EMIミュージック・ジャパン
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2002年以降はエイベックスに並ぶコピーコントロールCD(CCCD)推進派の筆頭格で、のちに2005年夏期から後続規格となったセキュアCDの推進役も務めた。他社がその適用を縮小する中で、演歌や歌謡曲の一部などを除き一律CCCD適用の姿勢を崩さなかったが、2006年にCCCDの販売から完全に撤退した。

音楽配信事業は東芝EMI時代から寛容的で、2007年5月31日から海外のEMIグループと歩調を揃えてiTunes StoreにてDRMフリー楽曲の提供を始めた。ソニー・ミュージックエンタテインメントソニーとの関係から配信するウェブサイトが限定される状況とは対照的に、当初から様々なウェブサイトで配信されている。第3世代光ディスクは、当初から東芝主導で海外のEMIグループが参入していたHD DVDではなく、Blu-ray Discで参入を表明していた。
東芝の撤退、そして吸収合併

1994年以降、EMIグループが55%を出資、残りの45%を東芝が出資したが、2006年に東芝が保有全株をEMIグループへ売却、音楽ソフト事業から撤退することを発表。理由は東芝側の主力事業の経営資源投入強化による関連事業の見直しとEMI側からの買収の提案があり、両社がこれに同意したため[1]

2007年6月、EMIグループへの株式売却が完了、社名をEMIミュージック・ジャパン(EMI Music Japan Inc.、以下EMI-J)に変更。創立当初からのコーポレート・スローガンである“心への音楽”は継承された。

それから5年余りが経った2012年、英EMI本部がレコード部門をアメリカユニバーサル ミュージックへ売却して消滅。これに伴い、ユニバーサル ミュージック合同会社(UML)とEMI-Jはグループ会社となり、経営統合に向けて両社で協議を行った結果、翌年の2013年、UML側がEMI-Jを吸収合併することで合意[2]。EMI-Jも2013年3月をもって解散。旧東芝音楽レコード事業部時代から数えて通算58年の歴史に幕を下ろした。EMI-Jに存在したレーベルは一旦集約されEMI Records Japanとなったが、このうちVirgin Musicが2014年に独立した。
沿革

1955年10月 - 東芝が音楽レコード事業に参入する。EMIのHMVRCAレコードと業務提携を打ち切り、キャピトル・レコードを傘下に収めたことで日本ビクターの音楽レコード事業部(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)はHMVのタイトルが販売不可能となり、その受け皿となった。第1回はヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ウィーン・フィルハーモニー交響楽団演奏、ベートーヴェン作曲、交響曲第5番「運命」[注 2]を、12インチLPで2300円で発売した。この「運命」を始めに同社がレコード事業を開始後の数年間は、英EMI、米キャピトル原盤の音源は本国からの輸入メタル原盤からプレスしたソフトが多かった。

1958年頃 - 静電気防止剤を混合したレコード「エバー・クリーン・レコード」を開発して発売する。配合剤添加による区別のため、盤面が赤色を呈していたことから「赤盤(英語版)」とも愛称された。

1959年3月 - ステレオ・レコードを発売する。トーマス・ビーチャム指揮、ロイヤル・フィルハーモニー交響楽団演奏、リムスキー=コルサコフ作曲「シェヘラザード」(ASC-1001)ほかを全タイトルともエバー・クリーン・レコードで発売した。自社製作でステレオ録音を開始する。

1960年10月1日 - 音楽レコード事業部門が分離独立して東芝音楽工業株式会社が設立される。設立時の資本金は1億5千万円である。

1962年 - 英EMIのコロムビア日本コロムビアが契約終了により英コロムビア音源の発売権を取得し、EMI傘下レーベルは他レーベルと共同制作盤など一部を除きすべてが東芝から発売される。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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