ドナルド・エルビン・クヌース
Donald Ervin Knuth
Open Content Alliance のレセプションでのクヌース(2005年10月25日)
生誕 (1938-01-10) 1938年1月10日(86歳)
アメリカ合衆国 ウィスコンシン州ミルウォーキー
居住 アメリカ合衆国
国籍 アメリカ合衆国
研究分野数学
計算機科学
研究機関スタンフォード大学
出身校ケース・ウェスタン・リザーブ大学
カリフォルニア工科大学
博士課程
指導教員Marshall Hall, Jr.
ドナルド・アーヴィン・クヌース[1](Donald Ervin Knuth [k??nu?θ][2], 1938年1月10日 -)は、数学者・計算機科学者。スタンフォード大学名誉教授[3]。
クヌースによるアルゴリズムに関する著作 The Art of Computer Programming のシリーズはプログラミングに携わるものの間では有名である[4]。アルゴリズム解析と呼ばれる分野を開拓し、計算理論の発展に多大な貢献をしている。その過程で漸近記法で計算量を表すことを一般化させた。
計算機科学への貢献とは別に、コンピュータによる組版システム TeX とフォント設計システム METAFONT の開発者でもあり、Computer Modern という書体ファミリも開発した。
作家であり学者であるクヌースは[5]、文芸的プログラミングのコンセプトを生み出し、そのためのプログラミングシステム WEB / CWEB を開発。また、MIX / MMIX 命令セットアーキテクチャを設計。 ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ。父は小さな印刷会社を経営し、近くの高校で簿記の講師をしており、父親が教えているその高校にクヌースは進学した。高校2年生のとき、"Ziegler's Giant Bar" という文字列から文字を取り出して組み合わせ、どれだけ意味のある単語を作れるかというコンテストが行われた。審査員が事前に用意した回答例は2500語だったが、クヌースは4500語も見つけ出すという才能を発揮し優勝した。賞品として学校にテレビ受像機(当時は高価であった)が贈られ、クラス全員にキャンディバーが配られた[6]。 大学進学にあたって、音楽と物理学のどちらを選ぶかで悩んだ末、ケース工科大学(現在はケース・ウェスタン・リザーブ大学)で物理学を学ぶことにした。ケース工科大学で物理学を学んでいた頃、初期のコンピュータの一つである IBM 650 と出会う。そのマニュアルを読んだクヌースは、自分ならもっとうまくできると信じ、アセンブラとコンパイラのコードを書き換えることを決心した[7]。1958年、大学のバスケットボールのチームがリーグ優勝するのを助けるため、クヌースは各選手の能力に基づいたプログラムを構築した。これは当時あまりにも画期的だったため、ニューズウィーク誌に記事が掲載され、CBSイブニングニュースでウォルター・クロンカイトも取り上げた[7]。Engineering and Science Review という技術専門誌の立ち上げに編集者として参加しており、同誌は1959年に技術誌の国家的な賞を受賞している[8]。その頃物理学から数学に転向し、1960年には、ずば抜けた成果により学士号と修士号を同時に与えられた[7]。 1963年、カリフォルニア工科大学で数学の博士号を取得し[9]、同大学で准教授として働き始め、そこで The Art of Computer Programming の執筆を開始した。
生い立ち
大学教育と初期の職歴