インディーズ時代は主に中京圏で活動し、黒夢、Laputa、ROUAGEらと共に名古屋系バンドの代表格であった。インディーズ1stアルバム「太陽の虜」のクレジットではギターShunがギターシンセサイザーであり、ドラムが初代ドラマーの?タツヤ?であった。メジャー・デビューはフォーライフ・レコードから。事務所はSPEED HOUSE MUSIC COMPANY。 1997年から1998年頃にはMALICE MIZER、La'cryma Christi、SHAZNAと共に「ヴィジュアル四天王」と呼ばれていた[25]。なお当時の本人たちは「四天王」扱いされることについて「他人ごと」と捉えていたそうで、石月は2023年のインタビューで「僕は未だに、そう呼ばれたくないですよ」と語っている[11]。一方で和也は「ヴィジュアル系」という括りで覚えてもらえる側面もあったことを認め、「大人になってみて、『ビジュアル系』ってナイスなネーミング」「いい意味で考えると、キャッチーだったんだろうな?って思います」とも語っている[11]。 SPEED HOUSE MUSIC COMPANYは、ビーイング系アーティストのマネージメントを行ってきたケンプファーのスタッフが立ち上げた事務所であり、社長の神林義弘はのちに演歌系の大手芸能事務所、長良プロダクションの社長に就任した。 「火の鳥」で初のオリコンシングル週間チャートトップ10入りを果たし、ヒットを連発するが、シングル「7 [SEVEN]」リリース後、フォーライフを離れ自社レーベルSTOICSTONEを設立。その後もリリース間隔も短く精力的な活動を続ける。 ESPからは、メンバーそれぞれがオーダーしたギター、ベースが発売されていたが、現在は全て生産が打ち切られている。 ヴィジュアル系四天王のバンドで唯一、横浜アリーナでの単独公演を敢行していない。また、日本武道館でも、1997年、1998年のイベント「Break out祭」へのゲスト出演のみで、単独公演を行わなかった。メンバーの「ライブハウスでの観客の一体感を大事にしたい」という意図のもとである。しかし、当時福岡のRKBラジオでMIDNIGHT SPARKSの番組を持っていた関係で、RKBの新年イベントの放送の際に福岡ドームでライブを行った。 音楽性についてはインディーズ時代初期は名古屋系バンド特有のダークで退廃的な世界観や人間の内なる狂気等を歌詞のテーマにした重く激しい曲が多かったが、1996年の『MASK』以降はLove Me等のポップでメロディアスな曲が増えていき、メジャー・デビュー以降はポップ・ミュージック色の強い明るい曲調にファンタジーや現代を生きる若者の日常や青春、苦悩、恋愛、人生観を主に扱った歌詞がテーマの作品がメインとなっていった。 ドラムスの徹が行うコスチュームプレイが、隠れポイントである。 また、衣装デザインは全て石月努の担当だった。 タイトル発売日収録内容 タイトル発売日規格備考JP
概説
MV
「ゆらぎ」→掃除をする駅員
「BLUE ROSE」→ジャズピアニスト
「ドラキラ」→バンパイア(全員)
「everlove」→花嫁(オフショット)
ディスコグラフィ
デモテープ
カルマ1994年9月01.黒い太陽(作詞:石月努、作曲:KAZUYA)
02.メビウスと哀星(作詞:石月努、作曲:KAZUYA)
シングル
インディーズ
1stTruth1995年8月21日VHS
2ndMemories in White1995年11月25日8cmCDX'mas限定盤と通常盤が存在
3rd月の花1996年7月5日2枚同時リリース44
4thRain1996年7月5日47
メジャー
5thSUPER SOUL1997年8月6日8cmCD初回特典ブックレット付23
6thSLEEPER1997年10月29日23
7thONE -you are the one-1998年1月28日14
8thRainy merry-go-round1998年5月13日14
9th火の鳥1998年7月1日初回特典ブックレット付
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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