『DUNE』
L'Arc?en?Ciel の スタジオ・アルバム
リリースDUNE
1993年4月10日(CD限定盤)
1993年4月27日(CD通常盤)
2000年4月5日(CD再発盤)
2011年6月22日(配信)
2014年10月22日(High-Res)
2019年12月11日(定額配信)
DUNE 10th Anniversary Edition
2004年4月21日(CD)
2011年6月22日(配信)
2019年12月11日(定額配信)
DUNE (Remastered 2023)
2023年5月30日
(CD,LP,配信,High-Res,定額配信)
録音1993年1月28日-2月21日
SAM STUDIO(#1?#10)
1992年1月
STUDIO WINDS(#11,#12)
1993年5月
STUDIO ICC(#13)
ジャンルニュー・ウェーヴ
ゴシック・ロック
ロック
時間47分41秒 (限定盤)
51分25秒 (通常盤)
67分58秒 (10th Anniversary Edition)
レーベルDanger Crue Records
プロデュース大石征裕
チャート最高順位
DUNE
週間1位(オリコンインディーズ)
DUNE 10th Anniversary Edition
週間5位 (オリコン)
登場回数9回 (オリコン)
『DUNE』収録のシングル
「Floods of tears/夜想花」
リリース: 1992年11月25日
L'Arc?en?Ciel アルバム 年表
DUNE
(1993年)Tierra
(1994年)
ミュージックビデオ
L'Arc?en?Ciel「Floods of Tears」-Music Clip- - YouTube
L'Arc?en?Ciel「Dune」-Music Clip- - YouTube
L'Arc?en?Ciel「As if in a dream」-Music Clip- - YouTube
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『DUNE』(デューン) は、日本のロックバンド、L'Arc?en?Cielの1作目のスタジオ・アルバム。1993年4月10日にスペシャルジャケット盤[1]、1993年4月27日に通常盤を発売。発売元はDanger Crue Records。 L'Arc?en?Cielの初となるスタジオ・アルバム。 本作のスペシャルジャケット限定盤には、1992年10月1日に発売されたオムニバスアルバム『Gimmick』に提供した楽曲「VOICE」と、1992年11月25日に発表したインディーズシングル「Floods of tears」の2曲を再構築・再収録したバージョンを含めた9曲が収められている。また、通常盤には、ボーナストラックとして「失われた眺め」が追加収録されており、計10曲が収められている。なお、本作のマスタリングは、山下達郎やスピッツの作品のマスタリング作業に携わった中里正男(ONKIO HAUS)が担当している。 L'Arc?en?Cielは1991年2月にtetsuya(当時のアーティスト名義は"tetsu")(Ba.)を中心に、hyde(Vo.)、hiro(Gt.)、pero(Dr.)の4名で結成されたロックバンドで、同年5月30日に大阪のライヴハウス、難波ロケッツでファーストライヴを開催し[1]、本格的にバンドが始動した。なお、このファーストライヴはいわゆる対バン形式であったが、100人以上の動員を記録している。そして、同年9月27日に同所で初のワンマンライヴを行い、300人以上の観客を集めている[1]。こうしてL'Arc?en?Cielは、結成して間もなくバンド活動が軌道に乗り始めることとなった。なお、L'Arc?en?Cielが結成当初から一定の人気を獲得できていたのは、hyde曰く、hiroが以前組んでいたバンドで名を知られていたことや[2]、tetsuyaの考えたプロモーション・イメージ戦略によるところが大きいという[2]。 その後、L'Arc?en?Cielは1992年からインディーズレーベル、Night Gallery Recordsと契約し、アルバムレコーディングを進めていくことになる[3]。しかし、アルバムレコーディングの約1週間前に結成メンバーであるhiroが脱退を表明してしまう[3]。そこで残りのメンバーは、tetsuyaの幼馴染で、昔tetsuyaとByston-Wellというバンドを組んでいた、当時名古屋工業大学で建築学を専攻していた大学生のkenに声をかけ[3][4][5]、急遽ギタリストとして加入してもらい[4][5]、レコーディングを行うことにした[4][5]。そしてhiroは、同年6月12日に行われた難波ロケッツのライヴで正式に脱退することとなり[1]、入れ替わりでkenが正式加入する運びとなった。こうしてアルバムレコーディングが進められたが、メンバーは完成した音源の出来栄えに納得がいかず、アルバムの発売中止を望むようになる[5]。Night Gallery Records契約下でのアルバム制作を振り返り、後年hydeは2012年に発表した自叙伝で「kenが加入して、急遽レコーディングをしてアルバムを作ったんだけど、そのアルバムがすごく納得のいかない物になっちゃって。プロデューサーに従いながらも、おかしいな?って思いながら録音したんだけど、全然納得のいく物が出来なくて、それをtetsuyaがどうしてもイヤだって言って、リリースしなくてもいい方法を考えてもらったんだ[5]」と綴っている。 ただ、アルバム発売中止を求めていたメンバーに対し、レーベルから「メンバーの意向に関わらず、所有している原盤権を行使しアルバムをリリースする[6]」「発売を中止する場合、L'Arc?en?Cielがレコーディングに費やした制作費を全額支払うように」と回答があったという。このように交渉が難航していた背景もあり、レコーディング費用の一部を補填するため、1992年11月25日にインディーズシングル「Floods of tears/夜想花」がリリースされることになった[5]。Night Gallery Recordsとの関係が上手くいかなかった背景について、tetsuyaは2022年に、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組にて「同じ価値観、同じ理念を共有していない人とは、会話が成り立たないじゃないですか。共通言語がないから。それだけのことですね[7]」「まあ、どうしてもビジネスなんで、レコーディングするのにはお金かかりますから。お金かけて作ったものを発売して回収しないといけないわけですから。かけた分を回収できないとなるとねぇ、お金出した人からすると、何とか回収したいと思うじゃないですか。だから僕たちがそれは不本意なんで出したくないって言っても、いやいや、じゃあお金払ってよって話にもなりますし。それだけのことですね。だから、そんな(レコード会社側が)悪意をもって騙してやろうっていうことではなかった[7]」と語っている。 Night Gallery Recordsとの協議が難航していた頃、tetsuyaはL'Arc?en?Cielに興味を持っていたDanger Crue Recordsの代表である大石征裕(現:マーヴェリック・ディー・シー・グループ代表)との接触を図っていたという[8][6]。そして、この問題をtetsuyaから聞いた大石は、知り合いでもあったNight Gallery Recordsの社長、森田文章(DENDO MARIONETTE)と交渉することにした[9]。
解説
背景