ENEOS野球部
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「新日本石油ENEOS」はこの項目へ転送されています。旧社名については「新日本石油」を、現社名については「ENEOS」をご覧ください。

ENEOS野球部チーム名(通称)エネオス
加盟団体日本野球連盟
加盟区分企業チーム
創部1950年
チーム名の遍歴



日本石油 (1950 - 1999)

日石三菱 (1999 - 2002)

新日本石油 (2002 - 2004)

新日本石油ENEOS (2005 - 2010)

JX-ENEOS (2010 - 2020.6.24)

ENEOS (2020.6.25 - )

本拠地自治体



神奈川県横浜市 (1950 - )

練習グラウンドENEOSとどろきグラウンド(川崎市中原区
チームカラーオレンジ色
監督大久保秀昭
都市対抗野球大会
出場回数53回
最近の出場2023年
最高成績優勝(12回)
日本産業対抗野球大会
出場回数17回
最近の出場1973年
最高成績優勝(2回)
社会人野球日本選手権大会
出場回数26回
最近の出場2023年
最高成績優勝(2回)
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数※出場資格なし

ENEOS野球部(エネオスやきゅうぶ)は、神奈川県横浜市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。運営母体は、ENEOSホールディングス

獲得した全国タイトルは、全国の社会人野球チームで最多の計17回(全日本アマチュア王座決定戦1回・都市対抗野球12回・日本選手権2回・日本産業対抗2回)である。そのうち、都市対抗野球大会の優勝12回も歴代最多で、出場回数も3位の記録である。プロ野球選手や日本代表選手を多数輩出している。
概要

1950年横浜金港クラブのエースであった日本石油社員の吉村英次郎が尽力し『日本石油硬式野球部』として創部[1][注 1]。一時期、提携先であった「カルテックス(CALTEX)」をユニフォームにロゴとして使用し、「日石カルテックス」と呼ばれた時期もあるが、同一チームである。

同じく神奈川県に本拠地を置く、川崎市日本鋼管三菱自動車川崎東芝横須賀市日産自動車藤沢市いすゞ自動車らとしのぎを削りながら実力を伸ばし、早々と全国大会の常連となっていった。

1951年都市対抗野球で初出場を果たし、4度目の出場となった1956年都市対抗野球で初優勝を達成した。1961年都市対抗野球1962年都市対抗野球では、大会史上5チーム目となる2連覇を達成している。

1981年日本選手権で初出場を果たし、7度目の出場となった1991年日本選手権林裕幸監督のもと初優勝を達成した。

1999年、母体の日本石油と三菱石油が合併し日石三菱が発足。これに伴いチーム名を『日石三菱硬式野球部』に改称した。

2002年6月、日石三菱が社名変更で新日本石油となったため、シーズン途中にチーム名を『新日本石油硬式野球部』に改称した。

2005年、サービスステーションのブランド名を冠してチーム名を『新日本石油ENEOS硬式野球部』に改称した[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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