F-117
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F-117 ナイトホーク



用途:攻撃機

分類:対地攻撃機

製造者:ロッキード(現ロッキード・マーティン)社

運用者: アメリカ合衆国アメリカ空軍

初飛行:1981年6月18日

生産数:64機

運用開始:1983年10月

退役:2008年4月22日

運用状況:保管中(アグレッサー部隊で使用)

ユニットコスト:1億2,200万USドル
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F-117とは、ロッキード社(現ロッキード・マーティン社)が開発した、アメリカ合衆国ステルス攻撃機。英語ではエフ・ワン・セブンティーンと呼ばれ、愛称はナイトホーク(Nighthawk)。 配備されるF-117
概要

世界初の実用的なステルス機として1981年に初飛行を行った、アメリカ空軍攻撃機である。レーダーから発見されにくくするため、平面で構成された独特の多面体の機体形状をしている。これにより空気力学的に不安定な形状となっているが、操縦にフライ・バイ・ワイヤを採用し、姿勢制御にコンピュータを介在させることで安定性を確保した。1982年には部隊配備が始まっていたが、アメリカ国防総省1988年11月に不鮮明な写真を公開するまで、詳細はおろか存在自体が極秘扱いとされていた。

機体は黒一色に塗装され、主に夜間作戦に使用されることから、アメリカヨタカを意味する「ナイトホーク(Nighthawk)」の愛称が与えられた[注釈 1]

1983年に実戦配備がスタートし、1990年までに全59機の配備が完了した。攻撃機として主に重要施設への空爆を任務としており、湾岸戦争をはじめいくつかの実戦で使用されたが、撃墜による損失はコソボ紛争における1機のみとされている。

運用・維持コストの高さから2008年4月22日をもって全機が退役し、現在は研究や訓練サポート等の限られた用途で使用されている。

2016年12月23日に米国議会で可決された2017年国防授権法(NDAA)により、今後毎年4機のペースで廃棄処分することが決定、飛行可能な機体を残しつつ、部品の取り卸しを行いながら段階的に廃棄を進めていくことが明らかになった。[1]

1機当たりの価格は約4,500万ドル(2006年上半期)。技術流出を防ぐため、輸出は行われなかった。
歴史

1970年代中期、国防高等研究計画局(DARPA)は、アメリカ国内航空機メーカー5社に対しステルス戦闘機形態の研究契約を締結した。当初ロッキード社は、1960年代以降戦闘機の開発経験が皆無であったことを理由に参入を見送られていたが、同社のスカンクワークス部長ベン・リッチの主導のもと自主開発研究を行い、国防高等研究計画局に働きかけ追加参入を成功させた。

1975年8月にノースロップおよびロッキード社が招聘され、XST:Experimental Survivable Testbedのプランが提示された。これに応じてロッキード社スカンクワークスのトップであったディック・シーラーは電磁気学のスペシャリストのデニス・オーバーホルザーに"見えない戦闘機"の開発が可能であるかどうか打診。オーバーホルザーは可能であるとの見解を示し、コードネーム「Echo1」と言われるレーダー波の物体表面での反射を計算するソフトウェアを作り上げ、引退していたスカンクワークスの数学者であったビル・シュローダーからのアドバイスと、50年前のソビエト連邦でピョートル・ユフィンチェフによって発表されていた電磁波の進行方向を反射面の形状から予測する論文を基にプロトタイプ機を開発した[2]

ノースロップとロッキード両社のプロトタイプは小型の単座式という共通点はあったが外観は大きく異なり、ノースロップ社の物はレーダー波の乱反射を低減させるために丸みを帯び機体に鋭角を生じさせない形状で、当時からサンディエゴのシーパークで有名だったシャチに似ていることから"Shamu"とあだ名されたのに対し、ロッキード社の物は当初からレーダーを特定方向にのみ反射させるために角張った形状を持っていた。軍配はロッキードに上がり、1976年の4月から開発が開始された[3]。多面体から構成された機体の形状はその飛行特性を危惧されたが、風洞での実験では予想外に良好な結果が得られた[4]
開発時の考慮事項
ロッキード社によれば、F-117を開発する際に以下の点が考慮された。
目視による発見

レーダーによる探知

飛行時の騒音

自身からの電波放射

赤外線による探知

排気ガスや飛行機雲やボルテックスによる発見
ステルス性能を語るとき2.と5.が注目されがちだが、他の性能も必要とされる。1.に関しては機体を黒色に塗り夜間のみ飛行する、4.に関してはレーダーを搭載せず、離陸後は無線交信も行なわない、6.に関しては雨天を含む高湿度環境で飛行しない、といったものである。F-117を昼間作戦に投入する実験として灰色迷彩に塗装した"デイホーク"による試験飛行も行われたが、結局運用コストに見合うだけの成果を得られず、全機退役への道を歩むこととなった。
ハブ・ブルー Have Blue F-117との各所寸法の違いの比較詳細は「ハブ・ブルー (航空機)(英語版)」を参照

試作機の開発には、国防高等研究計画局の予算から約3,000万ドルが支出された。性質上、この予算は公にする必要がないものとされた。試作機には「ハブ・ブルー(Have Blue)」のコードネームが与えられ、飛行テストではT-2Bバックアイゼネラル・エレクトリック社製のJ85-GE-4Aエンジンを転用した。

最初の飛行空力実験機HB1001(1号機)は、J85-GE-4Aエンジンの排気口からの赤外線放射を最小にすることに主眼を置いて設計された。細長い形状を持っていたが、全体的に細身で大きさが量産機の約60%の縮小モデルであったため重量は4,173-5,669Kgと爆撃機としては軽く、垂直尾翼が内側に傾斜する等、量産型とは形状がやや異なる。F-5の着陸用ギアやF-16FBWが転用されたことで、試作機2機に要した予算は3,700万ドルに抑えられたという。

ハブ・ブルーのスペックは以下の通り。

全長:38ft(約11.6m)

全幅:22ft(約6.7m)

主翼前縁後退角:72.5度(F-117は67.5度)

総重量:約12,000ポンド(5,433kg)級

乗員:1名

飛行試験と試作機の損失

1977年11月4日に、ロッキード社のバーバンクの施設で最初のエンジンテストが行われた。その後も空港が閉鎖された真夜中に限定したうえで、カモフラージュ用のネットがかぶせられて実験が繰り返された。近隣からはその騒音による苦情があったが機密は保持され、後にネバダグルーム乾湖にその場は移された。

契約締結からわずか20ヶ月しか経っていない1977年12月1日に初飛行テストが敢行される。35回のテスト飛行が無事行われたが、1978年5月6日に行われた36回目のテストで着陸に失敗。右主脚が途中まで引き込み、ロックができないと判断されたため、高度3,000mまで上昇したのち燃料を完全に消費しパイロット射出座席により脱出した。エンジンが停止したHB1001は、背面姿勢のまま地上に落下し大破した。また、ロッキード社のテストパイロットのビル・パークは射出座席が正常に分離せず降下時に重傷を負い、引退を余儀なくされた。

事故前から製作が始まっていた2機目のHB1002が、1978年7月20日(同年3月から4月には既に初飛行を行なったとの説あり)に初飛行し、試験飛行を引き継いだ。後に52回の飛行が行われたが53回目の飛行中に油圧系統の故障によりエンジンから発火、炎上した。この2機の破損した実験機は極秘裏に処分され、F-117およびB-2といったステルス機が公開されるようになった現在でもトップシークレット扱いで、わずかに公開された写真を除き、その詳細は不明のままである[3]

両機とも失われたハブ・ブルーであったが、飛行試験中はアメリカ空軍が誇るE-3早期警戒管制機ですら極めて近距離での状況以外、探知はできなかったなど、ステルス機としての性能を見せつけた。

1978年11月、アメリカ議会は極秘に実用型ステルス戦闘機の開発を承認、本格的な開発に移行した。
F-117の誕生 爆弾を投下するF-117


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