Earth,_Wind_&_Fire
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アース・ウィンド・アンド・ファイアー
基本情報
出身地
アメリカ合衆国
イリノイ州 シカゴ
ジャンルリズム・アンド・ブルース
ファンク
ソウル
ディスコ
活動期間1969年 -
レーベルコロムビア・レコード
サンクチュアリ・レコード
共同作業者ジョージ・マッセンバーグ
公式サイト ⇒EarthWindandFire.com
メンバー
モーリス・ホワイト
フィリップ・ベイリー
ヴァーダイン・ホワイト
ラルフ・ジョンソン
ジョン・パリス
B. デビッド・ウィットワース
グレッグ・ムーア
モリス・オーコナー
ゲイリー・バイアス
ボビー・バーンズ・ジュニア
クリスタル・ベイリー
キム・ジョンソン
レジー・ヤング

アース・ウィンド・アンド・ファイアー(Earth, Wind & Fire)は、アメリカ黒人によるファンクミュージック・バンドである。

人気を博した1970年代の全盛期は、モーリス・ホワイトフィリップ・ベイリーのツインヴォーカルに重厚なホーンセクションが特徴であった。1980年代前半には、他バンドに先駆けてコンピューターを利用した電子音を採り入れ、実験的な曲創りにも取り組んだ。


目次

1 来歴

2 ディスコグラフィー

2.1 アルバム

2.2 シングル


3 日本での活動

3.1 日本公演


4 関連項目

5 その他

6 脚注

7 外部リンク


来歴

モーリス・ホワイトは、初期はジャズ・ドラマーとしてラムゼイ・ルイスのバンドに参加していた。彼のバンドを離れた後、1969年シカゴにて、『ソルティ・ペパーズ』を結成、キャピトルからシングルLa La Timeを残す[1]

1970年には、活動拠点をロサンゼルスに変え、バンド名もアース・ウィンド・アンド・ファイアー(以後EWF)と改名。占星術によると、モーリスはEarth, Air & Fire(土と空気と火)の要素があるが、馴染みやすく、Earth, Wind & Fire(土,風そして火)と名づけた(当時の人気バンド、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズの模倣という説もある[2])。ワーナーと契約、モーリスの兄弟のヴァーダインにフレッドを含めた10人の大所帯バンドとなる。2作リリースするがヒットはせず、バンドは一度解散する。

1972年にコロムビア・レコードに移籍、フィリップ・ベイリーラルフ・ジョンソンが加入。コロムビアには、以後1990年まで在籍する。1973年に、Head To The Sky(『ヘッド・トゥ・ザ・スカイ』)をリリースし、ゴールド・ディスクを獲得する。1975年には、That's the Way of the World(『暗黒への挑戦』)を、同名の映画のサウンドトラックとしてリリースし全米アルバム・チャート第1位を獲得するが、映画はヒットせず。この映画にはモーリスも出演しており、彼等の貴重なライヴ映像も観ることが出来る。

1976年に、モーリスは自己プロダクション、カリンバ・エンタテインメントを設立。モーリスは、"Boogie Wonderland"に参加している「エモーションズ」等をプロデュースしている。1978年には、CBS/コロムビアの元、ARCレコードを設立。レーベルの第一弾としてベスト盤The Best of Earth, Wind & Fire Vol.1をリリース。ヒット曲"September"の初収録アルバムがこれになる。

1980年に、2枚組の大作Faces(『フェイセス』)を発表した頃から、彼らのサービス過剰とも言える音楽性がリスナーに飽きられ始める。1983年に発表したElectric Universe(『エレクトリック・ユニヴァース』)では、ついに大きな売りであったホーンセクションを捨て、電子楽器中心のサウンドを展開させるが、人気の凋落に歯止めを掛けることは出来ず、活動を一時停止、各メンバーはそれぞれソロ活動に移る。この間、フィリップ・ベイリーは1984年にフィル・コリンズのプロデュースでChinese Wallをリリースし、"Easy Lover"をヒットさせる。彼は以後も不定期ながらソロ活動をしている。モーリスも1985年に唯一のソロ・アルバムとなるMaurice Whiteをリリースし、"I Need You"をヒットさせる。

1987年にTouch the World(『タッチ・ザ・ワールド』)をリリースし、活動を再開。1990年発売のHeritage(『ヘリテッジ』)を最後にコロムビアより離れ、ワーナーへと戻り、1993年にMillennium (『千年伝説』)をリリース。その頃よりモーリスはプロデューサー業を強化するようになり、1994年の全米ツアーには参加せず。モーリスは1995年のライヴ活動もリタイア。1996年に自主レーベル、カリンバ・レコードよりアルバムが制作され、avex traxよりAvatar(『アヴェタ』)のタイトルで日本先行発売された。海外版としては、このアルバムは翌年にIn the Name of Loveとリタイトルと再構成され、ライノより翌年にリリースされる。モーリスはこのアルバムを最後にプロデューサー業に専念するようになり、以後の活動はフィリップが中心となっている。

1997年にモーリスは神経性障害と診断される。「パーキンソン病ではなく、元々神経質であることと、度重なるストレスから、震えが伴うことがある」とモーリスは発言していたが[3]、後にやはりパーキンソン病を患っていたことが明らかになる。2004年の来日公演には同行する。2007年にはスタックス・レコードコンコード・レコードにより復活)より、EWFのトリビュート・アルバムInterpetationsをリリース。モーリスは、エグゼクティヴ・プロデューサーとしてこのプロジェクトに参加。

2009年12月、4年ぶりの来日公演が東京と大阪、札幌で行われた。この時、翌2010年は結成40周年目の記念としてモーリスを加えての記念ライヴが行われるとアナウンスされたが、バンドでのライヴは叶わず、日本ではフィリップ・ベイリーのソロライヴのみが行われた。

2013年には22年ぶりにソニー・ミュージック(コロムビア)に戻り、9月にNow, Then & Foreverをリリース。ラリー・ダンが復帰し、原点回帰をテーマにしたサウンドとなる。限定版にはボーナスCDが付録する。[4]
ディスコグラフィー
アルバム

Earth, Wind and Fire (
デビュー, 1971, Warner Bros.) (US 200 #172/US R&B #24)

The Need of Love (愛の伝道師, 1971, Warner Bros.) (US 200 #89/US R&B #35)

Last Days and Time (地球最後の日, 1972, Columbia) (US 200 #87/US R&B #15)

Head to the Sky (ブラックロック革命→ヘッド・トゥ・ザ・スカイ, 1973, Columbia) (US 200 #27/US R&B #2)

Open Our Eyes (太陽の化身, 1974, Columbia) (US 200 #15/US R&B #1)

That's the Way of the World (暗黒への挑戦, 1975, Columbia) (US 200 #1/US R&B #1)EWFが出演した同名の映画のサウンドトラックとなる。全米アルバム・チャート3週間第1位。プラチナ・ディスクを獲得。

Gratitude (灼熱の狂宴, 1975, Columbia) (US 200 #1/US R&B #1)ライブアルバム。

Spirit (, 1976, Columbia) (US 200 #2/US R&B #2)

All 'N All (太陽神) (1977, Columbia) (US 200 #3/US R&B #1)

The Best of Earth, Wind & Fire Vol.1 (ベスト・オブ・EW & F VOL.1)(1978, ARC) (US 200 #6/US R&B #3)


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