F-82_(戦闘機)
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P-82 / F-82 ツインマスタング

飛行するF-82E-NA 46-294号機(手前)、46-296号機
(第27戦闘飛行隊所属、1948年撮影)

用途:護衛戦闘機夜間戦闘機

分類:戦闘機

設計者:エドガー・シュミュード

製造者:ノースアメリカン・エイヴィエーション

運用者: アメリカ空軍

初飛行:1945年6月15日[1]

生産数:272機

運用開始:1946年

退役:1953年

運用状況:退役

ユニットコスト:215,154米ドル

原型機:P-51 マスタング
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P-82 ツインマスタング(North American P-82 Twin Mustang )は、アメリカ合衆国ノースアメリカン社が開発しアメリカ空軍に運用されたレシプロ双発複座戦闘機である。

愛称の「ツインマスタング (Twin Mustang)」は2つのマスタングの意である。1947年の命名規則変更によってF-82に改称された。愛称は原型のP-51と同様に日本語で「ツインムスタング」と表記することもあるが、この項では「ツインマスタング」とする。

目次

1 概要

2 各型

3 諸元

4 現存する機体

5 脚注

6 参考文献

7 関連項目

8 外部リンク

概要

第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空軍は、爆撃機護衛用の長距離戦闘機を求めていた。当時、長距離護衛戦闘機の主力だったP-38ライトニングP-47サンダーボルトP-51マスタングなどは単座機であり、ドイツ日本本土爆撃などの長距離任務の際、パイロットは長時間に渡り一人で操縦し続けなければならなかった。そこで、パイロットの負担が少なくて済むように、交代で操縦できる複座戦闘機の開発が要求された。これを受けノースアメリカン社は、2機のP-51を連結した双胴式戦闘機(社内モデル呼称NA-120)をP-82として開発することとなった。

陸軍航空軍から3機の試作機発注が1944年1月7日に行われ、3月には量産型P-82Bが500機発注された。その後、日本無条件降伏に伴い発注は20機に激減した。さらに一転し、軍は100機注文を出す。

基本的にはP-51Fの主翼および水平尾翼どうしを連結し、レシプロ双発エンジン、コックピットは二ヶ所としたものである。ただし、全長が伸びており、翼なども結局再設計が必要となった。プロペラは左右で逆回転であり、トルクを打ち消すようになっている。エンジンはパッカード・マーリンV1650が搭載され、左側のエンジンは逆回転用にギアが一つ多くつけられていた。しかし、試作機は当初の初飛行試行に失敗する。約1ヶ月の検討の末に振り上げ後流が内翼に当たることで予想外の抵抗が発生しており、エンジンを左右入れ換える改修が施された。武装の機銃6丁は内翼に装備され外翼には機銃は設置されていない。また、パイロットが交代で操縦することができる。機体が大型になったものの、P-51に劣らぬ性能を発揮した。エンジンは後により高出力のアリソンV1710に変更された。

試作機であるXP-82は1945年4月15日に初飛行している。部隊配備は戦後であり、長距離戦闘機型P-82Eは1948年より部隊配備されている。このほか、旧式化したP-61戦闘機の後継として、夜間戦闘機型が1948年から配備される事になった。結果的にはジェット戦闘機が長距離戦闘や夜間(全天候)戦闘を行えるようになるまでのギャップを埋めたレシプロ戦闘機として、朝鮮戦争F-86セイバーなどのジェット機が活用できない状況で用いられた。

夜間戦闘機型では、右側の操縦席をレーダー手席に改造し、中央部主翼の下に増槽型のレーダーユニットを搭載した。このユニットは胴体着陸時などに投下可能なよう、取り外し式であった為、高G機動時などで落下してしまう事があった。

1947年3月28日、「ベティ・ジョー(Betty Jo、44-65168号機)」と名付けられたP-82Bがホノルル - ニューヨーク間の無着陸飛行に挑戦し、14時間32分かけてこれを成し遂げた。この記録はレシプロ戦闘機による無給油での最長飛行記録となり、未だに破られていない。
各型

制式名称XP-82F-82G
全幅15.62m
全長11.61m12.93m
全高4.17m4.22m
翼面積37.9m2
翼面荷重296.8kg/m2306.3kg/m2
自重6,080kg7,256kg
正規全備重量11,249kg11,608kg
発動機パッカード マーリン266エンジン V-1650-23/25(離昇1,380馬力)2基アリソン V-1710-143/145(離昇1,600馬力)2基
最高速度(不詳)742km/h(高度6,400m)
航続距離3,540km3,605km(落下式増槽装備時)
武装内翼 ブラウニング M3 12.7mm機関砲6門(携行弾数各発)

翼下 127mmロケット25発内翼 ブラウニング M3 12.7mm機関砲6門(携行弾数各発)

翼下 127mm無誘導ロケット弾25発
爆装450kg爆弾4発または900kg爆弾2発450kg爆弾4発
生産数2機59機(うちP-82Bより9機改造)



XP-82
試作機。V-1650エンジン(出力1,380馬力)使用。2機製造。
XP-82A
試作機。XP-82の改良型。V-1710エンジン(出力1,600馬力)使用。1機製造。
P-82B
初期量産型。戦争の終結に伴い、主に試験目的に使用。20機製造。
P-82C
夜間戦闘機型の試験機。P-82B(44-65169)を改造。
P-82D
C型と異なるレーダーを装備した夜間戦闘機型の試験機。P-82B(44-65170)を改造。
P-82E
長距離戦闘機の量産型。1946年発注。100機製造。
P-82F
夜間戦闘機型の量産型(ゼネラル・エレクトリック社製AN/APG28レーダー搭載)。1946年発注。100機製造。
P-82G
夜間戦闘機型の量産型(ウェスタン・エレクトリック社製SCR-720C18レーダー搭載)。1946年発注。50機製造。
F-82H
F型およびG型の寒冷地向け仕様。F型やG型より50機改造。
諸元 朝鮮戦争中の1950年11月板付基地(現・福岡空港)から発進しようとする第68全天候戦闘迎撃飛行隊所属のF-82G-NA 46-357号機のパイロット、ジョニー・ゴスネル大尉を彼の家族が見送っている様子。妻が大尉に向かって敬礼し、大尉は家族に手を振っている。

制式名称XP-82F-82G
全幅15.62m
全長11.61m12.93m
全高4.17m4.22m
翼面積37.9m2
翼面荷重296.8kg/m2306.3kg/m2
自重6,080kg7,256kg
正規全備重量11,249kg11,608kg
発動機パッカード マーリン266エンジン V-1650-23/25(離昇1,380馬力)2基アリソン V-1710-143/145(離昇1,600馬力)2基
最高速度(不詳)742km/h(高度6,400m)
航続距離3,540km3,605km(落下式増槽装備時)
武装内翼 ブラウニング M3 12.7mm機関砲6門(携行弾数各発)

翼下 127mmロケット25発内翼 ブラウニング M3 12.7mm機関砲6門(携行弾数各発)

翼下 127mm無誘導ロケット弾25発
爆装450kg爆弾4発または900kg爆弾2発450kg爆弾4発
生産数2機59機(うちP-82Bより9機改造)

現存する機体

型名   番号    機体写真    国名所有者公開状況状態備考                 
XP-82-NA44-83887
120-43743
180pxアメリカ ジョージア州トム・レイリー氏 ⇒[1]
(Tom Reilly)公開飛行可能ウォルター・ソプラタ氏 (Walter Soplata)のコレクションであったが、レイリー氏が購入し修復された。 ⇒[2][3]
P-82B-NA44-65162
123-43748アメリカ オハイオ州国立アメリカ空軍博物館[4]公開静態展示F-82Gとして展示されている。


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