この項目では、Emacsエディタ全般について説明しています。GNUプロジェクトによるEmacsについては「GNU Emacs」をご覧ください。
EmacsGNU Emacsにおける複数のDiredバッファの編集
開発元デイビット・A・ムーン
Emacs(イーマックス、[?i?maks])は、その拡張性を特徴としたテキストエディタのファミリーである[3]。Emacsの中で最も広く使われている派生物であるGNU Emacs[4]の作者、リチャード・ストールマンは、自身の声明[5][6]において「たくさん模倣されたオリジナルのEMACSエディタの発明者 (inventor of the original much-imitated EMACS editor)」を自称し、GNU EmacsのマニュアルではEmacsを「the extensible, customizable, self-documenting, real-time display editor」(拡張およびカスタマイズが可能で、自己文書化を行い、リアルタイム表示を行うエディタ)であると説明している[7]。最初のEmacs開発が1970年代中盤に開始されてから、その直系の子孫であるGNU Emacsが製作され、その開発が2023年現在[update]も続いている。
Emacsはユーザインタフェースと10,000を超える組み込みコマンドを持ち、ユーザーは作業自動化のためにこれらのコマンドをマクロと組み合わせることができる。さらに深い拡張性を提供するLISPプログラミング言語の方言であるEmacs Lisp (ELispまたElispとも) はEmacs実装の主な特徴であり、Emacs Lispでユーザーや開発者はEmacs用の新しいコマンドやアプリケーションを書くことができる。Emacsの拡張機能として電子メール、ファイル、アウトライン、およびRSSフィードが書かれており[8]、それ以外にもELIZA、ポン、ライフゲーム、ヘビゲーム、およびテトリスのクローンもある[9]。ユーザーの中にはEmacs内部からテキスト編集だけでなくほとんど全ての作業を行うことができることに気づいた者もいる[10]。
原典であるEMACSは1972年にCarl Mikkelson、デイビット・A・ムーン(英語版)、およびガイ・L・スティール・ジュニアらによりTECOエディタ用のEditor MACroSのセットとして書かれたものであり[2][11][12][13][注 1]、TECOマクロエディタの概念に触発されている[14]。
最も有名かつ最も移植されたEmacsは、ストールマンによってGNUプロジェクトのために作成されたGNU Emacsである[15]。XEmacsは1991年にGNU Emacsからフォークされた派生物である。GNU EmacsとXEmacsは類似のLISP方言を使い、互いに互換性のある部分が大半である。
Emacsはvi (Vim) と並びUNIX文化における伝統的なエディタ戦争の主要な当事者である。Emacsは開発中であるオープンソースプロジェクトの中で最古のものである[16]。
歴史GNU EmacsにおけるCソースコードの編集GNU EmacsからC++コードを編集してコンパイルEmacsのインタフェースはシンボリックスのスペースカデットキーボードの設計の影響を受けた[17]。
Emacsは1970年代のMIT人工知能研究所(MIT AI研)で産声をあげた。 AI研で使われていたPDP-6やPDP-10のオペレーティングシステムはIncompatible Timesharing System (ITS) であり、そのデフォルトエディタはTECOというラインエディタであった。TECOは現在の一般的なテキストエディタとは違い、追加・編集・表示用にそれぞれ別々のモードが存在していた。そのため文字を入力しても即座に反映されるわけではなく、代わりにTECOコマンド言語の i 文字を入力して入力モードに切り替えてから必要な文字を入力し、最後に ESC 文字を入力してエディタをコマンドモードに再度切り替える必要があり(上書きが可能なため、同様のテクニックが使われた)、しかも入力モードで編集中の文字は画面に表示されなかった。なお、この振る舞いは現在も使われているedやviと同じである。
リチャード・ストールマンは、1972年と1974年にスタンフォード人工知能研究所を訪れ、Fred Wrightにより書かれたその研究所の「E」エディタを目にした[18]。Eの振る舞いは今のエディタの大半で使われている直感的なWYSIWYGであり、ストールマンはその機能に触発されてMITに戻った。 AI研ハッカーの一人であるCarl Mikkelsenは、利用者がキー操作するたびに画面表示を更新するControl-Rという表示・編集を組み合わせたモードをTECOに追加していた。ストールマンは、この更新が効率的に動くよう書き直し、任意のキー操作でTECOプログラムが動くように利用者が再定義できるマクロ機能をTECOの表示・編集モードに追加した[13]。
EにはTECOに不足していたランダムアクセス編集機能が搭載されていた。TECOはPDP-1の紙テープを編集するために設計されたページシーケンシャルエディタであるため、一度に1つの紙テープしか編集することしかできず、さらに紙テープのファイルに存在するページの順に編集しなければならなかった。Eはディスク上のページランダムアクセスを可能にするため、ファイルを構造化するというアプローチを採用していたが、ストールマンはTECOを修正してさらに巨大なバッファを効率的に処理できるようにするというアプローチを採用し、ファイル全体を単一バッファとして読み込み、編集し、書き込めるようにファイル管理方法を変更した。現在ではほとんどのエディタがこのアプローチを用いている。
新しいバージョンのTECOはまたたく間にAI研で評判となり、マクロを意味する「MAC」や「MACS」が語尾に付いた名前のカスタム・マクロの巨大なコレクションが溜まった。さらにその2年後、どんどんばらばらになっていくキーボード・コマンド・セットを1つに統合するプロジェクトをガイ・スティールが引き受けた[19]。ストールマンはスティールとハックしたある夜の後、新しいマクロ・セットの文書化や拡張の機能を含む実装を完成させた[13]。こうしてできあがったシステムはEditing MACroSやE with MACroSを意味するEMACSと呼ばれることになる。ストールマンによると、Emacsとしたのは「当時ITSで<E>が略称に使われていなかったから」である[20]。作り話であるHacker koanではケンブリッジの人気アイスクリーム店「Emack & Bolio's(英語版)」にちなんで名付けられたとしている[21]。操作可能な最初のEMACSシステムは1976年後半に姿を現した[22]。
ストールマンはEMACSの過度のカスタム化や事実上の分裂の危険に気づいたため、ある使用上の条件をつけた[要出典]。彼は後に次のような文章を残している[22]:「EMACSは、共同参加を基として頒布される。つまり改良点は全て、組み入れて頒布するために、私のところへ戻ってこなければならない」
原典であるEmacsはTECO同様にPDP-10上だけで動作した。Emacsの振る舞いはTECOのそれとは大きく異なっていてTECOとは独立した別のエディタとみなせるようになり、さらにEmacsは急激にITS上の標準編集プログラムとなった。Mike McMahon(英語版)はEmacsをITSからTENEXやTOPS-20オペレーティングシステムに移植した。 初期のEmacsへの貢献者には、このほかKent Pitman(英語版)、Earl Killian、Eugene Ciccarelliらがいる。1979年までに、EmacsはMIT人工知能研究所やMITコンピュータ科学研究所で使われる主要エディタとなった[23]。 その後、他のコンピュータシステム用に多くのEmacs風エディタが書かれた。これらにはMichael McMahonとDaniel Weinreb
その他の初期実装