定期123便ボーイング747SR-100に乗る予定だったが家族の勧めで東海道新幹線に変えた事で難を逃れる。逸見の夏休み期間中、代理メインキャスターを務めていたのが露木茂で、当番組を含めた臨時ニュースのメインキャスターを務めた功績で日本新聞協会賞を受賞。


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