DJ・ルメイユ
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DJ・ルメイヒュー

DJ・ルメーヒュー

DJ・ラメイヒュー

DJ・ラメーヒュー

DJ・レメイヒュー

DJ・ルマイユ

DJ・ラメイヒウ

DJ・ルメイユ
DJ LeMahieuニューヨーク・ヤンキース #26
2019年4月4日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州トゥーレアリ郡バイセイリア
生年月日 (1988-07-13) 1988年7月13日(35歳)
身長
体重6' 4" =約193 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション二塁手一塁手三塁手
プロ入り2009年 MLBドラフト2巡目
初出場2011年5月30日
年俸$12,000,000(2020年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ブラザー・ライス高等学校(英語版)

ルイジアナ州立大学

シカゴ・カブス (2011)

コロラド・ロッキーズ (2012 - 2018)

ニューヨーク・ヤンキース (2019 - )

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

デビッド・ジョン・ルメイユ(David John LeMahieu[注釈 1], 1988年7月13日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州トゥーレアリ郡バイセイリア出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。MLBニューヨーク・ヤンキース所属。
経歴
プロ入り前

2007年MLBドラフト41巡目(全体1241位)でデトロイト・タイガースから指名されたが、契約には至らなかった。ルイジアナ州立大学に入学後は、大学野球で2年間プレーし、大学アメリカ代表に選ばれるなど活躍した[2]
プロ入りとカブス時代

2009年MLBドラフト2巡目(全体79位)でシカゴ・カブスから指名され、7月19日に契約。契約後、傘下のルーキー級アリゾナリーグ・カブスで3試合に出場後、7月28日にA級ピオリア・チーフスへ昇格。38試合に出場して打率.316、30打点、2盗塁を記録した。

2010年はA+級デイトナ・カブスでプレーし、135試合に出場して打率.314、2本塁打、73打点、15盗塁を記録した。8月31日にはフロリダ・ステートリーグのポストシーズン・オールスターチームに選出された[3]

2011年はAA級テネシー・スモーキーズで開幕を迎え、50試合に出場。打率.358、2本塁打、27打点、4盗塁と結果を残し、5月30日にジェフ・ベイカーが離脱したため、代役としてカブスとメジャー契約を結んだ[4]。同日のヒューストン・アストロズ戦でメジャーデビュー。8回裏無死一塁の場面で、ジョン・グラボウの代打として出場したが、遊撃への併殺打となった[5]。23試合に出場したが、6月28日にAAA級アイオワ・カブスへ降格[6]。AAA級アイオワでは58試合に出場し、登録枠が拡大された9月6日にメジャーへ再昇格した[7]。この年メジャーでは37試合に出場して打率.250、4打点を記録した。
ロッキーズ時代

2011年12月8日にイアン・スチュワート、ケイシー・ウェザーズ(英語版)とのトレードで、タイラー・コルビンと共にコロラド・ロッキーズへ移籍した[8]

2012年3月3日にロッキーズと1年契約に合意。3月18日に傘下のAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスへ配属され、開幕を迎えた。5月23日にジョナサン・ヘレーラ故障者リスト入りしたためメジャーへ昇格[9]。6月からは二塁手として先発起用されていたが、打率.229と結果を残せず、6月10日から再び守備要員へ戻った。6月22日にヘレーラが復帰したため、AAA級コロラドスプリングスへ降格した[10]。7月17日にヘレーラとクリス・ネルソンが故障者リスト入りしたため、再びメジャーへ昇格[11]。昇格後は主に二塁手として先発起用された。この年は81試合に出場して打率.297、2本塁打、22打点、1盗塁を記録した。

2013年3月5日にロッキーズと1年契約に合意[12]。3月27日にAAA級コロラドスプリングスへ配属され、開幕を迎えた。開幕後はAAA級コロラドスプリングスで61試合に出場。打率.314、1本塁打、31打点、13盗塁と好成績を記録し、5月16日にメジャーへ昇格[13]。この年は109試合に出場して打率.280、2本塁打、28打点、18盗塁を記録した。

2014年3月9日にロッキーズと1年契約に合意し[14]、自身初の開幕ロースター入りを果たした[15]。この年は、正二塁手としてプレーし、打撃では初めて規定打席に到達した。オフに初めて二塁手でのゴールドグラブ賞を受賞した。

2015年は打撃面でも好調で、4月の打率は.406だった。7月にはオールスターにも初選出されている。7月にも打率.400を記録するなどと好調を維持し、シーズン打率が3割を下回ることがほとんどなく、最終的にリーグ10位の打率.301を残した。コロラド・ロッキーズ時代
(2016年5月14日)

2016年は2年連続3割の打率.348を記録し自身初のタイトルとなる首位打者を獲得し、出塁率もリーグ2位の.416を記録した。終盤に首位打者争いしていたダニエル・マーフィーが怪我で出場できなかったため、ウォルト・ワイス監督の方針により最終5試合のうちの4試合を欠場したため、物議を醸した[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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