DM三井製糖ホールディングス株式会社
Mitsui DM Sugar Holdings Co., Ltd.種類株式会社
市場情報東証プライム 2109
DM三井製糖ホールディングス株式会社(ディーエムみついせいとうホールディングス、英: Mitsui DM Sugar Holdings Co., Ltd.)は、2021年4月1日に日本の製糖業界最大手の食料品会社である三井製糖(3代)と、同じく製糖業界大手の大日本明治製糖(DM)が経営統合し発足した持株会社。 三井物産が筆頭株主であり、三井グループの1社。三井業際研究所(二木会の直属シンクタンク)及び月曜会(三井グループ各社の役員間の相互親睦と情報交換を目的とする会合)に加盟している。なお、上記経営統合に伴う当社の発足により、主要株主(第2位)として新たに三菱商事が加わり、同社の持分法適用関連会社に該当することとなった。 出典:三井製糖「大日本明治製糖株式会社との経営統合完了について
概要
経営統合について
2020年3月25日、三井製糖、大日本明治製糖、日本甜菜製糖の3社が持株会社方式を採用した三井製糖と大日本明治製糖の経営統合、及び統合持株会社と日本甜菜製糖との資本業務提携に関する協議を開始した。
2020年10月15日、三井製糖及び大日本明治製糖は、経営統合に関する最終契約を締結。これによって2021年4月をめどに、
大日本明治製糖を三井製糖の完全子会社とする。
1の効力発生を条件に、三井製糖のグループ経営管理、不動産管理を除く一切の事業を分割準備会社に承継させ、持株会社に移行する。
1および2の効力発生を条件に、三井製糖はDM三井製糖ホールディングス、分割準備会社は三井製糖(4代)[注釈 1]へ、それぞれ商号変更。
統合持株会社は、旧三井製糖の証券コード(2109)で上場を維持する。
沿革
大日本明治製糖
旧大日本製糖詳細は「大日本製糖」を参照
1890年(明治23年)- 鈴木藤三郎が鈴木製糖所を設立。
1895年(明治28年)12月 - 鈴木製糖所を前身として東京都小名木川畔の東京府南葛飾郡砂村(現・東京都江東区北砂)に、日本初の近代的製糖事業を行う日本精製糖株式会社を設立。渋沢栄一
1896年(明治29年)- 渋沢栄一が日本精糖を設立し、取締役に就任[1]。
1900年(明治33年)- 玉置半右衛門を中心とした八丈島からの開拓団が沖縄県大東諸島に入植。玉置商会が設立され、粗糖生産活動を開始。大東諸島の自治を行う“植民地会社”的な存在となった。後に東洋製糖株式会社に改名。
1906年(明治39年)11月14日 - 日本精糖は資本金を1200万円に増資、商号を大日本製糖に改称。
1906年(明治39年)12月 - 台湾での製糖業に進出。
1907年(明治40年)- 日本国初の角砂糖の製造発売を開始。
1909年(明治42年)- 政界工作が発覚し疑獄事件が発生(日糖事件)。相談役であった渋沢栄一が実業家の藤山雷太に社長就任を依頼し事態を収拾した。
1927年(昭和2年)- 東洋製糖株式会社を合併。大東諸島の“植民地経営”も引き継ぐ。
1943年(昭和18年)- 11月 日糖興業株式会社に名称変更。
1945年(昭和20年) 8月 - 第二次世界大戦の終結に伴い、沖縄を含む在外資産の全てを没収される。
1946年(昭和21年)- 大東諸島でもアメリカ軍政開始。