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国際サッカー連盟Federation Internationale de Football Association
(FIFA)
ロゴ
連合別のFIFA加盟国の地図
略称FIFA[1]
標語For the Game. For the World.
設立1904年5月21日 (120年前) (1904-05-21)
設立地 フランス・パリ
種類競技連盟
法的地位サッカーの運営団体
目的スポーツの統治
本部 スイス・チューリッヒ
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯47度22分53秒 東経8度34分28秒 / 北緯47.38139度 東経8.57444度 / 47.38139; 8.57444
国際サッカー連盟(こくさいサッカーれんめい、フランス語: Federation internationale de football association, 英語: International Association Football Federation)、FIFA(フィファ [?fi?f?])は、サッカーの国際競技連盟であり、スイスの法律に基づいた自立法人である。本部はスイスのチューリッヒに置かれている。
2018年時点で全211の国内競技連盟が加盟し[3]、国際競技連盟としては世界最大である[4]。FIFAワールドカップの主催が、もっとも大きな任務となっている。
概要FIFA加盟国を色であらわしている。
FIFAの傘下には、以下の6つの大陸競技連盟がある。
アジアサッカー連盟(AFC)
アフリカサッカー連盟(CAF)
欧州サッカー連盟(UEFA)
オセアニアサッカー連盟(OFC)
北中米カリブ海サッカー連盟(Concacaf)
南米サッカー連盟(CONMEBOL)
各国のサッカー協会は、FIFAと大陸競技連盟両方ともそれぞれに直接加盟している。したがって、FIFA加盟が認められず、大陸競技連盟だけに加盟しているサッカー協会は、FIFAの大会には参加できず(その場合は大陸連盟主催の大会のみ出場できる)、そのサッカー協会が行う試合は、国際Aマッチなどの国際試合としてはFIFAには公認されない。
UEFAに所属するイギリスの本土4協会(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの各協会)は、競技としてのサッカーの成立過程およびFIFAへの加盟に関わる歴史的背景から、特権的な地位が与えられている。たとえば、FIFA副会長(定数7)の1席がこの4協会のいずれかに保証されており、本土4協会のすべてが役員選で落ちることはあり得ない。また、サッカーのルールや重要事項に関しては、FIFAとこのイギリス本土4協会で構成する国際サッカー評議会が決定することになっている。 1904年5月21日、フランスの首都パリで、フランス、オランダ、スイス、デンマーク、ベルギー、スウェーデン、スペインの7か国(実際にはスウェーデンとスペインは会議に出ることができず、デンマークとフランスが代理を務めた)が集まり、世界のサッカー統括組織設立の会議を開催した[4]。同年5月23日までの3日間で組織名を「国際サッカー連盟(略称:FIFA)」と決定した。わずか28名のFIFA総会(FIFA Congress)は、フランスのスポーツ統括団体USFSA(Union des Societes Francaises de Sports Athletiques)のフットボール委員会幹事(フランス体育連盟書記長)のロベール・ゲラン(フランス人)を初代FIFA会長に選出した。このときゲランは28歳であった。 任期はわずか2年だったが、その間に、英国本土4協会(地域協会認可の経緯の項で後述)、ドイツ、オーストリア、イタリア、ハンガリーの合わせて8つの国と地域の協会が、FIFA設立翌年の1905年に加盟した[5]。欧州以外では第2代FIFA会長ダニエル・ウールフォール(イギリス人。イングランドサッカー協会会長も兼務)時代に、南アフリカが1909年に加盟したのが最初である。 誕生したばかりのFIFAには実行力も資金もなく、パリの中心街のビルの一室で運営していた[4]。1921年に第3代FIFA会長に就任したフランス人のジュール・リメは、同じくフランス人の側近のアンリ・ドロネー事務総長(General secretary)とともに、就任直後からサッカー単独の世界大会実現のために尽力した[6]。
歴史
概要