Doom_WAD
[Wikipedia|▼Menu]

Doomの改造(ドゥームのかいぞう)、Doom WAD(ドゥーム ワッド)は、コンピュータゲームDoom』とその続編『Doom II:Hell on Earth』のパッケージファイルのデフォルト形式で、スプライト、ステージ、ゲームデータが含まれている。WADは、「Where's All Data?(全てのデータはどこにある?)」の略である[1]。1993年の発売直後、『Doom』はステージ、グラフィック、他のゲームデータをパッケージ化したWADファイル用の独自のMODを制作するプレイヤー達の大規模な支持を集め、現在ではファーストパーソン・シューティングゲーム、あるいは欧米産のパソコン用ゲームでは一般的となっているMOD作成文化を生み出す上で重要な役割を果たした。Doomには、単一のカスタムステージから完全なオリジナルゲームまで、何千ものWADが作成されている。これらのほとんどはインターネット経由で自由にダウンロードが可能。いくつかのWADも商業的にリリースされており、一部の人々にとってWADを作る趣味は、レベルデザイナーとしてのプロのキャリアへの入り口となった。

WADには、IWAD(内部WAD)とPWAD(パッチWAD)の2種類がある。IWADには、ゲームのロードに必要な全てのデータが含まれているが、PWADには、必要に応じてカスタムステージ、、新しいキャラクタースプライトなど、部分的な追加・差し替えデータが含まれている。
歴史
Doomの拡張性

Doomを開発するにあたり、id Softwareは多くのプレイヤーが同社の過去作『Wolfenstein 3D』のカスタムステージやその他のModを作成しようとしたことを認識していた。ただし、そのゲーム用Modの作成とロードに関連する手順は面倒な作業だった。

id Softwareの主任プログラマーであるジョン・カーマックは、プレイヤーがゲームを拡張できるように、Doomの内部を一から設計した。そのため、ステージ、グラフィック効果音音楽などのゲームデータは、ゲームエンジンとは別に単一の「WADファイル」に保存される。これにより、プレーヤーはエンジンへのリスクを侵すことなく独自のデータを作成できた。Doomの初期設計文書によると、WADは「Where's All Data?」の略である。

Doomを簡単に変更できるようにするアイデアは、コピーレフトの有名な支持者でお互いの作品を共有して構築する人々のハッカーの理想を支持していたカーマックと、若い頃にゲームをハッキングした経験があり、他のゲーマーにも同じことができるようにしたいと考えていたジョン・ロメロによって主に支持された。ただし、id Softwareのスタッフ全員がこの開発に満足していたわけではなく、ジェイ・ウィルバーやケヴィン・クラウドを含む一部の人々は、法的な懸念と、会社のビジネスに何の利益もないとの信念から反対した。
ユーティリティとWADの登場

1993年12月10日にDoomの最初のシェアウェアがリリースされた直後に、愛好家はゲームを変更するためのさまざまなツールに取り組み始めた。1994年1月26日、ブレンドン・ワイバーはDoom Editing Utility(DEU)プログラムの最初のパブリックドメインバージョンをインターネットで公開した。これは、Doomファンによって作成されたプログラムで、まったく新しいステージを作成することを可能にした。DEUは同じ年の5月21日まで開発が続けられた。マット・フェルのUnofficial Doom仕様のリリースによって可能になった。その後まもなく、Doom愛好家はDEUのさらなる強化に関与するようになった。Raphael Quinetがプログラム開発の取り組みとプロジェクト全体のリリースを主導し、Steve Baremanが文書化の取り組みとDEUチュートリアルの作成を主導した。30人以上の他の人々も努力を助け、彼らの名前はプログラム配布に含まれているREADME.1STファイルに表示されている。X Window Systemを実行するUnixシステム用のDEU 5.21のフォークであるYadexは、後にGNU/GPLライセンスで公開された[2](カーマックはさらに、ゲームの制作に使用したユーティリティのソースコードを公開したが、これらはNeXTワークステーション用のObjective-Cでプログラムされていたため、PCユーザーであるほとんどの人には直接使用できなかった)。

ジェフリー・バードは、1994年3月7日に『Origwad』というタイトルで公開されたDoomの最初のカスタムWADを作成したとされている。間もなく、無数の愛好家がカスタムWADを作成し、AOLCompuServeフォーラム、その他のインターネットベースのチャネルで共有した。WADの多くは元のDoomシリーズを踏襲するスタイルで作成されたが、その他はTVシリーズ映画またはオリジナルのテーマをベースとしていた。id Softwareスタッフの一部はWADの一部に感銘を受けたことを明らかにしており、ジョン・カーマックは後に『スター・ウォーズ』をテーマにしたModについて次のように述べた:私は初めてスターウォーズModをみた時を今でも覚えている。誰かが私達のゲームにデス・スターを入れたのを見てとてもクールな気分になった。それが可能になったことを誇りに思っていたし、他の人達のキャンバスになるようなゲームを作ることは、正しい方向性だと確信していた ? ジョン・D・カーマック[3]

もう1つの特に注目すべき初期のModは、映画『エイリアン2』をベースとした『Aliens TC』(#トータルコンバージョン節を参照)である。

WADがグラフィックとオーディオを置き換えることによって『Doom』の変更を可能としたにもかかわらず、この当時ではカスタマイズの量は多少制限されていた。武器や敵のタイミングや強さなど、ゲームの動作の多くは『Doom』の実行ファイルにハードコードされており、WADでは変更できない。グレッグ・ルイスによって制作されたDoom編集プログラム「DeHackEd」は、ユーザーがDoom実行ファイル内のパラメーターを変更できるようにすることで対応し、より高度なカスタマイズを可能にした。
商用WAD

1994年から1995年頃、WADは主に電子掲示板とパソコンショップやステージ制作の指示ガイドに同梱されたコレクションCD経由で配布され、後年にはインターネットFTPサーバーでやりとりされるようになった。DoomソフトウェアのライセンスはカスタムWADから利益が得られないようにすることが必要であり、id SoftwareのメンバーはWADのコンピレーションCD-ROMの配給者に対して何らかの対策を講じていると主張しているが[4]、一部のWADセットとショベルウェアバンドルはそれにも関わらず特定のアウトレットで有償で入手できた。

当時、id Softwareは新しい技術を使った新作『Quake』に取り組んでいたが、Doomコミュニティから最も才能のあるWAD制作者を選び、公式拡張の制作と不正なコレクションCDに対抗するプロジェクトを開始した。チームは21の『Master Levels』を制作し、1995年12月26日にインターネットから任意にダウンロードされた1,830のWAD集である「Maximum Doom」とともにCDで発売された。1996年には、TeamTNTが制作した二つの32ステージのmegawad『Final Doom』が、id Softwareから正式な商品として発売された。

さらに、当時発売されたさまざまなファーストパーソン・シューティングゲームでは、id Softwareの商用ライセンスの下でDoomエンジンを使用していた。これは、本質的にDoomエンジンとパッケージ化されたカスタムWADであるといえる。1997年に発売された『Hacx:Twitch 'n Kill』がその例である。

商業的にリリースされたWADに貢献した多くの人々に加えて、さまざまな作者が他のゲームの開発に関与するようになった。

ケネス・スコット…『Hacx:Twitch 'n Kill』にアートワークを寄稿した後、id Softwareとバンジー後に『Halo』ゲームの開発を担う343 Industriesでアートディレクターになった。

『Master Levels for Doom II』に 2つのステージを提供したティム・ウィリッツは、後にid Softwareの主任デザイナーになった。

『Final Doom』の収録ステージのうち4分の1を作成したダリオ・カザーリは、Valveに雇われて『Half-Life』に取り組んだ。

Sverre Kvernmo…『Master Levels for Doom II』の5つのステージのデザイナーでTeamTNTのメンバー。Ion Stormに『大刀』のために雇われた。

Iikka Keranen…いくつかのDoom WADとそれ以降のQuake Modの作者。Ian Stormに雇われて『Anachronox』と『大刀』のステージを作成し、Looking Glass Studiosに『Thief II:The Metal Age』のステージを作成した。Keranenは後にValveに雇われた。

ジョン・アンダーソン (レベルデザイナー)…「睡眠博士」としても知られる。『Master Levels for Doom II』の5つのステージと『The Ultimate Doom』のE4M7の作者であり、後に『Blood』『Unreal』および『大刀』に取り組んだ。

Matthias Worch (レベルデザイナー)は、Ritual Entertainmentに入社して『SiN』に取り組んだ。彼は後にUnrealシリーズに貢献した。

ソースポート時代

1997年頃、id Softwareの『Quake』などより高度な技術とカスタマイズ性のあるデザインの新作ゲームに注目が集まるようになり、Doom WADへの関心は低下していった。

1997年12月23日、id SoftwareはDoomエンジンのソースコードを制限されたライセンスの元で公開し、1999年10月3日にGNU General Public Licenseの条件下で再び公開した。ソースコードが利用可能になると共にプログラマーがゲームのあらゆる面の修正、技術的制限及びバグの除去、全く新しい機能の追加を行えるようになった。

これらのエンジンのMod、つまりDoomソースポートは、それ以来WAD編集活動の多くの対象になっている(ただし、一部の純正主義者はオリジナルの無改造エンジンを好む)。2018年の時点で、いくつかのソースポートがまだ積極的に開発されており、Doomは未だにWADを作成する人々の根強い支持を維持している。
WADの種類
ステージとステージパック

WADの最も一般的なタイプは単一ステージで構成され、通常はオリジナルのゲームのテーマを保持しているが、より特徴的な設定またはムードを定義するために新しい音楽といくつかの変更されたグラフィックスが含まれている場合がある。シングルプレイヤーデスマッチ両方のマルチプレイヤーステージが一般的である。

また、いくつかのステージを含むWADも一般的であり、エピソードという扱いで9つのステージを置き換える場合もあれば、『Doom II』における32ステージ全ての置き換えを用意した「megawad」も存在する。

Megawadsは複数人で作られることが多く、開発期間も数か月から数年にわたる。
トータルコンバージョン(Total conversion、TC)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:49 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef