EMIミュージック・ジャパン
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理由は東芝側の主力事業の経営資源投入強化による関連事業の見直しとEMI側からの買収の提案があり、両社がこれに同意したため[1]

2007年6月、EMIグループへの株式売却が完了、社名をEMIミュージック・ジャパン(EMI Music Japan Inc.、以下EMI-J)に変更。創立当初からのコーポレート・スローガンである“心への音楽”は継承された。

それから5年余りが経った2012年、英EMI本部がレコード部門をアメリカユニバーサル ミュージックへ売却して消滅。これに伴い、ユニバーサル ミュージック合同会社(UML)とEMI-Jはグループ会社となり、経営統合に向けて両社で協議を行った結果、翌年の2013年、UML側がEMI-Jを吸収合併することで合意[2]。EMI-Jも2013年3月をもって解散。旧東芝音楽レコード事業部時代から数えて通算58年の歴史に幕を下ろした。EMI-Jに存在したレーベルは一旦集約されEMI Records Japanとなったが、このうちVirgin Musicが2014年に独立した。
沿革

1955年10月 - 東芝が音楽レコード事業に参入する。EMIのHMVRCAレコードと業務提携を打ち切り、キャピトル・レコードを傘下に収めたことで日本ビクターの音楽レコード事業部(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)はHMVのタイトルが販売不可能となり、その受け皿となった。第1回はヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ウィーン・フィルハーモニー交響楽団演奏、ベートーヴェン作曲、交響曲第5番「運命」[注 2]を、12インチLPで2300円で発売した。この「運命」を始めに同社がレコード事業を開始後の数年間は、英EMI、米キャピトル原盤の音源は本国からの輸入メタル原盤からプレスしたソフトが多かった。

1958年頃 - 静電気防止剤を混合したレコード「エバー・クリーン・レコード」を開発して発売する。配合剤添加による区別のため、盤面が赤色を呈していたことから「赤盤(英語版)」とも愛称された。

1959年3月 - ステレオ・レコードを発売する。トーマス・ビーチャム指揮、ロイヤル・フィルハーモニー交響楽団演奏、リムスキー=コルサコフ作曲「シェヘラザード」(ASC-1001)ほかを全タイトルともエバー・クリーン・レコードで発売した。自社製作でステレオ録音を開始する。

1960年10月1日 - 音楽レコード事業部門が分離独立して東芝音楽工業株式会社が設立される。設立時の資本金は1億5千万円である。

1962年 - 英EMIのコロムビア日本コロムビアが契約終了により英コロムビア音源の発売権を取得し、EMI傘下レーベルは他レーベルと共同制作盤など一部を除きすべてが東芝から発売される。メロディアとEMIの共同制作盤は、アナログ盤時代にメロディアの発売権を有していたビクターエンタテインメント(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から発売された。CD化時にEMI側の権利から東芝EMIからの発売となった。

1971年10月1日 - 富士山の麓、静岡県御殿場市に最新鋭の生産機能を取り入れた御殿場工場を開設。

1973年9月5日 - ニュー・サウンズ・イン・ブラス第2集の発売開始。「発売開始の時の名前はヤング・ポップス・イン・ブラス!!」。以降、今日まで製造・発売している。

10月1日 - キャピトルEMIが資本参加し、東芝イーエムアイ株式会社(東芝EMI)と改称。


1978年9月11日 自社製作におけるデジタル録音を、同社の第1スタジオにて開始する。最初の録音は、第一家庭電器用のLPソフトで、「サマータイム PCM vs Direct 山本剛トリオ+鈴木勲[注 3]、同年11月配布開始)。デジタル(PCM)録音用のプロセッサーには、当時、市販前だった東芝製のAurex PCM-MK Iを使用し、記録レコーダーには、ソニーのU規格のVTRを使用した。翌年の夏頃から、Aurex PCM-MK IIを使った16ビット直線量子化によるデジタル録音を開始する。

1979年11月頃 - 自社製作において初めての、一般向け市販LPでのデジタル録音によるソフトを発売する。

1981年 - デジタル録音機としてPCMプロセッサー ソニーPCM-1610を導入、運用開始。これを機に、Aurex PCM-MKIIを使ったデジタル録音は無くなっていった。

1982年5月24日 - 港区赤坂2丁目(溜池交差点脇)に本社ビルが完成。

11月 - コンパクトディスクを発売する。製造はのちに自社で行なうまでCBS・ソニー静岡工場(現:ソニーDADCジャパン静岡工場)に委託した。


1983年頃 - 本社スタジオに、24チャンネルマルチデジタル録音機であるソニーPCM-3324を導入、運用開始。

1988年8月 - RCサクセションのアルバム『COVERS』発売中止騒動が起こる。

2005年12月26日 - 製造部門(東芝EMI御殿場工場)を分割。音楽ソフト制作事業に専念するために、光ディスク製造大手のメモリーテックゴールドマン・サックス証券らに売却。製造部門は売却後、トエミ・メディア・ソリューションズ株式会社となる。

2006年12月14日 - 東芝が、保有する東芝EMI全株式を2007年度上期中に210億円でEMIグループに売却すると発表。これに伴い、東芝EMIは東芝グループから離脱し、東芝は音楽事業から撤退。

2007年6月30日 - 社名を東芝イーエムアイ株式会社から株式会社EMIミュージック・ジャパンへ変更。なおTO、TT等の規格品番は引き続き使用された。

2008年2月18日 - 本社を赤坂5丁目(赤坂サカス赤坂Bizタワー)へ移転。これにより赤坂2丁目(溜池)にあった旧本社ビルは解体された。

3月5日 - Blu-ray Disc市場参入。第1弾は松任谷由実ライヴ映像作品「YUMING SPECTACLE SHANGRILA III」をDVDとBlu-ray Discの2フォーマットで同日発売。


2010年10月1日 - 旧・東芝音工時代から数えて、創立50周年を迎えた。

2012年10月1日 - 親会社(レコード部門)がユニバーサル ミュージック グループに買収されたため、ユニバーサル ミュージック合同会社(以下、UML)の子会社になる[3]

2013年1月15日 - UMLの小池一彦CEOがEMIミュージックの社長を兼任する[4]

4月1日 - UMLがEMIミュージック・ジャパンを吸収合併する形で経営統合して解散[2]。邦楽制作部門は同社の傘下レーベルEMI Records Japanとして集約された後、EMI RecordsとVirgin Records分割。規格品番(USM JAPAN発売分も含め)2013年9月発売分まではTO、2013年10月1日発売以降はTYに変更される。そして所属アーティストは全員UMLへ移籍。


2014年5月 - EMI Recordsの規格品番がUP**に変更される。それまで使用していたTY**はVirgin Records専用となる。USM JAPANが発売元となる作品はUPCY(邦楽)・UICZ(洋楽、カタログ販売等の邦楽も一部含む)に統一されている。

所属アーティスト
解散時に所属していたアーティスト東芝EMI本社ビル東京都港区赤坂2丁目)、2007年。「EMIミュージック・ジャパン」に社名変更した後は右上の「TOSHIBA EMI」の文字も取り外された。2008年に本社が赤坂Bizタワー27階へ移転したことに伴い取り壊され現存しない。跡地にはニッセイ溜池山王ビルがある。body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper{margin-top:0.3em}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ul,body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ol{margin-top:0}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper--small-font{font-size:90%}


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