F-F境界
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顕生代の生物多様性(属レベル)の推移。横軸は年代を表し、単位は百万年。黄色の三角形が五大絶滅事件を示しており、左から二番目がF-F境界

F-F境界(エフ・エフきょうかい、: Frasnian?Famennian boundary)とは地質年代区分の用語で、約3億7220万年前(誤差160万年)の後期デボン紀フラニアン期とファメニアン期の境界に相当する[1]古生物学上では五大大量絶滅に数えられる顕生代二度目の大量絶滅のうち主要な絶滅事変が発生し、全海洋生物種のうち約80%[2][3]、属では50%代[2][4]、科では19%が絶滅した[4]。この出来事はケルワッサー事変とも呼ばれ[5][6]、F-F境界とケルワッサー海洋無酸素事変層は一致する[7]。なお、デボン紀にはD-C境界(デボン紀 - 石炭紀境界)をはじめ他の時期にも絶滅事変が起こっており、これらを合わせてデボン紀の大量絶滅事変として扱うことも多い[8]

大量絶滅から海洋生態系が回復するには3600万年を要したと見られている[3]。デボン紀の大量絶滅が主に上記の2つの大規模な絶滅事変で構成されるか、あるいは小さな絶滅事変の連続からなるかは明らかでないが、300万年後の間隔で一連の異なる絶滅のパルスが複数の原因で発生していたことが示唆されている[9]。約2500万年の間に7回もの絶滅事変が起き、特にジベティアンフラニアンファメニアンのそれぞれの末期の絶滅事変が甚大だったとする説も提唱されている[10]

後期デボン紀までに、陸上には植物昆虫が進出し、海にはサンゴと層孔虫類による大規模な礁が形成されていた。ユーラメリカ大陸ゴンドワナ大陸は後のパンゲア大陸に成長しつつあった。絶滅は海洋生物にのみ影響したらしく、腕足動物三葉虫および造礁生物などが打撃を受け、特に造礁生物はほぼ完全に絶滅した。絶滅の原因は不明であるが、主な仮説として地球寒冷化や海底火山の活動に起因する海水準変動や海洋無酸素事変が挙げられている[2]。また、スウェーデンのシリヤン・リング(英語版)はF-F境界とほぼ同時期の約3億7680万年前(誤差170万年)に地球に衝突した隕石により形成されたクレーターであると考えられており[11]、その影響も提唱されている[2]
後期デボン紀の世界

後期デボン紀の地球の大陸配置は現在の様相と違っていた。超大陸のゴンドワナ大陸が南半球を広く覆い、北半球にはシベリア大陸が分布し、赤道付近ではバルティカ大陸などからなるローラシア大陸イアペトゥス海を狭めながらゴンドワナ大陸方向に移動していた。現在のスコットランド高原やスカンディナヴィアをまたいで成長し、アパラチア山脈も現在の北アメリカ大陸で成長しつつあった[12]ティクターリクの生態復元図

生物相も現在とはまるで異なる。オルドビス紀以降蘚類苔類および地衣類にも似た形態だった植物は、根・種子・水輸送システムが進化し、常に湿潤な場所から離れても生育できるようになり、高地に大規模な森林を形成するに至った。後期ジベティアンまでにはクラドクシロプシッダ類(英語版)のシダやアーケオプテリスなどの原裸子植物(英語版)といった現在の樹木に似た生態の系統が出現した[13]。魚類も大きく放散しており、ティクターリクなどの初期の四足動物には脚構造が進化し始めた。
進行

デボン紀の最後の2000 - 2500万年間は、絶滅率が背景絶滅率を上回る状態が続いていた。この時期には8 - 10回の明瞭な絶滅事変が起きており、特にそのうち2つが深刻なものであった[14]。長期の生物多様性の減少が続いた後に[15]F-F境界に一致するケルワッサー事変、デボン紀末のハンゲンベルグ事変が起きた。

ケルワッサー事変は2つの絶滅事変が近い時期に起きたことが分かっている。例えば、ベトナムハウザン省マーピレン地域に広く分布するトックタット累層では、上部ケルワッサー事変と下部ケルワッサー事変にそれぞれ対応する可能性の高い黒色頁岩層が産出している。黒色頁岩は生物に分解されなかった有機物が海底に堆積したもので、当時の海水が酸素に乏しかったことを意味する。従って、2回の独立した海洋無酸素事変が起きていたことが分かっている[7]。なお、中華人民共和国広西チワン族自治区欽州市板城付近にはジベティアンから前期石炭紀トルネーシアンまでに相当する珪質岩層が分布するが、下部ケルワッサー海洋無酸素事変の痕跡は一切確認されていない。一方で上部ケルワッサー海洋無酸素事変を示す黒色頁岩や有機質石灰岩は産出しており、深海では無酸素環境、浅海では貧酸素環境であったことが示されている。このことは、下部ケルワッサー海洋無酸素事変では無酸素水塊が全球的に分布はしていなかったこと、そして上部ケルワッサー事変では無酸素あるいは富栄養深層水が浅海域に上昇して低酸素化を招いたことを示唆している[16]

デボン紀に続く石炭紀の最初の1500万年間は陸上動物の化石がほとんど産出しておらず、これは後期デボン紀の大量絶滅の爪痕であると考えられている。この化石の空白期はローマーのギャップと呼ばれる[17]。2020年1月に発表された中国科学院南京地質古生物研究所による底生生物と浮遊生物およびサンゴの研究によると、前期石炭紀ビゼーアンでようやく大規模なサンゴ礁と数多くの生物種が出現しており、大量絶滅前の多様性を回復するまでケルワッサー事変から3600万年を要したことになる[3]
影響

デボン紀の大量絶滅では、全海洋生物種のうち82 - 83%[2][3]、属では50 - 57%[2][4]、科では19%が絶滅した[4]。大半の絶滅事変と同様に、小さな生態的地位を占めるスペシャリストの分類群はジェネラリストよりも大きな打撃を受けた[6]。生物多様性の低下は絶滅の増加よりもむしろ種分化の減少に起因することが複数の統計的解析から示唆されている[18]

特にサンゴ外肛動物といった造礁生物が打撃を受けたほか[2]腕足動物三葉虫アンモナイトコノドントアクリタークも影響を受けた。フデイシとウミリンゴ(英語版)はこの絶滅事変で姿を消した。生き残った分類群にも絶滅事変の前後で外見の変化が見られている。三葉虫はケルワッサー事変に向けて目が小型化し、事態が収束してからは元の大きさに戻っている。これにより、当時は海水の濁度や水深などの要因で視覚の重量度が下がっていたことが示唆されている。三葉虫の頭部などの縁もこの時代に拡大しており、これは海洋の貧酸素化に伴って呼吸器への働きかけを増大させていたと考えられている。コノドントの摂食器の形状も酸素同位体比、すなわち水温と相関があり、これは栄養分の流入の変化に伴って占める栄養段階を変えていたことに関連する可能性がある[19]

ケルワッサー事変で放散虫は打撃を受けなかったとかつて考えられていたが、全放散虫の科レベルの多様性は失われなかったものの、27%の属がフラニアン期末に絶滅していたことが2002年に判明した。フラニアン期ではEntactinaria亜目が支配的な放散虫であったが、F-F境界で放散虫群集の大転換が起き、ファメニアン期ではAlbaillellaria亜目とNassellaria亜目が繁栄した[20]。ベトナム北部のフラニアン階に相当するトクタット累層からはテンタキュリトイドと呼ばれる微小な円錐形の殻化石が多産するが、その産出量と多様性は化石記録上減少しており、低緯度の古テチス海域における彼らの絶滅パターンが窺える[7]


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