ボイドは海軍のF-14は明らかに重く高価すぎることから、必ずこれを代替ないし補完する機体が必要になると予測したうえで、その種の機体に関する研究で海軍に先んじなければ、空軍は、海軍の研究に基づく機体を押し付けられることになりかねないという論理を構築した。この論理はリッチオニ大佐によって正式に提案され、空軍上層部により研究予算14万9,000ドルが承認され、ジェネラル・ダイナミクスとノースロップに研究が打診された。予算配分はジェネラル・ダイナミクスが4万9,000ドル、ノースロップが10万ドルであった。
空軍上層部はF-XX構想に興味は示したものの、空軍では高額な兵器の開発・配備を行うことで請求予算を増やすことが常態化しており、空軍上層部の大部分を占めるF-15推進派は安価な新型戦闘機の出現がF-15導入の予算に影響し、それにより請求できる予算が減額して空軍に配分される予算が減額される可能性があると懸念しこの動きを嫌っていた(実際、戦闘機マフィアの目的は主力戦闘機をF-15からF-XXに取って代わらせることだった)。この結果、ボイドとスプレイは正面からの説得をあきらめ、地下活動に移行することとなった。しかし、当時国防副長官だったデビッド・パッカードが、CL-1200ランサーの売り込み先を探していたケリー・ジョンソンの助言によりこの計画に興味を持ち、先進技術の実証機として軽量戦闘機(LWF:Light Weight Fighter)F-XXの開発計画を開始した[5][6][7][8]。
1972年1月6日に提示した要求提案(RFP:request for proposal)は、通常であれば詳細な性能や想定される作戦なども記載され、200ページ程度に達するものであるのに対し、わずか21ページという簡潔な物であった。そこでは、20,000lb(約9トン)級の小型の機体で高い機動性を持ち、搭載される電子機器は単純で、最高速度はマッハ1.6程度、設計案のうち2案による比較テストを行うが量産や制式化は考慮しないとされていた。この要求提案を受け取ったのは9社の航空機製造メーカーであった。そのうち、グラマン(F-14)、フェアチャイルド(A-10)、マクドネル・ダグラス(F-15)、ロックウェル・インターナショナル(B-1)といった、すでに新型機の受注を得ていた企業は開発参加を辞退した。米国防総省の社会主義的な受注調整(カルテル)の対象になると見込まれた為である。YF-17とYF-16
この要求提案に応じたジェネラル・ダイナミクス、ノースロップ、ボーイング、LTV、ロッキードの5社のうち、ジェネラル・ダイナミクス社が開発する契約を締結した。ジェネラル・ダイナミクス社は、1960年代から社内研究案として計画していた軽量戦闘機モデル404/785/786の発展型であるモデル401、ノースロップ社内研究案P-530の発展型であるP-600(後のYF-17)をLWFの審査対象と考えていた[9][10][11][12][13]。
ロッキード社スカンクワークスが提案したCL-1200 ランサーは、極めて低い評価に終わり、F-5A/Bの後継海外供与機計画に続き採用されなかった。その低い評価は、ケリー・ジョンソンの『ハノイ上空でミグ相手に航空戦を引き起こした場合、航続距離不足になるようなRFPでは意味がない(要約)』といった独断の主張に基づくものであった。しかし、スカンクワークスの2代目ボスベン・リッチは、提出したカタログスペックは量産されたF-16にきわめて近い物であったとしている[14][6]。
T-1100を提出したLTVの航空機部門は、ヴォート・エアクラフト・インダストリーズとして1983年の独立後も経営を続けているが、1980年代末のA-10後継機選定においてF-16派生型のA-16と採用を争ったA-7Fの設計を最後に航空機開発から撤退した[13]。
ボーイングにより提案されたモデル908は、初期の評価では有力な採用候補とされていたものの、早くからE-M理論の研究を進めていたジェネラル・ダイナミクスとノースロップの二社に比べてEM理論に対する理解が不十分で最終的には選考されなかった。この設計案はF-16と同様の機体下部エアインテークを採用しており、この配置は後の先進戦術戦闘機計画(ATF:Advanced Tactical Fighter)提出案やX-32でも採用された[15][16]。