E・E・スミス
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E・E・スミス
誕生Edward Elmer Smith
1890年5月2日
ウィスコンシン州シボイガン
死没 (1965-08-31) 1965年8月31日(75歳没)
オレゴン州シーサイド
職業食品工学者、SF作家
国籍 アメリカ合衆国
活動期間SF 1928?1965
ジャンルスペースオペラ
代表作宇宙のスカイラーク
ウィキポータル 文学
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エドワード・エルマー・スミス(Edward Elmer Smith あるいは E.E."Doc"Smith, 1890年5月2日 - 1965年8月31日)は、アメリカSF作家で、《レンズマン》シリーズや《スカイラーク》シリーズで知られている。「スペースオペラの父」と呼ばれることもある。通称はE・E・スミス、ドク・スミスなど。家族からはテッドと呼ばれていた。ドーナツペイストリー用の粉を専門とする食品工学者でもあった。
生涯
家族と学生時代まで

1890年5月2日、ウィスコンシン州シボイガンで生まれる。両親は共に長老派教会の敬虔な信徒の家系である[1]。母はミシガン州出身の教師で、父はメイン州出身の船員だったが英語教師になった[2]。同年冬、ワシントン州スポケーンに幼いE・E・スミスを連れて引越し[3]、そこで父が1900年には契約で働いていた[2]。1902年、一家はアイダホ州[4]クートニー郡の Seneaquoteen[5] に引っ越した。E・E・スミスは5人兄弟の4番目だった。1910年の国勢調査によると両親と弟は当時アイダホ州ボナー郡の Markham Precinct に住んでいた。国勢調査の記録では父の職業は農夫となっている[6]

スミスは肉体労働者として働いていたが、19歳のとき火事から逃げる際に手首を負傷し、肉体労働が難しくなった。そこで彼はアイダホ大学に入学。1984年にはアイダホ大学同窓会の殿堂入りしている[7]。1907年に入学し化学工学を専攻して1914年に卒業(7年かかっているのは学士号を2つ取得したため)。化学クラブ、チェスクラブ、マンドリン・ギタークラブ、ライフルチームの部長を務めた。ギルバートとサリヴァンのオペレッタの舞台で歌ったこともある[8]。学士論文の題名は Some Clays of Idaho でクラスメートの Chester Fowler Smith と共同で執筆した。なお、そのクラスメートはバークレーで講師の職を得たが、翌年結核で亡くなっている[9]。2人の関係はよくわかっていない。

1915年10月5日、アイダホ州ボイシ[10]で大学のルームメイトの妹だったジャンヌ・クレイグ・マクドゥーガルと結婚[11][8][12]。因みにジャンヌの姉妹がクラリッサ・マクリーン・マクドゥーガルという名で、《レンズマン》シリーズのヒロインの名(クラリッサ・マクドゥーガル)に使われている。ジャンヌはスコットランドのグラスゴー出身で、父はバイオリン奏者だった。彼女の父は子供たちが幼いころにボイシに単身赴任し、家族がボイシに引っ越そうとしている1905年に亡くなった。ジャンヌの母は1914年に元政治家の実業家と再婚した[13]

スミスは3人の子をもうけた。

Roderick N. (1918-?) - ロッキード社の航空機設計技師となった。

Verna Jean (1920-1994) - 結婚後は Verna Smith Trestrail。スミスの著作権を相続した。死後はその子 Kim Trestrail が相続している[14]ロバート・A・ハインラインは『フライデイ』(1982) の献辞に Verna を挙げている[15]

Clarissa M. (1921-?) - 結婚後は Clarissa Wilcox[16][17][18]

化学者としての経歴と《スカイラーク》シリーズの始まり

大学卒業後は国立標準局 (NBS) で化学者として働くようになり、ワシントンD.C.に引っ越した。NBSではバターや牡蠣の品質規格制定などに従事[12]第一次世界大戦には召集され陸軍中尉で従軍したが、どういう任務についていたかは不明である[19]。妻には自分以外に頼る者がいないということと、化学者として戦争に寄与できるという考えから、スミスは徴兵免除を申請したと見られている[20]

1915年のある晩、アイダホ大学で同級生だったカール・ガービー博士がワシントンD.C.に引っ越してきたということでスミス家を訪問した。引っ越してきた場所がスミス家のすぐ近くだった。そして宇宙空間への旅について長く話しこんだ。ガービーは恒星間航行についての空想的な物語とアイデアを書いてみるべきだとスミスに提案した。スミスはそれに興味を抱いたが、実際に書くとなれば若干のロマンチックな要素も必要だろうし、そういうことは得意ではないと思った。

するとガービー夫人が恋愛要素やロマンチックな台詞について協力すると申し出、スミスは書いてみることにした。主要登場人物は彼ら自身をモデルにしている。シートンはスミス本人がモデルで、クレイン夫妻はガービー夫妻がモデルである[21][22]。『宇宙のスカイラーク』の3分の1ほどは1916年末までに完成したが、スミスとガービーは徐々にその作業をしなくなっていった。

スミスはジョージ・ワシントン大学でチャールズ・モンロー (en、「モンロー効果」のモンローである) の下で学び、1917年に化学の修士号を取得[5][23]。1918年には化学工学[12]Ph.D.を取得[5][16][24]。学位論文は食品工学に関するもので題名は The effect of bleaching with oxides of nitrogen upon the baking quality and commercial value of wheat flour](窒素酸化物による漂白で小麦粉の品質と商品価値を高める効果)であり、1919年に出版された[25]。(Warner 1938) やFleischerのサイトでは、論文タイトルを The Effect of the Oxides of Nitrogen upon the Carotin Molecule ? C40H56 としている。また、サム・モスコウィッツは博士号取得を1919年としている[12]。これは、論文を提出した日付、審査された日付、博士号が与えられた日付の違いを反映したものと見られる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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