DOS/V
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DOS/V
IBM DOS J4.0/Vのスクリーンショット
開発者IBMマイクロソフト
OSの系統IBM PC DOSMS-DOS
開発状況歴史上のオペレーティングシステム
ソースモデルクローズドソース
初版1990年10月 (33年前) (1990-10)[1]
最終版PC DOS 2000日本語版 / 1998年
ライセンスプロプライエタリ
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DOS/V(ドスブイ)は、1990年日本アイ・ビー・エムが発表したパーソナルコンピュータ用のオペレーティングシステム通称である。PC/AT互換機上で稼働し、日本語専用のハードウェアを必要とせずに、ソフトウェアだけで日本語表示を可能にした。1991年にはマイクロソフトの日本法人なども発表し、日本でPC/AT互換機が一般に普及する切っ掛けとなった。転じて日本ではPC/AT互換機のことを指して「DOS/V」と呼ばれる場合がある[2][3]
名称

「DOS/V」は当初は「VGA対応のDOS」(VGAグラフィックモードを使用して日本語テキスト表示を実現したDOS)を意味したが、後に「可変(Variable)」などの意味も追加され、更には日本ではPC/AT互換機自体を「DOS/V」と呼ぶ用例も発生した。

最初の製品の正式名称は「IBM DOS J4.0/V」で、並存したPS/55専用の「IBM DOS J4.0」(通称 JDOS)と比較すると製品名に「/V」が追加された。このため日本IBM社内では当初は「スラブイ」とも呼ばれたが、当時のパソコン通信NIFTY日経MIXなどのネットワーカーなどを中心に「DOS/V」との通称が普及し定着した。「V」は当初はビデオ表示規格のVGA(最大画面解像度は640×480ピクセル)を意味したため、DOS/V初期の日本IBMのインタビューや資料には「XGA(最大画面解像度が1024×768)対応のDOS/X、モバイル端末用のCGA対応のDOS/C」などの用語も見られた。また「V」は「Victory」との解釈、「DOS/V」を「DOSバージョン5」と誤解する例もあった。その後に日本IBMが「DOS/Vは登録商標にしない、自由に使用して欲しい」と宣言した事もあり[要出典]「DOS/V」の通称は広く普及した。後にDOS/V上で複数の画面解像度を実現するV-Textや、各種SVGAサポートも追加され、日本IBMでDOS/Vを主導した堀田一芙は雑誌インタビューなどで「VはVariable(可変)などと解釈してください」と説明した。

更に日本では、当時普及していたNECPC-9800シリーズなど各社独自仕様のパーソナルコンピュータに対して、DOS/Vが稼働するPC/AT互換機が「DOS/Vマシン」「DOS/V機」とも呼ばれた。更にはPC/AT互換機の販売店を「DOS/Vショップ」、PC/AT互換機対応の周辺機器を「DOS/V対応」、雑誌名のDOS/V POWER REPORTなど、OSとは無関係にPC/AT互換機自体を「DOS/V」と呼ぶ用例も存在する[2][3]
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出典検索?: "DOS/V" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2018年5月)

DOS/Vの登場前「IBM PC DOS」および「PC/AT互換機#日本における普及」も参照

世界的には1981年のIBM PC登場後、ほぼ数年でIBM PC互換機パーソナルコンピュータ市場のデファクトスタンダードとなった。

しかし日本では日本語表示の性能確保のためにIBM PCのシリーズは発売されず、日本IBMを含め各社から独自の日本語表示用のハードウェア漢字ROMなど)を搭載したパーソナルコンピュータが発売された。このため、同じインテルx86系のCPUMS-DOSを採用しながらもIBM PC互換機と相互に互換性が無い時代が続いた。NECのPC-9800シリーズがほぼ寡占状態で、他は富士通FMRシリーズ、日本IBMのマルチステーション5550シリーズおよびJX東芝J-3100シリーズおよびダイナブック三洋電機シャープ日立製作所三菱電機などのAX陣営などに分かれ、日本国内の機種間でもほとんど互換性は無かった。ダイナブック初期モデル(J-3100SS)はPC/XT互換(すぐにPC/AT互換に移行)、AXはPC/AT互換機ベースであり英語環境では互換性があったが、日本語表示は各々独自仕様のためやはり互換性はなかった。なお5550には英語環境の実装がなく、同じIBMのPC系列とは全く互換性がない。

背景には日本ではハードウェアメーカーが強く独自の系列と販売網を築いていたこと、ユーザーも「メーカー保証」を求めたことがあった。しかし、海外のハードウェアやソフトウェアのメーカーにとっては日本市場への参入障壁であり、日本国内向け機種がPC/AT互換でないNECや富士通を含む日本のメーカーにとっては日本国内と海外への重複投資であった。また、ユーザーにとっては互換性の壁となり、海外最新技術の導入時間差や内外価格差でもあった。
DOS/Vの開発

1980年代始め、日本IBMはアジア太平洋地域にマルチステーション5550とJXの2つのパソコンシリーズをリリースした。マルチステーション5550はディスクから漢字フォントを読み取り、1024×768高解像度ディスプレイにグラフィック文字として文章を描画できた。JXはIBM PCjrやIBM PCアーキテクチャーを拡張して、720×512ピクセルのディスプレイで英語及び日本語版のPC DOSをサポートした。どちらも日本のコンシューマ市場にてNEC PC-98の寡占を崩すに至らなかった。5550は高価だったため、そのほとんどはIBMのメインフレームを使用する大企業に販売された。JXはCPUにIntel 8086を用いる代わりにより遅いIntel 8088を採用した。これはコンシューマ製品のJXがビジネスクラスの5550を上回ることがあってはならないとIBMが考えていたためで、このことは実際の処理速度がどうあれ、消費者の評判を傷つけた[4]。別の観点として、あるソフトハウスはIBMがJX対応ソフトの開発に協力的でなかったと話した[5]。日本IBMはPC/XT 100%互換機のコードネーム「JX2」なる機種を計画していたが、1986年に中止された。[4][6]

1987年、JX用PC DOSの開発者だった羽鳥正彦は、IBM大和開発研究所で仕事の空いた時間にDOS/Vの開発を始めた。この当時、東芝はJ-3100(T3100ラップトップPCの日本版)をリリースし、マイクロソフトはAXアーキテクチャーを発表したところだった。数ヶ月後、日本IBMは特殊なバージョンのDOSを搭載した独自アーキテクチャーのラップトップPC「PS/55 モデル5535」をリリースした。羽鳥は、IBMは独自アーキテクチャーのPCからIBM PC互換に変えていく必要があると考えていた。羽鳥の上司だった丸山力と三井信雄も、日本の閉鎖されたPC市場は変わらなければならないと考え、またこの試みはIBM単独では達成できないと考えていた。1989年夏頃、彼らはDOS/Vの開発を本格的に進めることと、PS/55のアーキテクチャーを公開すること、PCオープン・アーキテクチャー推進協議会 (OADG) を設立することを決めた[7]

DOS/V開発チームは元のPC DOSとの拡張性や互換性をよりよくするために、DOS/Vをシンプルに設計した。


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