翌1997年1月発売の3rdシングル『Dear My Friend』で初のトップ10入り、49万枚のロングヒットを記録。4月発売の1stアルバム『everlasting』は初の1位獲得かつ初のミリオンとなる192万枚を記録し、大ブレイクを果たす。6月発売の4thシングル『For the moment』でシングルでも初登場1位を獲得し、同年末6thシングル『Shapes Of Love』にてNHK紅白歌合戦に初出場。
翌1998年には2月に発売した8thシングル『Time goes by』がシングルで初めてミリオンヒットし、4月に発売した2ndアルバム『Time to Destination』が352万枚というELT最大のヒットを記録した[4]。五十嵐の楽曲の世界観やシンセサイザーを駆使したサウンドと持田の歌声、ファッションが10代・20代を中心に支持を受けるようになり、1990年代後半を代表するグループに成長していった。
翌1999年3月発売の初のベストアルバム『Every Best Single +3』がダブルミリオン(225万枚)を記録するも、リーダーの五十嵐のプロデュースのための十分な時間を確保したいという思いで、本作リリース後はリリースやツアーのない期間を過ごした。持田はこの期間を「五十嵐さんの回復待ち」と表現した。
翌2000年1月に13thシングル『Pray/Get Into A Groove』、2月に14thシングル『sure』と3月に3rdアルバム『eternity』のリリース後、3月をもって五十嵐がプロデュース活動に専念するために脱退し、4月から持田と伊藤の2人になる[5]。「五十嵐はフロントメンバーから脱退し、サウンドプロデューサーになる」と発表されたことから、テレビやライブ出演はせずに楽曲提供を続けるものと思われたが、6月にシングルカットされた15thシングル『Rescue me (Single Mix)』で携わっただけで、五十嵐が直接的にELTの楽曲への関与はなくなる。10月には五十嵐脱退後初の新曲となる16thシングル『愛のカケラ』をリリース。これを以て正式に2人体制での活動がスタートする。
2001年1月発売の17thシングル『fragile』はフジテレビ系『あいのり』主題歌として使用され久々の1位獲得、83万枚というシングルでは自身2番目のヒットを記録。同年オリコン年間カラオケチャートで1位を獲得し、3年連続年間TOP10入りを果たした。その後も、2002年『UNTITLED 4 ballads』、2003年『また あした』、2004年『恋文/good night』など安定したヒット作を飛ばし、NHK紅白歌合戦には過去8回連続出場している(1997年 - 2004年)。また、音楽番組のみならずバラエティー番組の出演も多く、ラジオの出演も多い。
2009年9月発売の36thシングル『DREAM GOES ON』で脱退以来9年ぶりとなる五十嵐が楽曲を提供、同年11月発売の37thシングル『冷たい雨』、2010年2月発売の10thアルバム『CHANGE』でも上記3作品以外の収録曲で五十嵐が作詞・作曲・編曲を担当した。
2016年8月7日にデビュー20周年を迎え、同日には代々木第二体育館で記念コンサートを行った。それ以降、ユニットとしては目立った活動(半年に数回の新譜リリース配信のみ)はなく、それぞれソロ活動として拠点を置いている。また、2016年以降もライブ出演はしている。
2019年8月28日には単独ライブとしてEvery Little Thing 23rd Anniversary Concertを行った。
2020年冬のファンクラブイベントより、ファンクラブ限定でメンバーの持田、伊藤と放送作家の川上とも子によるラジオコンテンツ「かみあわせ」を開始しており、定期的な配信をしている。
2024年、ファンクラブ限定イベント「Every Little Thingトークイベント2024」を開催した。 デビューから2000年の13thシングル『Pray/Get Into A Groove』まではインストなどの例外を除き、作詞、作曲、編曲のほぼ全てを五十嵐が行っていたが、2000年の14thシングル『sure』以降からは持田や伊藤も楽曲製作に加わるようになった。五十嵐脱退後は、楽曲の作詞は原則持田が行っているが、他のアーティストから作詞提供を受ける事もある。作曲は菊池一仁・多胡邦夫・HIKARIなどの作曲家からの楽曲提供が主だが、持田、伊藤が作曲を手がける場合もある。Every Little Thing名義で編曲にも携わることも多い。 サウンド面も五十嵐の脱退を境に変わっており、デビューから2000年3月までの五十嵐が在籍していた頃は、シンセサイザーやプログラミングの楽曲が多く制作され、五十嵐脱退後も2000年10月の16thシングル『愛のカケラ』から、翌2001年3月の4thアルバム『4 FORCE』までは五十嵐在籍時の曲風を踏襲した楽曲が作られていたが、2001年10月の19thシングル『jump』以降からはバンドサウンド志向、2003年の25thシングル『また あした』以降からはアコースティック志向の楽曲を発表する事が多く[6]、楽器の生演奏を多用するようになった。また、五十嵐在籍時に製作された楽曲をアコースティックにアレンジしたものも、何曲か発表するようにもなった。2007年頃からは生音を主体にしつつ、ギター以外の伴奏をメインにする楽曲(33rdシングル『恋をしている』など)も作られている。 2009年の36thシングル『DREAM GOES ON』から2010年の10thアルバム『CHANGE』にかけて再び五十嵐と楽曲製作を行ってからは、それまでのアコースティック、バンドサウンド志向の楽曲に加え、シンセサイザーやプログラミングを主体にした楽曲も再び作られるようになる。2014年頃からは前述の作曲家に加えて海外のアーティストからの楽曲提供もされるようになった。この他、カントリー調[7]、ブラック・コンテンポラリー調、ディスコ調、ジャズ調といった楽曲も作られている[8][9]。 名前出身地生年月日担当備考 名前出身地生年月日担当備考
楽曲制作
メンバー
現メンバー
持田香織東京都江東区 (1978-03-24) 1978年3月24日(46歳)ボーカル、作詞、作曲血液型はA型。愛称はもっちー。
幼い頃から芸能活動をしていた。イラストが得意。
伊藤一朗神奈川県横須賀市 (1967-11-10) 1967年11月10日(56歳)リーダー、ギター、作曲、編曲血液型はA型。愛称はいっくん。
持田からは一朗さんと呼ばれている。
元メンバー
五十嵐充神奈川県横浜市 (1969-05-17) 1969年5月17日(55歳)元リーダー、サウンドプロデューサー、キーボード、作詞・作曲・編曲血液型はA型。愛称はイガちゃん。
当初は持田のプロデューサー担当の予定だったが、一度表の舞台を経験した方が良いという松浦の判断により正式メンバーとなった。
その他サポートメンバー
ドラムス - 髭白健(2015年春 - )
キーボード - 田中誠(2015年夏 - )
キーボード - ハタヤテツヤ(2019年夏 - )
ベース - 笠原直樹(2005年夏 - )
コーラス - 山口めぐみ(2015年冬 - )
元サポートメンバー
ギター
加藤薫(1996年デビュー当時 - 2007年12月まで)
サイドギターとして、ELTメンバー伊藤とのツインギターを構成。彼が脱退後、8年間は伊藤が1人でギターを担当した。
ベース
浅田孟(1996年デビュー当時 - 2001年秋頃前まで)
工藤録矢(2001-2002カウントダウンライブのみ)
山田サトシ(2003年-2005年春頃まで)
福本カツジ
キーボード (*印はライブバンドマスター)
桑島幻矢(1996年デビュー当時 - 2001年秋頃前まで)*
矢代恒彦(2001年FORCEツアーのみ)
林真史(2001年秋頃 - 2014年12月まで)
棚橋信仁(2001年秋頃 - 2004年夏頃前まで)*
中村康就(2004年夏頃 - 2011年初め頃まで)*
十川ともじ(2011年夏 - 2014年夏頃まで)*
岩崎太整(Tabitabiツアー -20周年記念ライブ)※ギターも担当。*
ドラムス
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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