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De-LAX
出身地 日本
ジャンルロック
活動期間1985年 - 1993年(解散)
1998年 - 2002年(活動休止)
2006年 -
レーベルフォーライフ・レコード
TRIAD/HEAT WAVE
ユニバーサルミュージック
GYM the RECORDS CLASS of DX
メンバー宙也(Vo)
鈴木正美(B)
Lee(Gt)
旧メンバー榊原秀樹(Gt)
京極常世/輝男(Per/Key/Dr)
高橋まこと(Dr)
本田毅(Gt)
小滝満(Key)
De-LAX(デラックス)は、日本のロックバンド。 ALLERGYを解散した宙也は、ちわきまゆみの音楽ユニットMENUをサポートしていたベーシスト鈴木正美と当時ドラムスを担当していた京極輝男の3人で新たなバンドを結成することを決意する。ここに、PERSONZのギタリスト・本田毅、メトロファルスのキーボーディスト・小滝満が加わり、1985年3月にCHU-YA&De-LAX(当初はDe-Lux)が結成された。 10月以降は、ライブハウスツアーを行うまでになった。既にレパートリーには、1stアルバム『SENSATION』収録曲である「熱帯LADY」、「突然炎のごとく」、「G.N.A.」、「SERIOUS MOOD」、「BLUE HEART LOVER」が含まれていた。また、4thアルバム『EMOTIONAL MARKET』で日の目を見た「ONE PLUS ONE」もこの時期のライブで演奏されていた。 バンド名を単にDe-LAXとしてしばらくし、本田毅の所属するPERSONZもブレイクし始め、両立が困難になり脱退、サポートに友森昭一やローザ・ルクセンブルグの玉城宏志を迎え活動を続けて行くが、小滝満も戸川純&ヤプーズに専念するため脱退。京極輝男がドラムスからパーカッション&キーボード担当にコンバートし、永井利光がサポートとして加わるものの、正式なギタリスト、ドラムスが不在のままであった。 BOOWYのドラムスだった高橋まことにDe-LAXへの参加要請があったのは、1987年暮れのBOOWY最後のツアー中だった。その頃、新宿LOFTに出入りしていた榊原秀樹は、ギタリスト募集を聞きつけ、バンドのオーディションに参加することとした。 1988年2月18日、デビュー当初のメンバーで初ライブを行った。同年8月21日、フォーライフ・レコードから1stアルバム『SENSATION』を発売、メジャー・デビュー。バンドブームの中にあっても、どこにも属さない、誰にも媚びない、野性味あふれる唯一無比の"ライヴバンド"として精力的に活動。 7か月をかけ26か所56公演を行ったDe-LAX史上最大規模となるライブツアー『De-LAX NEUROMANCER '89 "SPIRITS A GO-GO"』で、日本武道館のライブを2度行い、アメリカのニューヨークでライブも行った。 だが、1992年5thアルバム『Our Favourite Roads』発売前、榊原秀樹が方向性の違いにより脱退を要望。その後、正式なギタリストが見つからず、このままでは活動ができないという事になり、1992年12月25日の渋谷公会堂公演のライブで、解散することを発表。翌年1993年3月24日の渋谷公会堂公演のライブをもって解散した。 それから約5年後、De-LAXがメジャー・デビューした年と同年に新宿に誕生した日清パワーステーションが、6月末を以て閉店することになり、その記念として、一夜限りの再結成を果たし、ライブ『De-LAX '98 "HELLO! POWER STATION"』を行った。 1999年7月17日、約7年ぶりとなるシングル「beat'N'message」をリリース。4か月後には、こちらも約7年ぶりとなるアルバム『RenaiSSance』をリリースし、活動を再開。 2002年にメンバーの諸事情により活動を休止。2005年に活動を再開。 デビュー20周年を記念した2008年には、約9年ぶりとなるアルバム『ART+BEAT』と、約7年ぶりとなるベスト・アルバム『"20th Anniversary Premium Collection"』を同時リリース。現在も、メンバーは変わったものの、活動を続けている。
メンバー
現在のメンバー
Vo.宙也: ex.ALLERGY。De-LAXと平行してLOOPUSやPARALLEL PARADOXでも活動。
B. 鈴木正美: ex.MENU、De-LAXにおけるメインの作曲家。BLUE CADILLAC ORCHESTRAでも活動。
G.Lee: 榊原秀樹の後任として2010年4月より加入。
過去に所属した主なメンバー
Gt.榊原秀樹: De-LAX休止中はGEENAでも活動。現在はカリキュラマシーンでも活動。
Per./Key./Dr. 京極常世/輝男:初期メンバー。再結成後の2000年に脱退。世田谷にあった創作料理 『鶏竈 torikamado』の店主だった。コンサートツアー『SPIRITS ON THE ROCKS』内の"VINTAGE 2006"と題した新宿LOFT2DAYSの7月2日にゲストとして登場。また、コンサートツアー『D+X 20th Anniversary Tokyo 3 Days』の原宿アストロホール公演にも、最初からゲストとして登場。
Dr.高橋まこと:ex.BOOWY。ドラマーズやBLUE CADILLAC ORCHESTRAでも活動。De-LAX休止中に榊原秀樹とともにGEENAでも活動。2013年2月脱退。
Gt.本田毅: ex.VERSUS,buG,GITANE。PERSONZのメンバーとして活動中。fringe tritoneやAi+BANDでも活動。コンサートツアー『SPIRITS ON THE ROCKS』内の"VINTAGE 2006"と題した新宿LOFT2DAYSの7月1日にゲストとして登場。
Key.小滝満: シネマ、ex.メトロファルス。De-LAX離脱後、戸川純&ヤプーズ、エクスタシーボーイズ、Saybow&theR+X+Sなどで活動。現在の表記は小滝みつる。
サポートメンバー
Gt.友森昭一: AUTO-MOD、レベッカ、筋肉少女帯などに参加。
Gt.玉城宏志: 元ローザ・ルクセンブルグ。その後マチルダロドリゲスなどで活動。
Dr.永井利光: GLAY・氷室京介のサポート。De+LAX公式サイトでは永井利充と表記されているが、ex.ローザ・ルクセンブルクのベーシストの同名人物とは別人。
バンドの歩み
経歴
1985年
3月 - ALLERGYを解散した宙也(V)とMENUに在籍していた鈴木正美(B)と京極輝男(Dr)の3人でCHU-YA&De-LAXを結成。すぐにPERSONZの本田毅(G)とメトロファルスの小滝満(Key)が加わった。
10月8日、10月9日 - イベント『ダンス天国 CHUYA COMES BACK』を敢行。
12月31日 - イベント『年末恒例オールナイトギグ』を敢行。