FNNスーパーニュース
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FNNスーパーニュース
FNN SUPER NEWS

FNN Super NEWS
ジャンル帯番組/報道番組
出演者宮川俊二
八木亜希子
黒岩祐治
野島卓
安藤優子
木村太郎
木佐彩子
須田哲夫
西岡孝洋
西山喜久恵
長野翼
森下知哉
境鶴丸
奥寺健
大島由香里
椿原慶子
石本沙織
榎並大二郎
生野陽子
出演者を参照
オープニング歴代のテーマ曲・作曲者を参照
製作
プロデューサースタッフを参照
制作フジテレビFNN

放送
音声形式ステレオ放送[注 1]
放送国・地域 日本
放送期間1998年3月30日 - 2015年3月27日
放送時間放送時間を参照
公式サイト

番組年表
前作FNNニュース555 ザ・ヒューマン
次作みんなのニュース
関連番組FNNスーパーニュースWEEKEND
特記事項:
フジテレビTWOでの放送は19時台の時差放送後述)。
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『FNNスーパーニュース』(エフエヌエヌ スーパーニュース、ラテン文字表記:FNN Super NEWS)は、フジテレビおよびFNN系列各局1998年3月30日から2015年3月27日まで、平日夕方生放送されていたニュース番組

週末は、2001年4月1日までは『FNNスーパーニュース』として放送し、2001年4月7日から『FNNスーパーニュースWEEKEND』(以下、週末版と記す)に改題している。週末版についての詳細は、改題前も含めて同番組の項目で解説する。
概要

放送全期間において、FNNの通常放送における夕方ニュース番組の中では唯一クロスネット局を含めたFNN加盟全28局でネットされていた(後番組の『みんなのニュース』も同様だが、こちらはローカルパートで独自タイトルを用いる局がある)当初、フジテレビでの放送枠は18時台のみだったが後に17時台へ拡大し一時16時台にも進出した。また、16時・17時台への拡大後、この枠についてもネットする系列があるものの、平日の放送開始時間は予告や前番組の兼ね合いなどから各放送局毎に異なっている(ネット局に関しては後述を参照)。

17時台と18時台は2000年4月から2011年3月25日までテーマ曲やQショットなどのBGM、扱うニュース内容が全く異なっていたことや、2012年7月20日までEPGにおいて17:54までを関東ローカルの『スーパーニュース』、17:54以降を全国ネットワークの『FNNスーパーニュース』として扱われていたことから、厳密に言えば2分割の別番組の扱いとなっていた。なお、フジテレビ公式サイトで発表される番組表では当初から前者で一括りにされており、2012年7月23日よりEPGにおける扱いも前者に統一された。ただし、公表される番組内容や、データ放送(表示中の場合は17:54に一旦解除される)も同一であった。また、17時台と18時台後半(18:40 - 18:51.15)は各地域局の任意ネットである。

番組はハイビジョン制作(2005年1月4日より)。地上デジタル放送では2011年3月25日まで連動データ放送を実施していたが、2014年5月12日から再開された。
歴史
1998年度 - 1999年度(宮川→黒岩時代)

前番組『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』の視聴率低迷・早期打ち切りを受け、1998年3月30日に放送を開始した。メインキャスターには、『ニュースJAPAN』を担当していた宮川俊二と『めざましテレビ』を担当していた八木亜希子を起用した[1][2]。スポーツは『FNNスーパータイム』→『ザ・ヒューマン』から続投の八木沼純子に加えて福原直英が、天気予報は気象予報士の資格を持つ松尾紀子が、レポーター(のちのフィールドキャスターに相当)は佐々木恭子が担当した。

前番組と違い、スポーツコーナーを全国ニュースに直結した構成になる。このことにより、FNN・FNS系列はローカルニュースの構成で融通が利くことになった。これに伴い前番組までスポーツコーナーをネットしていなかった関西テレビでも放送。関西テレビローカルのスポーツコーナーも存続した。

1999年3月31日、八木以外の出演者が全員降板、4月1日からは八木の新たなる相棒として、3月までFNNワシントン支局長を務めていた黒岩祐治(現在:神奈川県知事)を迎えた。同時に関東地区での放送時間が30分拡大、17:25スタートになり、スポーツは西岡孝洋が、レポーターは島田彩夏が、天気は佐藤里佳が担当した。5月末からは、17時台前半の解説者として大林宏(解説委員で元アナウンサー)が、レポーターとして内田恭子が加わった。
1998年度・1999年度の沿革


1998年3月30日:放送を開始。エンディングでは、宮川が「はい、ということで『スーパータイム』、じゃないですね。『スーパーニュース』、明日もまた」と番組タイトルを間違える場面があった。

1998年7月12日:第18回参議院議員通常選挙が開票され、『FNN選挙スペシャル 激突!熟女軍団が斬る泣き笑いニッポン列島』が放送。司会は『ニュースJAPAN』の安藤優子が担当。サブキャスターは『報道2001』の露木茂役員待遇メディア事業本部専任局長と『FNNスピーク』の近藤サトが、解説キャスターは当番組より宮川と八木が担当した。

1998年10月2日:松岡修造が降板。

1998年10月5日:列島中継が終了し17:55からニュースを放送。

1999年1月7日:木曜日・金曜日担当フィールドキャスターとして伊藤利尋が登場する。

1999年3月5日:松尾が産休のため半年降板、3月8日より「ポップアップ天気」は(月曜 - 水曜)は佐藤里佳が(木曜・金曜)は島田彩夏が週末版のスポーツも兼務で担当。

1999年3月31日:宮川、福原、八木沼、佐々木が降板し、夕暮れ探検隊が終了した。宮川は『FNNスーパーニュースWEEKEND』、福原は『めざましテレビ』、佐々木は『情報プレゼンター とくダネ!』担当になった。

1999年5月31日:17:55までを八木のみで担当。

1999年9月6日:産休していた松尾が復帰。

1999年11月:バレーボールワールドカップタイアップドラマ『Vの嵐』放送に伴い、2週間にかけて18:50終了。

1999年11月21日:黒岩が『報道2001』と掛け持つ事になった。これはそれまで『報道2001』を担当していた当時フジテレビアナウンサーだった露木茂に政界工作関与の疑惑が起きたためである。

2000年3月31日:ほぼ全ての出演者が降板し、黒岩は引き続き『報道2001』を担当、八木がフジテレビを退社・フリーアナウンサーとして復帰するまで休養、大林は『ニュースJAPAN』コメンテーター担当に、松尾は『めざまし天気』金曜日担当にそれぞれ異動した。西岡・島田・内田はフィールドキャスターとして残った。また、この日は午後に有珠山が噴火したため、内容が有珠山噴火関連のニュース中心のものに差し替えられ、番組最後には降板の挨拶を行った八木は「こんな大変な日に本当に間が悪くて申し訳ない」と話した。

2000年度 - 2014年度(安藤時代)
2000年度 - 2009年度

2000年4月3日、番組スタイルや出演者・放送時間・ロゴ・テーマ曲などを一新する大幅なリニューアルを行う。フジテレビ午後のワイドショー番組2時のホント』の終了・午後ワイドショーの撤退(午後ワイドショーに関しては、その後復活・廃止を繰り返し、当番組の終了とともに再度の復活を果たしている)を受け、独立した芸能コーナー「文化芸能部」の設置や、グルメ企画の特集など、ワイドショーの要素を持つネタも扱うスタイルとなる[3](後の『バイキングMORE』と同様に午後のワイドショーと別時間帯のニュース・情報番組枠を統合させた形になる)。リニューアル前の番宣では「脱、よくあるニュース」をキャッチコピーとしていた。本番組の路線変更は成功し、以降、他局の夕方ニュースもそのスタイルを追随することとなる。

初日は有珠山噴火の続報に加えて、前夜に脳梗塞で緊急入院した小渕恵三(当時内閣総理大臣)に関するニュースも伝えた。

リニューアル当初は『夕方の新習慣』というキャッチフレーズも付いており、しばらくの間ロゴの上に「\夕方の新習慣/」もつけられていた。テレビ雑誌には「いち早く!より深く!ラーメンから宇宙まで出来事の核心全力追跡」と掲載した。放送時間は17時スタートに繰り上げ、後年段階的に繰り上げを行った。17時台は当初関東ローカルでの放送だったが、2001年10月1日に高知さんさんテレビが17時台のネットを開始したのを皮切りに、ネット局が徐々に増加していった(ネット状況に関しては後述参照)。

リニューアル当初の出演者は『ニュースJAPAN』から異動の「FNNスーパータイム」以来6年ぶりの再登板となる安藤優子・木村太郎と『プロ野球ニュース』から異動の木佐彩子、ニューヨーク勤務の後アナウンス専任部長となった須田哲夫、そして『2時のホント』から異動の境鶴丸・菊間千乃。安藤は1994年3月に『スーパータイム』を降板して以来6年ぶりに夕方の報道番組へ復帰した。当初、須田と木佐は18時台の全国ニュースには出演せず9月までの半年間は安藤・木村とスポーツ担当からフィールドキャスターとサブキャスターの兼務に転じた西岡の3人で進行していた。そして西岡のフィールドキャスター専任が決まり、代わって須田と木佐が全国ニュースに出演するようになった。これ以後は番組全編を同じメンバーで進行するようになる。その後、木佐が第1子出産、さらに菊間も平日午前の新番組『こたえてちょーだい!』立ち上げに伴いそれぞれ降板、そして木佐の後を引き継いだ西山喜久恵も第1子出産による降板、石原良純のお天気キャスター起用、須田の『新報道2001』担当による週後半の男性キャスターの交代などがあった。

レポーターは番組ホームページにおいて、「フィールドキャスター」と称され、島田・内田・西岡のほか、報道局記者の小泉陽一が加わった。メンバーは徐々に入れ替わり、滝川クリステル秋元優里らを輩出するなど若手アナウンサー・キャスターの登竜門的存在となった。

2002年4月1日に、安藤に交代して初めて放送時間を16:59.30にスタートに繰り上げ、テーマ曲も一新された(週末版は2009年3月29日まで従来のものを使用)。このテーマ曲はアレンジ版も含めば2011年3月の東日本大震災発生前まで長らく使われた。

2005年1月からV9スタジオがハイビジョン対応となり、まずは東名阪エリアのフジテレビ・東海テレビ・関西テレビからデジタルハイビジョン放送を開始した(他の系列局もデジタル放送開始とともに順次開始)。当初は生放送のスタジオ撮影のみに限られたがのちにVTR中も含めた全編でハイビジョン放送になった。

2005年4月1日からTBSが16:54開始の『イブニング・ファイブ』(全国ニュースは『JNNイブニング・ニュース』として放送)を立ち上げ、民放キー局4社が全て17時台に生番組を編成するようになる。当番組は4月1日から16:55スタート繰り上げを行い、2007年10月1日からは16:53スタートに繰り上げた。

2010年3月26日は、3月29日からの一部リニューアルに向けたスタジオセット建て替え工事のため、レインボーブリッジなどを見渡せるフジテレビ社内の渡り廊下に液晶モニターを置いたり、報道センター内のセンターテーブルを間仕切り板を立てた上で使用したりして放送した。
2010年度 - 2014年度

2010年3月29日、安藤と木村の就任10周年を機に10年間使用されたロゴと、8年間使用されたテーマ曲と、5年3か月使用されたスタジオセットが変更。それと同時に在京キー局の夕方枠報道番組で女性がメインキャスターを務めるのは当番組のみとなった。10月4日からリアルタイム字幕放送を実施している(週末版は2007年4月1日からすでに実施)。また、10月4日には平日の放送期間において『FNNスーパータイム』の12年半を越え、FNN平日夕方の全国ニュース番組で歴代最長寿となった。

2011年3月25日を以って須田・長野翼が揃って降板(須田は当初3月22日で降板予定であった)、3月28日には9年ぶりにテーマ曲が完全にリニューアルされ、17時台と18時台で曲が別だったがこれを機に統一された。さらに、テロップデザインが3年半ぶりに変更された。また、これに合わせて須田の後任として『FNNスピーク』の奥寺健が加入したほか、大島由香里椿原慶子がメインキャスターに昇格した(2人は隔週交代でメインキャスターとして出演、フィールドキャスターも兼務)。さらに、18時台のオープニングのヘッドラインがなくなり、全国ネット枠開始と当時にすぐスタジオの映像が映し出されてニュースを伝える流れに変更された。この流れは番組終了まで変わらなかった(後継番組『みんなのニュース』→『プライムニュース イブニング』→『Live News it!』→『イット!』でも同様)。番組の構成はあまり変えずにいたが、これを機に番組スタイルが大きく変わっていった。まず、2000年4月の全面刷新時より放送されていた「スポーツの力」がコーナー終了となり「文化芸能部」に吸収、「文化芸能部」も2012年6月でコーナー終了となった。2011年10月31日からフジテレビの全ての報道・情報番組ステレオ放送に切り替わったため、放送開始以来変わることがなかった音声モードがモノラルからステレオに変更された。


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