株式会社EMIミュージック・ジャパン
EMI Music Japan Inc.
同社が入居していた赤坂Bizタワー
種類株式会社
本社所在地 日本
〒107-6327
東京都港区赤坂五丁目3番1号
赤坂Bizタワー27階
設立1960年10月1日
(東芝音楽工業株式会社)
業種情報・通信業
事業内容音楽ソフト、映像ソフト、コンピュータ・ソフトの制作、製造、販売
代表者代表取締役社長兼CEO 小池一彦
資本金16億6700万円(2010年3月31日時点)
売上高243億1600万円(2010年3月期)
営業利益12億2700万円(2010年3月期)
純利益5億6100万円(2010年3月期)
純資産26億4600万円(2010年3月31日時点)
総資産96億4000万円(2010年3月31日時点)
従業員数327人
決算期3月末日
主要子会社EMIミュージック・ジャパン・スタジオ
ATビジネスサービス
EMIエンタテインメント・ジャパン
関係する人物堂山昌司(元社長)
斉藤正明(元社長)
特記事項:1973年10月1日に東芝イーエムアイ株式会社へ商号変更。2007年6月30日に株式会社EMIミュージック・ジャパンへ商号変更。2013年4月1日にユニバーサル ミュージック合同会社と経営統合し解散。
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株式会社EMIミュージック・ジャパン(イーエムアイミュージックジャパン、英語: EMI Music Japan Inc.)は、1960年から2013年まで存在した日本のレコード会社。
旧称は東芝音楽工業株式会社(とうしばおんがくこうぎょう) → 東芝イーエムアイ株式会社(とうしばイーエムアイ、TOSHIBA-EMI LIMITED、通称:東芝EMI)。元来は東芝グループの会社として成立したが、2007年に音楽事業をイギリスのEMIグループへ売却して撤退。EMIグループ自体も2012年にアメリカ合衆国のユニバーサル ミュージック グループの傘下となったため、翌2013年にユニバーサル ミュージック合同会社に吸収合併され解散した(詳細は後述)。
その際、邦楽制作部門がユニバーサルミュージック傘下レーベル「EMI Records Japan」として残り、レーベルの統合を経て同社の傘下レーベル「Virgin Music」(ヴァージン・ミュージック)、「EMI Records」(イーエムアイ・レコーズ)となっている。キャッチコピーは「Music for all, All for music」。 1960年に東京芝浦電気(現:東芝)の音楽レコード事業部が独立し、東芝音楽工業(とうしばおんがくこうぎょう)として設立された。1973年にかねてより取引していた4大メジャーレコード会社のひとつであるイギリスのEMIグループが資本参加し、東芝EMI(TOSHIBA-EMI LIMITED)[注 1]に改称する。 洋楽はザ・ベンチャーズ、ザ・ビートルズ、クイーンなど、邦楽は坂本九、由紀さおり、松任谷由実、オフコース、薬師丸ひろ子、坂本冬美、BOOWY、および同グループ元メンバーの氷室京介と布袋寅泰、THE ALFEE、宇多田ヒカル、東京事変および同グループリーダーの椎名林檎など、ポピュラー音楽の代表格を多数輩出した。 ビートルズのCDを発売する前のレコードの時代は、イギリス盤、アメリカキャピトル編集盤、日本編集、ドイツ、イタリアなどのあらゆる編集盤を発売。 2002年以降はエイベックスに並ぶコピーコントロールCD(CCCD)推進派の筆頭格で、のちに2005年夏期から後続規格となったセキュアCDの推進役も務めた。他社がその適用を縮小する中で、演歌や歌謡曲の一部などを除き一律CCCD適用の姿勢を崩さなかったが、2006年にCCCDの販売から完全に撤退した。 音楽配信事業は東芝EMI時代から寛容的で、2007年5月31日から海外のEMIグループと歩調を揃えてiTunes StoreにてDRMフリー楽曲の提供を始めた。ソニー・ミュージックエンタテインメントがソニーとの関係から配信するウェブサイトが限定される状況とは対照的に、当初から様々なウェブサイトで配信されている。第3世代光ディスクは、当初から東芝主導で海外のEMIグループが参入していたHD DVDではなく、Blu-ray Discで参入を表明していた。 1994年以降、EMIグループが55%を出資、残りの45%を東芝が出資したが、2006年に東芝が保有全株をEMIグループへ売却、音楽ソフト事業から撤退することを発表。理由は東芝側の主力事業の経営資源投入強化による関連事業の見直しとEMI側からの買収の提案があり、両社がこれに同意したため[1]。 2007年6月、EMIグループへの株式売却が完了、社名をEMIミュージック・ジャパン(EMI Music Japan Inc.、以下EMI-J)に変更。創立当初からのコーポレート・スローガンである“心への音楽”は継承された。 それから5年余りが経った2012年、英EMI本部がレコード部門をアメリカのユニバーサル ミュージックへ売却して消滅。これに伴い、ユニバーサル ミュージック合同会社(UML)とEMI-Jはグループ会社となり、経営統合に向けて両社で協議を行った結果、翌年の2013年、UML側がEMI-Jを吸収合併することで合意[2]。EMI-Jも2013年3月をもって解散。旧東芝音楽レコード事業部時代から数えて通算58年の歴史に幕を下ろした。EMI-Jに存在したレーベルは一旦集約されEMI Records Japanとなったが、このうちVirgin Musicが2014年に独立した。
概要
東芝の撤退、そして吸収合併
沿革
1955年10月 - 東芝が音楽レコード事業に参入する。EMIのHMVがRCAレコードと業務提携を打ち切り、キャピトル・レコードを傘下に収めたことで日本ビクターの音楽レコード事業部(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)はHMVのタイトルが販売不可能となり、その受け皿となった。第1回はヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ウィーン・フィルハーモニー交響楽団演奏、ベートーヴェン作曲、交響曲第5番「運命」[注 2]を、12インチLPで2300円で発売した。この「運命」を始めに同社がレコード事業を開始後の数年間は、英EMI、米キャピトル原盤の音源は本国からの輸入メタル原盤からプレスしたソフトが多かった。
1958年頃 - 静電気防止剤を混合したレコード「エバー・クリーン・レコード」を開発して発売する。配合剤添加による区別のため、盤面が赤色を呈していたことから「赤盤
1959年3月 - ステレオ・レコードを発売する。トーマス・ビーチャム指揮、ロイヤル・フィルハーモニー交響楽団演奏、リムスキー=コルサコフ作曲「シェヘラザード」(ASC-1001)ほかを全タイトルともエバー・クリーン・レコードで発売した。自社製作でステレオ録音を開始する。