DW
形態国際公共放送
国 ドイツ
設立1953年5月3日
( 西ドイツ)
放送地域National and international
所有者ドイツ政府[1]
開局1953年5月3日 (71年前) (1953-05-03)
( 西ドイツ)
系列
ドイチェ・ヴェレ(ドイツ語: Deutsche Welle)は、ドイツ連邦共和国国営の国際放送事業体である[1]。ラジオ、テレビ、インターネットでサービス提供を行っている。ラジオは28の言語でサービスを展開している。
Deutsche Welleは、直訳すると「ドイツの波」となる。Deutsche WelleはBBCワールドサービス、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)、及びラジオ・フランス・インターナショナル(RFI)などの国際放送事業体と類似している。 Deutsche Welle GmbHと呼ばれる最初の放送機関はベルリンを本拠地として、1924年4月に設立された。これは全てのドイツの地域放送の共通有限会社であった。 1953年に設立された新しいドイチェ・ヴェレは完全に異なる機関であった。1953年5月3日に西ドイツの大統領テオドール・ホイスの演説を初めて短波放送で放送した。1953年6月11日、ARDの公共放送はドイチェ・ヴェレのための責任を共有する事に合意して調印を行った。初めは北西ドイツ放送Nordwestdeutscher Rundfunk (NWDR)によって運営された。1955年、NWDRは北ドイツ放送(NDR)及び西ドイツ放送(WDR)へ分割された時、WDRがドイチェ・ヴェレ・プログラムの責任を負うことになった。 1954年に、DWは英語、フランス語、スペイン語、及びポルトガル語の放送プログラムを始めた。 1960年にDWは公共放送局であるARDと合併した1962年7月7日に、独立公共機関となった。また1962年に、ペルシア語、トルコ語、ロシア語、ポーランド語、チェコ語、スロバキア語、ハンガリー語、およびセルビア・クロアチア語(現在はセルビア語及びクロアチア語 に分割されている)のサービスが開始された。1963年にこれらの言語はスワヒリ語とハウサ語、インドネシア語、ブルガリア語、ルーマニア語、及びスロベニア語のサービスが加わった。1964年及び1970年に言語上の多様性にギリシア語、イタリア語、ヒンディー語及びウルドゥー語、同じくパシュトー語 及び Dari (パキスタンのローカルでの名称) を含む拡張を行った。1992年にアルバニア語を加え、2000年に、DW はウクライナ語サービスを始めた。 1990年のドイツ再統一と共に、ドイツ民主共和国(東ドイツ)(DGR)のラジオ・ベルリン・インターナショナル(RBI)は組織解体となった。スタッフの何人かおよびRBIの職員はドイチェ・ヴェレに統合され、w:Nauen
歴史
DW-TVは1989年中頃に西ベルリンの放送局RIAS(アメリカ占領地域のラジオ局)によって立ち上げられたテレビジョン放送局RIAS-TVとして始められた。この年遅くベルリンの壁が崩壊しRIASは閉鎖された。1992年4月1日、ドイチェ・ヴェレはこの年以降に短いスペイン語放送を断片的に加えた、衛星経由で放送するドイツ語および英語テレビジョン・チャンネル DW TVを始めるためにそれらを使用しようと、RIAS-TV 放送施設を継承した。1995年にそれは24時間放送(ドイツ語12時間、英語12時間。なお、中南米向きの放送ではドイツ語が10時間に削減され、その代わりにスペイン語が2時間割り当てられる)として始められた。その時、DW TVは新しいニューススタジオ及び新しいロゴを導入した。
2001年にドイチェ・ヴェレは北アメリカ向け有料テレビ局・German TVを開始したが、このサービスは2005年いっぱいで休止となった。
ドイチェ・ヴェレはまだ財政及び人員削減に苦しんでいる。