当初は「CHA-CHA & AUDREY's Project」(チャチャ・アンド・オードリーズ・プロジェクト)というグループ名を名乗っていたが、数ヶ月後に“夢はかなう”を意味する「DREAMS COME TRUE」に改名。 中村は「500万枚CDを売ることと、グラミー賞を獲ること」を一生の夢と述べており[7]、ロンドンやニューヨークでレコーディングを行ったこともある。1994年には映画「THE SWAN PRINCESS」のエンディングテーマ「ETERNITY」で海外進出している。 1997年にレコードレーベルをヴァージン・レコード・アメリカに移籍し、同時にプライベート・レーベルVirgin/D.C.T.を設立。本格的にアメリカ進出を視野に入れた活動になった(国内販売は東芝EMIが担当した)。しかし、これは日本の音楽業界の慣例を無視したものであった。肝心の米国での活動も芳しいものではなく、本格的なアメリカ進出作となったアルバム『SING OR DIE』にしても、ニューヨークのタワーレコードなどで週間売上の上位にランクインしたものの、実際には現地での購買層はほぼすべてが日本人であったとされる[8]。中村は後に「(米国でのチャレンジは)失敗だった。(アメリカの)レコード会社もクビになったし、勉強不足も甚だしくて、そこでバンドが終わってもしょうがないっていう状況まで追い込まれた」と振り返っている[9]。結局、ヴァージンを解雇となり米国から撤退したが、その後日本においても完全に干される状態となり、事務所を退所し個人事務所を設立した。2年の間はひたすら各放送局を謝罪行脚して回り、ようやく仕事がもらえるようになったのは5年後からだったという[10]。 元々結成当初よりユニット内においての立場が微妙であった西川はかねてより多数のトラブルを抱えていたが、これ以上庇いきれないという事務所の判断[要出典]により2002年に脱退を発表。西川は直後に覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで逮捕された。 ※オフィシャル・ウェブサイトの「Biography[17]」参照
トラブル
影響力
デビュー当時の女性1人・男性2人の編成は「ドリカム編成」と形容された。このような編成の音楽グループは以前からレベッカ等がいたが、アルバム『MILLION KISSES』での3人が腕を組んだジャケット写真は「ドリカム編成」を大きく印象づけ、男女間の人間関係を表す語としても転用され[11]、globeを始めとして90年代以降にはこの編成の音楽グループが数多く結成された。ただし、語源であるドリカムをはじめ、いきものがかり、Every Little Thing、the brilliant green、m.o.v.e、MY LITTLE LOVER、Do As Infinity、Hysteric Blue(Hysteric Blueは解散)など、後に男性1人が脱退し、男女2人組編成となる例も多い[12]。結成当初から男女二人組のみで活動しているユニットも存在し、PSY・S、センチメンタル・バス、LOVE PSYCHEDELICO、YOASOBIなどが挙げられる。
ドリカムの影響を受けた女性ボーカリストとして、倖田來未は「ドリカムの影響で歌手を志した」、絢香は「小学生の時に初めて耳にして以来、ずっと大好きで尊敬するバンド。高校生の時にバンドを組んで『決戦は金曜日』を歌いまくっており、デビュー日の前日、ドリカムのライブに行って号泣したのが忘れられない」、E-girlsのAyaは「物心ついた頃からずっとドリカムを聴いていた」、水樹奈々は「子供の頃から演歌とアニメソングしか聴いてこなかった自分にとって、ドリカム楽曲との出会いは衝撃だった」と語っている[13]。
スポーツ界でも、女子レスリング選手の吉田沙保里、女子サッカー元日本代表の澤穂希、プロ野球福岡ソフトバンクホークスの本多雄一は自身の登場曲に「何度でも」を使用、同じく 元福岡ソフトバンクホークスの内川聖一も「AGAIN」を登場曲に使用している。
2009年3月に開催したドリカムのトリビュート・ライヴ『みんなでドリする? DO YOU DREAMS COME TRUE? SPECIAL LIVE』には島袋寛子・BoA・平原綾香・一青窈・Crystal Kay・hiroko(mihimaru GT)・絢香が参加し、それぞれドリカムへの想いを話した。2014年にはデビュー25周年を記念したトリビュート・アルバム『私とドリカム -DREAMS COME TRUE 25th ANNIVERSARY BEST COVERS-』が発売され、HY・中島美嘉・大塚愛・いきものがかり・JUJUなどがドリカムの曲をカバーした[14]。翌2015年には第2弾『私とドリカム2 -ドリカムワンダーランド2015 開催記念 BEST COVERS-』を立て続けにリリースをし、Little Glee Monster、三浦大知、徳永英明、MONGOL800らが参加している[15]。2017年には上記のアーティストらを新たに知名度を獲得する為に制作されたリスペクト・カバーアルバム『The best covers of DREAMS COME TRUE ドリウタVol.1』が発売された。
2007年に大和総研が「ドリカム人気が上がれば、株価も上昇」とする調査結果を発表した。ドリカムの人気と株価指数が、同時に上昇する確率が85.7%、下落で66.7%と高い相関関係を示したことを発見し「(ドリカムの)リアルな歌が注目される環境は、投資家を含めた人々の気持ちの充実が背後にあるのだろう。投資家心理が前向きになりやすく、株価も上昇しやすいのではないか」と解析している[16]。
来歴
1988年 - 2000年
デビュー前
1987年(昭和62年)
吉田美和が中村正人に初めて会った際に自身の歌を聴いてもらい、グループ結成が決まる。その時の歌は後にグループとして発表する「うれしはずかし朝帰り」、「週に一度の恋人」であった。
1988年(昭和63年)
1月:「CHA-CHA & AUDREY's Project」を結成。その後、渋谷TAKE OFF7を中心に、六本木ネイルズなどでもライブ活動を行い、短期間でDREAMS COME TRUEに改名する。集客数拡大戦略の一環として、夢の『渋谷公園通りの坂上がり』を目標に掲げた。
デビュー後
1989年(昭和64年・平成元年)
3月21日:1stシングル『あなたに会いたくて』と1stアルバム『DREAMS COME TRUE』同時リリースでデビュー。
6月1日:2ndシングル『APPROACH』リリース。DREAMS COME TRUEがぴあMap’89&ぴあMap文庫’89キャンペーン・キャラクターに、「APPROACH」がキャンペーン・ソングに起用。
9月1日:3rdシングル『うれしはずかし朝帰り』リリース。カップリング曲の「うれしい!たのしい!大好き!」はグリコポッキーCMソング/映画「山田ババァに花束を」主題歌。
11月22日:4thシングル『LAT.43°N ?forty-three degrees north latitude?』、2ndアルバム『LOVE GOES ON…』同時リリース。アルバムはオリコンチャート100位以内に229週ランクインするロングヒットとなる。
1990年(平成2年)
2月10日:5thシングル「笑顔の行方」リリース。(1月 - 3月期のTBS系テレビドラマ「卒業」の主題歌)初めてオリコンシングルチャートTOP10に入る。'90年上半期シングル・チャート3位。
6月21日:6thシングル『Ring! Ring! Ring!』リリース。
8月1日:中村正人、セガのコンピュータ・ゲーム「SONIC THE HEDGEHOG」で初めてゲーム音楽を手がける。 ゲームは’91年に発売され、全世界で350万本を売り上げる。
9月21日:7thシングル『さよならを待ってる』リリース。
11月1日:3rdアルバム『WONDER 3』リリース。ミリオンセラーとなり、当時のデビューから最短記録でのアルバムミリオンセラー達成となった。
11月21日:8thシングル『雪のクリスマス』リリース。
12月31日:『NHK紅白歌合戦』初出場。
1991年(平成3年)
2月21日:アンドレ中村とオホーツク・ボーイズデビュー。『せつなくて?オホーツクにたたずむ男? / アンドレ中村とオホーツク・ボーイズ』リリース。ラジオ「中村正人のNORU SORU」の企画ユニットの曲。