DJ_OZMA
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なお、氣志團の活動は2009年に再開された。自身がプロデュースした『矢島美容室』は2009年以降も活動を続けた。
3年ぶりの復活

2011年12月、氣志團の挑戦を受け、これを受ける形で約3年ぶりの新曲となる『珍魂歌』を12月7日にリリースし“復活”を果たす。同日リリースされる氣志團の10周年記念シングル『MY WAY』に“対抗”する形となった。さらに、氣志團のメジャーデビュー10周年を記念ライブツアー『極東ロックンロール・ハイスクール』最終日となる12月21日Zepp Tokyo公演の対バン相手として、氣志團側がOZMAを指名。これに対し、OZMA曰く「もう引退して3年もたつこの俺を担いでツアーのファイナルをやらなきゃいけないなんて、氣志團もいよいよヤバいな…。くんの時代はもう終わったし、もう古いんだよ。だから、この俺が氣志團のとどめを刺すことに決めたんだ。俺の方がセールスで勝利したら、氣志團には潔く解散してもらうぜ!!」と息巻いた[11]

当日、その最終公演にて『おれがあいつであいつがおれで』を引提げ、氣志團との対バンを挙行。なお、この対バンの模様は氣志團のフォトブック『極東ロックンロール・ハイスクール 氣志團VS』(東京ニュース通信社刊)に収められている[12]

また、そのステージに二代目(上記参照)が出演し、本日限りで「二代目DJ OZMA」を引退すると発表した[13]。綾小路翔はその後も「二代目DJ OZMA」こと槇精吾について言及することがある[14]
エピソード
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出典検索?: "DJ OZMA" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2012年2月)

2006年12月31日、『第57回NHK紅白歌合戦』に初出場。事前のスポーツ紙の取材に対し、脱ぎパフォーマンスを行うことを窺わせる発言をした。これに対して北島三郎に「歌で勝負しろ」とたしなめられていたことがスポーツ新聞などで報じられていた。当日のステージは、通常のダンサーメンバーに加え、ピエロが加わり、夜王がマジックを披露。OZMAは演奏途中で消え、ワイヤーに吊るされ、最後は北島三郎と入れ替わるというイリュージョンパフォーマンスを披露した。この時、OZMAと一緒に演じた女性バックダンサーが、カーニバル風衣装の下の水着まで脱ぎ、裸体の描かれたボディースーツで踊るという演出を行った。当時はまだ地上デジタル放送ではなく画質の荒いアナログ放送で視聴している視聴者も多くボディースーツであると気付かない視聴者も多くいたため、視聴者から「本当に裸ではないか?」との問い合わせが即時に寄せられ(放送内で対応できた分が約250件、放送以後1800件。対応できなかった分を含めると数千件以上)、番組内で総合司会のNHK三宅民夫アナウンサーが「裸ではない」と説明する事態となった。後日、NHK側は記者会見を行い視聴者へ謝罪した(「衣装に関してOZMA側からは説明されていなかった」、「リハーサル時は水着を脱がなかった」などと説明)。またOZMA自身はブリーフ姿になり、ブリーフの股間部分に、男性器を模した模型をつけていた。所属事務所と東芝EMI(現:ユニバーサルミュージック)はNHKに出向き経緯を説明した。なお、このパフォーマンスのため、紅白歌合戦を録画放送しているハワイ地上波放送局KIKU-TVでは、DJ OZMAの出演部分をカットして放送した(NFLスーパーボウルでのジャネット・ジャクソン胸出し事件で問題になったように、アメリカ合衆国では一般向けテレビ番組放送コードは日本の比にならないほど厳しいため)。ただし、日本のAVのモザイクはないため、成人向けの放送はノーカットで放映される。

この時使用されたボディースーツは、WAHAHA本舗が舞台で使用していたものからアイデアを得たものであった。WAHAHA本舗に所属しているタレントである久本雅美は、このパフォーマンスを賞賛した。

2007年1月1日未明、NHKより移動しTBS系『CDTVスペシャル』に出演、紅白歌合戦と同様のパフォーマンスを披露した。同年1月4日に、NHK会長橋本元一が新年の挨拶で、この件に触れ謝罪。1月11日に定例記者会見を行い、橋本元一会長がDJ OZMAに対して「現場で使いにくい状況だと思う」と述べた。また、1月10日までにコールセンターへ1,796件苦情があった。

自身のブログで、ファンに対してパフォーマンスの経緯等の説明がなされ、また、NHKの対応に対する怒りを露にし、自身が不満を抱いているNHKの関係者の実名を挙げた。

2007年3月1日に行われた「第44回ゴールデン・アロー賞」授賞式に出席し、騒動後初めて公の場に姿を見せた。その際インタビューで、NHKに対する本音を述べた。同年9月29日に「DJ OZMA "I ? PARTY PEOPLE" TOUR2007 THANK-TUARY」の渋谷C.C.Lemonホールでの最終公演の際に、OZMA本人曰く、開演前の会見で「隣のNHKホールを借りに行ったけど、断られた」と告白している[15]

2008年9月26日、DJ OZMAととんねるずがプロデュースするユニット『矢島美容室』デビュー発表の会見において「目標は紅白出場と東京ドーム7日間公演」と発表。OZMAは「今年の紅白プロデューサーの石原さんにわびを入れたい」と頭を下げた。同じく紅白歌合戦をきっかけにNHK出入り禁止状態であるとんねるず[注 1]も「まずはNHKと和解したい」「紅白みたいなことがあったら謝ります」と語った[16]

氣志團についてもこの騒動以降はNHKの番組に直接出演できない[注 2]状態が続いているが、2012年2月19日にはNHKホールで単独ライブを実施している。また『NHKのど自慢』で出場者が氣志團や綾小路の楽曲を歌うことがある上、氣志團のメンバーのコスプレを行った出場者もいた他、ラジオ番組でレコード演奏されることがあるなど、楽曲に関しては締め出されていない。

2024年3月26日、同日に放送したNHK盛岡放送局製作の夕方ニュース番組おばんですいわて』に綾小路が出演した[17][18]。NHK盛岡放送局は同番組の公式ホームページにて、「綾小路の両親が岩手県遠野市出身であることや2011年3月に発生した東日本大震災の後に被災地でチャリティーライブを開催するなど、支援の活動を行っていることから、『ルーツ』である岩手と震災で被災した人達への思いを訊いた」と述べている。これにより、地方局のローカル番組ではあるが、約18年ぶりにNHKの番組に出演したことになった[19]
ディスコグラフィー
シングル

 発売日タイトル規格品番備考
1st2006年3月22日
アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士TOCT-4958:CD+DVD
TOCT-4959:CDオリコン4位
韓国の歌手のDJ DOCの「Run to you」(原曲はボニーM「Daddy Cool」)のカバー
2nd2006年7月12日純情 ?スンジョン?TOCT-40006オリコン8位
韓国の3人組混成グループkoyote1998年の楽曲「純情」のカバー。
オリジナルの韓国語の歌詞を空耳で日本語の歌詞に当てている。
この曲は千葉ロッテマリーンズ応援団がチャンステーマに使用しており、PVではマリーンズファンがタオルを回すようにおしぼりを振り回すシーンがある。
DJ OZMAが発表する前に氣志團の【氣志團学園ツアー】の劇中にて、「純情100%」としてS4が披露していた。
カップリング曲は氣志團「朝がくる度」のカバー。
3rd2006年9月27日One NightTOCT-40020オリコン5位


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