DJアシュバ
出生名Daren Jay Ashba
生誕 (1972-11-10) 1972年11月10日(51歳)
出身地 アメリカ合衆国インディアナ州モンティチェロ
DJアシュバ(DJ Ashba, 本名:Daren Jay Ashba, 1972年11月10日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州モンティチェロ出身のミュージシャン、ギタリスト、ソングライター。インディアナ州モンティチェロ出身。
2009年より、ロビン・フィンクの後任として、ガンズ・アンド・ローゼズに参加(2015年脱退)。全身くまなく彫られたタトゥーが特徴。 1歳の頃に、一家でイリノイ州の小さな田舎町に移る。その後両親が別れ、ピアニストの母親の元で育てられる。母親の方針で、家にはテレビがなかった。3歳で母にピアノの手ほどきを受け、5歳でリサイタルを開く。6歳でドラムを始める。8歳の頃に、シアーズのカタログで89ドルのギターを買うため、農場で1年間アルバイトをした。アルバイトに通うバスの中で、地元のバンドのギタリストと知り合い、バスの木の背もたれにナイフ弦を彫り、コードを教わった。1日17時間部屋に籠もって、ギターの練習に明け暮れていたことも。 16歳の誕生日に父親に連れられ、初めてモトリー・クルーの「ガールズ・ガールズ・ガールズ ツアー」のライブを体験する。「その瞬間、人生が変わった」と語っている。 19歳の頃、荷物を自分のミニバンに積み込み、ハリウッドに単身移住。「Barracuda」に加入。 1996年 ソロ・アルバム「アディクション・トゥ・ザ・フリンクション」リリース。 1998年 ブレット・ボーイズに、ドラマーのスティーブン・アドラー(元ガンズ・アンド・ローゼズ)の後任として参加。 1999年 Bang Tangoのヴォーカル、ジョー・ラスティや、元L.A.ガンズ、ファスター・プシー・キャットのメンバーらと共に「ビューティフル・クリーチャーズ」を結成。ワーナー・ブロスと契約。マリリン・マンソンをプロデューサーに迎え、デビュー・アルバム「ビューティフル・クリーチャーズ」発表。「1.A.M.」はホラー映画「バレンタイン」やテレビ・シリーズ「Smallvile」のサントラに使われた。 2001年 キッスの前座に抜擢。Ozzfest2001に参加。マリリン・マンソンと共に初来日公演。 2002年 ビューティフル・クリーチャーズから脱退。 2003年 ニッキー・シックス(モトリー・クルー)に誘われ、一緒に曲作りをしたり、モトリー・クルーのツアーに参加。 2007年 ニッキー・シックスのプロジェクトSIXX:A.M.に参加。「ヘロイン・ダイアリーズ・サウンドトラック」を共同制作。モトリー・クルーのアルバム「セインツ・オブ・ロサンゼルス」にも楽曲を提供している。 2009年 ロビン・フィンク
バイオグラフィ
同年12月 ガンズ・アンド・ローゼズ「チャイニーズ・デモクラシー」ワールドツアーで2度目の来日。ステージから飛び降りて東京ドームのアリーナを走り回ったり、ギターを叩き壊したり、日本語で叫んだりと、派手なパフォーマンスでガンズ・アンド・ローゼズのライブの盛り上げに徹している姿が見られた。「GN'Rは今まで参加したバンドの中で一番結束が固い」とコメントしている。
2010年3月-7月 GN'Rのワールドツアーで南米、ロシア、北欧公演。
2012年12月18日 ZEPP TOKYOにて来日公演。
2015年7月27日 ガンズ・アンド・ローゼズからの脱退を発表。 ソロ・アルバム ビューティフル・クリーチャーズ シックス:A.M. 2003年 アシュバメディアを設立。(デザイン会社)ヴァージンメガストアのデザインなどを手掛ける。オリジナルデザインのギターやアンプ発売。 アシュバランドという会社も持ち、主に自らの音楽関連の事業を手がけている。 先代
ディスコグラフィ
アディクション・トウ・ザ・フリンクション (1996)
ビューティフル・クリーチャーズ (2001)(マリリン・マンソン プロデュース)
デューズ (2005)
ヘロイン・ダイアリーズ・サウンドトラック (2007)
その他
外部リンク
⇒DJアシュバ公式サイト(英語)
⇒GN'R公式サイト(英語)
ロビン・フィンク
2009?2015次代
スラッシュ
表
話
編
歴
ガンズ・アンド・ローゼズ
アクセル・ローズ | ダフ・マッケイガン | スラッシュ | ディジー・リード | クリス・ピットマン | リチャード・フォータス | フランク・フェラー