FLASH_PAPA
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『FLASH PAPA』
電気グルーヴスタジオ・アルバム
リリース1991年4月10日
ジャンルマッドチェスター
エレクトロニック
ヒップホップ
ポップス
ハウス
テクノ
時間41分31秒
レーベルSony Records/トレフォート
プロデュースTim Oliver
Tony Martin
Simon Crompton
Darrin Tidsey
Andy Birkinshow
Mark Hall
チャート最高順位


33位(オリコンチャート

電気グルーヴ アルバム 年表

662 BPM BY DG
1990年)『FLASH PAPA』
1991年)『UFO
(1991年)

EANコード
EAN一覧

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『FLASH PAPA』(フラッシュ・パパ)は、日本のテクノユニットである電気グルーヴのメジャーレーベルでのファースト・アルバム。

後に至るまで演奏されている「ウィー・アー」、「カフェ・ド・鬼」、「電気ビリビリ」などの他、人生 (ZIN-SAY!) 時代の曲「生ゴミOH2」も収録されている。

帯のキャッチコピーは「マンチェスターの本物野郎を手玉にとった、これが噂のハウス・ラップ・ユニット(ニセ物野郎)」。ちなみに、帯の裏には「はずれ」と印刷されている。

オリコンチャートでは最高位33位となっている。目次

1 背景

2 録音

3 リリース

4 アートワーク

5 ツア?

6 批評

7 収録曲

8 スタッフ・クレジット

8.1 電気グルーヴ

8.2 参加ミュージシャン

8.3 スタッフ


9 脚注

10 外部リンク

背景

電気グルーヴ結成後、同グループは新宿ロフトなどを中心にライブ活動を行っていたが、4回目のライブ後にSony Recordsから声が掛かり、メジャーデビューへの道へと進む事となった[1]。当時は第二次バンドブームの最中であったが、それに対し懐疑的に見ていたピエール瀧は「あんなのより電気の方がいい」と考え、メジャーデビューには前向きに検討していた[2]

その後インディーズレーベルにてアルバム『662 BPM BY DG』(1990年)をリリース、ほぼ同時期にメンバーの若王子耳夫高橋嵐が脱退するも、新メンバーとしてCMJKが加入した[3]。また同時期にラジオで「電気ビリビリ」を聴いたTMN木根尚登が歌詞に小室哲哉の名が使用されている事に関心を持ち[4]、それを知ったオールナイトニッポンのプロデューサーの仲介により小室から曲のリミックスを依頼される事となった[5]。同グループは、TMNのシングル「RHYTHM RED BEAT BLACK (Version 2.0)」(1991年)のカップリング曲「RHYTHM RED BEAT BLACK Version 300000000000」にてメジャーデビューを果たす事となった[3]
録音

プロデューサーにトニー・マーティン(ヒプノトーン)らを迎えマンチェスターでレコーディングされた。このアルバムにおける制作過程は、のちのメンバーの楽曲制作の手法に多大な影響を与えた。また、当初は808ステイトのグラハム・マッセイがプロデューサーを担当する予定であったという(808ステイトのQuadrastate、NewBuildのような作風にしたかったのだと思われる)[1]

現地でのレコーディングに関して石野は「向こうとこっちで決定的に違うのはリズムのグルーヴ感」、「打ち込みに対する姿勢が違う」、「音楽に対する考えも広くなった」など強い影響を受ける事になったと語っている[1]

先述の「RHYTHM RED BEAT BLACK Version 300000000000」の歌詞はこの時に作成された[4]

本作からシングルカットが1枚もなかった事に関して、石野は「この頃の音楽産業は景気がよかったから結構イレギュラーなものが許されるというか、むしろ逆にイレギュラーなものこそ知恵を絞ってやるみたいな、そういう時代だった」と語り、瀧はメジャー資本に入った事で様々な部署のスタッフと親交が深まっていった事で「アイデアもいっぱい出てきて、今なら取捨選択できるようなものであっても当時はとにかく『バカバカしいからそれやっちゃおう』っていうノリで、会社側にもそういう体力があったし、それでカタチになっていった」と述べている[6]。また、この当時にレーベルの代表から「瀧、おもしろいから演歌出せよ」と言われた事から瀧勝としてシングル「人生」が製作される事になった[6]

アルバムタイトルは当初『ヘンタイ夫婦』なども候補に挙がっていたが、採用されなかった[6]
リリース

1991年4月10日Sony Records/トレフォートよりリリースされた。

発売から2年後、1993年5月21日には本作のリミックスアルバム『FLASH PAPA MENTHOL』がリリースされている。
アートワーク

ジャケットは本来、渋い中年を起用する予定だったが、撮影当日に現れたのは、何を勘違いしたのか“裸の大将”風の若者だったので、仕方なくこのジャケットになったという[7]。発売当日は取材で銀座のCDショップを訪れたが、本作はその店に置かれていなかった。

また、本作のジャケットに関して、メンバーは「背中を向けたオッサンがいてピカーッて光ってる」というニュー・ウェイヴを意識したイメージを伝えたが、実際に出来上がってきたものはメンバーのイメージとは大きく異なるものであったという[6]。しかし、メジャーデビュー後まもなくの右も左も分からない状態であったメンバーは修正させる方法が分からず、そのままジャケットとして採用される事となった[6]

また、ジャケットに本人達の写真が一切使用されていない事について、周囲からは写真を載せるように要求されたが、石野はデペッシュ・モードのインタビュー中にあった「何年か経って若かった頃の自分達の写真なんか見たくないだろう」という発言に感化されていたため頑なに拒否したという[6]

さらに、人生時代とは打って変わり一切ノーメイクで露出した事に関しては、「ある種の仮面みたいなもので自分が守れるかと思ったら、時間が経つにつれて逆に重荷になってくることってあるじゃない。だったらはじめから自然体で出てったほうが楽」と語り、瀧は「着飾って出ていくとやがては着飾ったものを脱ぐか、エスカレートしてさらに着飾っていくしかないから。そんな気持ち悪いことになるなら最初っから素っ裸のほうがいい」と語っている[6]


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