DJ_OZMA
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DJ OZMA
生誕4月26日[1]
出身地 日本東京都港区六本木[1](自称)
ジャンルJ-POP
担当楽器ボーカル
活動期間2006年 - 2008年
2011年 -
レーベルEMIミュージック・ジャパンエイベックス
事務所ソニー・ミュージックアーティスツ
共同作業者PANCHO
夜王"KING"純一
公式サイト ⇒DJ OZMA OFFICIAL WEB SITE

DJ OZMA(ディージェイ オズマ、4月26日[1] - )は、「氣志團」のヴォーカル兼リーダーの綾小路翔が扮する日本歌手所属事務所ソニー・ミュージックアーティスツ

当初は扮する綾小路翔の「知人」という設定だった。しかし、2013年11月17日放送のトーク番組「おしゃれイズム」(日本テレビ系)に出演した綾小路が「OZMAと同一人物」である事を認めた[2]

自身がプロデュースする矢島美容室のナオミ・カメリア・ヤジマと容姿が酷似しているが、本人は「偶然似ているだけ」と主張している。

一時期「二代目DJ OZMA」を名乗った人物については#来歴・人物を参照。
メンバー
DJ OZMA(ボーカル)
金髪アフロヘアーに大きめのサングラス姿がトレードマーク。名前に「DJ」とついているが、OZMAは演奏行為においてディスクジョッキー及びラップ(トースト)を行うことはない。
主なバックダンサー(I ? PARTY PEOPLEより)

PANCHOと夜王はほとんどの楽曲においてボーカルも行っており、ミュージシャンとしてのDJ OZMAは事実上、OZMAにPANCHOと夜王を加えた3人によるプロジェクトとなっている。
PANCHO(ボーカル・バックダンス)
筋肉質な肉体に
B系ファッションがトレードマーク。 氣志團の早乙女光に酷似している。
夜王"KING"純一(ボーカル・バックダンス)
ホスト風の容姿がトレードマーク。微熱DANJIの星屑輝矢に酷似している。

男性

MC MAJI(ラップ) - 氣志團の白鳥雪之丞に酷似している。

MC Korea

KAZUKI

MAMORU

TAKUYA

HIROKI

MINE

Choleste(コレステくん)



女性

AYAMI

CHIHARU

MIKI

MARIKO

YUKKO


来歴・人物

出身地は東京都港区六本木[1]と自称。幼少時は蔵の中に入れられ、「鉄仮面を19年間かぶり続けて育った」と自称している。

「世界の夜はOZMAに任せろ!」をキャッチコピーに台湾を中心として活動していると自称する、生粋の日本人。自ら音楽制作、イベントなどのプロデュースも手掛けており、ウエアやグッズなどの制作・販売を行うブランド「SMILE LOCOMOTION」をプロデュースしている。

漫画家の長尾謙一郎のファンを公言しており、『ギャラクシー銀座』の帯では「発想の源」といった推薦文を書いている。

ももいろクローバーZのファンである。

2006年8月9日に放送されたスペースシャワーTVモンスターロック」内にて、一世風靡セピア以来踊っている集団がいないことから、「氣志團全員で踊ろう」と伝えたところ、メンバーに拒絶されたために意固地になってDJ OZMAが生まれたことを明かした。また、「そのころに氣志團として踊れていれば、ゴールデンボンバーよりも先に同じ立ち位置になれたのでは」と悔やんでいた。
デビュー、初の全国ツアー

2000年韓国2004年に台湾でデビューした[3]と自称。

2006年2月24日台北市にあるグランドハイアットにて「DJ OZMA 台湾・日本合同デビュー記者会見」を行った。

2006年3月1日、「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」がYahoo! Taiwanの音楽配信サイトで先行配信スタート。

2006年3月22日、「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」が発売。

2006年3月31日、『ミュージックステーションSPECIAL』(テレビ朝日系)でテレビ初登場を果たす。

2006年9月15日、韓国にて「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」「One Night」のオリジナル曲を歌う、韓国ヒップホップユニットDJ DOCとのジョイントライブを果たす。

2006年11月から12月にかけて、自身初の全国ツアー「DJ OZMA "I ? PARTY PEOPLE" TOUR 2006 LUV-XURY(ラブジュアリー)」を開催、東京・代々木第一体育館まで10公演を行った。

紅白出場、翌年の活動

2006年12月31日、
第57回NHK紅白歌合戦に初出場。その時のパフォーマンスが大きな波紋を広げる(#DJ OZMAのパフォーマンス#紅白騒動とその後へ)。

その後、NHK側から番組出演のオファーは一度も無かったが、2007年12月31日の第58回NHK紅白歌合戦の出演メンバーが報道されると、「これ以上オファーを待てない」と勝手に出場辞退したと自称し、12月4日のスポーツ報知で伝えられた[4]


2007年3月、「第44回ゴールデン・アロー賞」音楽賞を受賞。

2007年7月6日より、ライブツアー「DJ OZMA "I LOVE PARTY PEOPLE" TOUR 2007 THANK-TUARY(サンクチュアリ)」を開催。

そして引退へ

2008年11月27日、同年をもって引退、槇 精吾(まき せいご)が二代目DJ OZMAを襲名することを発表した[5][6][7]

引退発表から26日後の12月22日には、大晦日開催の「Dynamite!! ?勇気のチカラ2008?」(TBS系)のスペシャルプロデューサー就任を発表。同大会でOZMAはボブ・サップキン肉万太郎の試合をプロデュースした[8]。なお、同試合開始前にOZMAがパフォーマンスを披露、「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」などを披露した。

引退後

引退後の2009年の動向は依然謎とされているが、OZMAが着用した衣装300着を2月18日Yahoo!オークションに出品することが2月16日、明らかになった[9][10]

なお、氣志團の活動は2009年に再開された。


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