Eastern_youth
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eastern youth
吉野寿(2003年)
基本情報
出身地 日本 北海道札幌市
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ロック[1]

インディー・ロック[2]

エモ[2]

パンク・ロック(初期)[1]

活動期間1988年 -
レーベル

坂本商店(1993年 - 1997年)

トイズファクトリー(1998年 - 2001年)

キングレコード(2002年 - 2006年)

バップ(2007年 - 2012年)

裸足の音楽社(2013年 - )

事務所

坂本商店

裸足の音楽社

公式サイト ⇒裸足の音楽社

メンバー

吉野寿(エレキギターボイス

村岡ゆか(ベースギター

田森篤哉(ドラムス


旧メンバー

三橋徹(ベース・コーラス

二宮友和(ベース・コーラス)

eastern youth(イースタンユース)は、日本スリーピースロックバンド。略称「ey」。
メンバー

吉野 寿(よしの ひさし、 (1968-07-17)
1968年7月17日(55歳) - ) - エレキギターボイス北海道帯広市出身。二宮曰くバンドのリーダー[3]。「outside yoshino」名義でソロ活動もしており、自主制作アルバム『bedside yoshino』も発売している。愛器はヤマハ・SG-1000。使用し始めたきっかけは日本製のギターであることと、スティッフ・リトル・フィンガーズの影響だと語っている。観客によるダイブ行為には否定の立場を取っており、ライブ中でダイブが発生した際には注意を行っている[4][5]

田森 篤哉(たもり あつや、 (1968-04-11) 1968年4月11日(56歳) - ) - ドラムス北海道礼文郡礼文町出身。吉野とは同級生であり、幼馴染み。中学卒業後は家業の昆布採りを手伝おうとしていたところ、吉野から自分と同じ高校を受けろと説得され、あげく進学した高校も再び吉野から一緒に辞めようと説得されて中退。以後、ともにeastern youthのオリジナルメンバーとして活動している。既婚者で2児の父。また植木職人、火消しも兼業している。TAMAエンドーサー[6]

村岡 ゆか(むらおか ゆか、 (1975-12-06) 1975年12月6日(48歳) - ) - ベースギター2015年9月加入。当初は岡山出身の女性デュオ・手水でベースを担当[7]。2010年に手水を解散して以降はソロ・ミュージシャンとして活動していた[8]。加入前からeastern youthの熱心なファンでもあった[9]。主にミュージックマン・スティングレイを使用。

旧メンバー

三橋 徹(みつはし とおる) - ベースギター/
コーラス北海道新十津川町出身。 1991年、バンド上京に伴い脱退[10]

二宮 友和(にのみや ともかず、 (1971-10-07) 1971年10月7日(52歳) - ) - ベースギター/コーラス愛媛県宇和島市出身。吉野曰くバンドの中心人物であり、バンドで立ち上げた事務所「裸足の音楽社」で経理を担当していた[11]。1992年から「ひょうたん」というバンドでギター・ボーカルとしても活動していたが、ベース奥平の都合により2013年2月をもって解散した[12]。eastern youthの「夏の日の午後」という曲はひょうたんの前バンド名「夏の日の午后」が由来である。この曲のレコーディングでは、ギターソロは吉野ではなく二宮が弾いている。eastern youthに加入した当初はベースを持っていなかったため、知人から借りたベースを使いライブを行なっていたが、後にそのベースを居酒屋に置き忘れ紛失してしまった。2015年6月6日のライブをもって脱退。脱退後は「トンカツ」名義で活動している。2017年よりPANICSMILEに加入。楽器はジャズベースタイプのフレットレスモデルを主に使用していた[13]

活動

1988年北海道札幌市にて結成。前身は「スキャナーズ」というバンドで、ベースが三橋に交代したのを機に改名した。当時はSKINS・Oiバンドで、バンド名表記も大文字の「EASTERN YOUTH」だった。上京に際して三橋が脱退し、いったん吉野・田森の2人となったが、ギタリストを目指し上京していた二宮と知り合った吉野が「ギターが弾けるならベースも弾けるだろ」と強引に勧誘し、二宮がベースで加入した。

自主レーベル「坂本商店」を立ち上げ、精力的にライブを行い、1994年からは自主企画「極東最前線」を開始した。またカーシヴ、アット・ザ・ドライヴインなどの北米ツアーに同行するなど、日本国外での活動も行うようになった。2003年秋のアメリカツアーでは、移動中にメンバーの乗っていた車が高速道路上で横転する事故を起こすも、機材が破損したのみでメンバーは軽傷で済んだという一件もあった[14]

2005年より活動休止のfOULを残して坂本商店を離れ、自主レーベル「裸足の音楽社」を設立した。所属レコード会社はトイズファクトリーキングレコードバップを経て2015年現在は「裸足の音楽社」。

2009年9月、ツアー期間中に吉野が心筋梗塞で倒れ、緊急手術を受けた。一命は取りとめたもののツアーの残りの公演はキャンセルされ[15]、吉野が復帰した2010年春に改めてツアーを行った。

2015年2月2日に二宮が「アルバム『ボトムオブザワールド』を作り終え、eastern youthでできることは全てやりきったと実感した」との理由で脱退を表明[16]し、同アルバム発売後のツアー終了をもってバンドを離れた。二宮の後任として同年9月に村岡が加入し[9]、9月5日に「街の底」名義で出演したBAYCAMP 2015が新たなメンバー編成による初ライブとなった[8]
音楽性

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}漢語や近代詩風の表現を用いた歌詞とエモーショナルなサウンドが特徴。特に絶叫するかのような[要出典]吉野の歌唱はクレジット上で「ボーカル」ではなく「ボイス」と表記される。吉野が自らが影響を受けたと公言する音楽家は、キャンディーズ和田アキ子にはじまり、新旧・メジャーマイナーを問わず極めて多岐に亘る。また影響を受けたと公言する作家は、坂口安吾太宰治梅崎春生木山捷平島尾敏雄など、これまた多岐に亘る[17]

一般的にはエモと呼ばれている[2]が、吉野はインタビューやブログで「エモ」と呼ばれることを否定している[18][19]

初期の頃は右翼的思想を持った「スキンヘッズ」の影響を受けていたが、吉野曰く「知れば知るほど矛盾があるし、より良い世の中のために動いているのに全然より良く感じられなかった」「俺は国家に忠誠なんて誓えない。『戦争に行け』って言われたって行きたくないし、国家のためには闘わない」という考えを表明している[20]
交流

向井秀徳ナンバーガールZAZEN BOYS)など多くのロックミュージシャンが彼らからの影響を公言している。吉野自身はナンバーガールの楽曲にeastern youthの影響は感じられないとしつつも、そのオリジナリティーを「ブッチャーズとfOULで打ち止めかと思っていたけど、もう一個刺客が出て来た」と評した[21]。向井はアルバム『ボトムオブザワールド』にゲスト参加もしている。

同じ北海道出身のbloodthirsty butchersおよびfOULとは親交が深く、「極東最前線」を含む数多くのライブで共演している。吉野自身大好きなバンドとしてこの2つのバンドを頻繁に挙げ、活動休止中のfOULに1人のファンとして呼びかけ、後述のオムニバスアルバム『極東最前線2』に参加してもらうなどしている。「極東最前線」の開催数は80回を超え(2012年4月現在)、bloodthirsty butchers, あぶらだこ怒髪天ハスキング・ビー小谷美紗子タテタカコジミー・イート・ワールド、カーシヴなど、国を問わず様々なアーティストをゲストとして迎え入れている。
ディスコグラフィー
シングル

発売日タイトル・収録曲規格品番レーベルOricon
最高位備考
11991年04月FOR SKINS AND PUNKS
昇る朝日浴びて

JAPAN FOR NATION

LIVE FOR TODAY
7inch LP
規格品番不明E.R.C.―「EASTERN YOUTH」名義
21996年08月10日裸足で行かざるを得ない

全作詞・作曲:吉野寿、全編曲:eastern youth
裸足で行かざるを得ない

道端

故郷
CD
SAKASHO-5坂本商店―
31997年12月01日青すぎる空

全作詞・作曲:吉野寿、全編曲:eastern youth
青すぎる空

何処吹く風

幸福の鐘の音
CD
TFCC-88115Toy's Factory圏外
41999年04月21日風ノ中

全編曲:eastern youth
風ノ中
(作詞・作曲:吉野寿)

未ダ未ダヨ
(作詞・作曲:吉野寿)

時計をとめて
(作詞・作曲:水橋春夫
CD
TFCC-8702353位
51999年09月22日雨曝しなら濡れるがいいさ

全作詞・作曲:吉野寿、全編曲:eastern youth
雨曝しなら濡れるがいいさ

地下室の喧騒

また何処かで
CD
TFCC-8703953位
62000年06月21日静寂が燃える

全編曲:eastern youth
静寂が燃える
(作詞・作曲:吉野寿)

大馬鹿流エモーション!
(作詞・作曲:吉野寿)

午前四時
(作曲:吉野寿)
CD
TFCC-8705948位
72001年05月23日踵鳴る

全編曲:eastern youth
踵鳴る
(作詞・作曲:吉野寿)

ギラリズム夜明け前
(作詞・作曲:吉野寿)

サヨナラダケガ人生ダ
(作詞:井伏鱒二・吉野寿、作曲:吉野寿)
CD
TFCC-8708641位
82002年09月25日世界は割れ響く耳鳴りのようだ

全編曲:eastern youth
世界は割れ響く耳鳴りのようだ
(作詞・作曲:吉野寿)

路傍の影
(作詞:吉野寿、作曲:吉野寿・二宮友和・田森篤哉)
CD
KICM-1061KING RECORDS45位
92004年06月23日矯正視力〇・六

全作詞・作曲:吉野寿、全編曲:eastern youth
矯正視力〇・六

炎上する幸福

振り向くな
CD
KICM-110950位
102007年10月24日沸点36℃

全編曲:eastern youth
沸点36℃
(作詞:吉野寿、作曲:eastern youth)

一分間
(作詞:野方攝、作曲:池田洋一郎)
CD
VPCC-82224VAP75位ジャケットに石田徹也の「無題」を使用
2008年02月06日赤い胃の頭ブルース

全作詞:吉野寿、全作曲・編曲:eastern youth
赤い胃の頭ブルース
配信限定
規格品番なし―
2018年09月05日循環バス

全作詞:吉野寿、全作曲・編曲:eastern youth
循環バス
配信限定
規格品番なし裸足の音楽社―
112018年11月14日時計台の鐘

全作詞:吉野寿、全作曲・編曲:eastern youth
時計台の鐘

循環バス

歩いた果てに何もなくても
CD
GNCA-0544NBC Universal66位
122018年12月12日循環バス / 歩いた果てに何もなくても

全作詞:吉野寿、全作曲・編曲:eastern youth
循環バス

歩いた果てに何もなくても
7inch LP
JS7S-213JET SET―

アルバム
オリジナルアルバム


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